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いつまでも浜田省吾だけを聴いている

あれは僕が中学1年のときだったと思う。偶然買った音楽雑誌(たぶんロッキングオンの増刊のムックか何かだったのだと思う)に、当時、発売されたブルーススプリングスティーンの『THE LIVE』という5枚組のライブアルバムのことが手厚く紹介されていた。それはもう熱をもって。それまで音楽の知識などほとんどなかったが、それを何度も読むうちにすっかり影響されて、お年玉で買って何度も何度も聞いた。偶然の力としかいえないが、あの一冊で一生が決まったようなものなのだ。こうしてすっかりスプリングスティーンが好きになり、とりわけ「BORN TO RUN」という曲が気に入った。何度も聞いたし、録画したプロモーションビデオも何度も見た。これだ。

今、見ても素晴らしいと思う。とくにサックスが、かっこよい。しばらくこのアルバムばかり聴いていたけど、このスプリングスティーンのような日本人アーティストとして知ったのが浜田省吾さんだった。ほんとかな。そう思って身構えて聞いたのが『J・BOY』だった。初めはラジオだっただろうか。とにかく、それにも戦慄した。聞いたことのあるものが少ないから、すぐに戦慄するのだ。素晴らしい。サックスとギターの絡みなど、まさにスプリングスティーンのライブのようだった。こんな日本人の歌手がいるのかと驚いた。テレビでは見たことのない歌手だった。

「J・BOY」は1986年リリース。僕は1972年生まれでこのとき14歳。中学1年からラジオの深夜放送を聞き出した僕にとってラジオ全盛期だった。それからエアチェックをして、繰り返し「J・BOY」を聞きアルバムを買うようになった。
スプリングスティーンの歌に「BORN IN THE USA」という歌がある。歌詞の内容はアメリカ礼賛というわけではないが、サビは「俺はアメリカで生まれた」だ。
一方「J BOY」は「ジャパニーズ ボーイ」の略だ。自分自身に照らして合わせてみれば、ジャパニーズボーイに傾倒していったのは自然だったように思う。
スプリングスティーンは今でも大好きだし、大学時代はアイルランドまでコンサートに行った。来日公演も3回行っただろうか。しかし、それよりもずっとずっと好きなのが浜田省吾さんだ。スプリングスティーンは気がむいたときに聞くくらいだが浜田さんの歌はずっとずっと聴いている。
いちばん好きな歌はなにかと聞かれたら即答できる。「家路」だ。

このピアノのイントロ、歌詞、ギター、サックス、そして声。歌詞はだいぶ違うが、僕にとっての日本の「BORN TO RUN」はこの「家路」だ。たぶんシングルカットされていないし古いアルバムの最後に入っていた曲。けっこうマイナーな曲だと思っていたが、みんな感じいるところは同じなのだろう、今やライブに欠かせない曲になりアンコール前のトリになることもしばしば。ライブにはこの「家路」を聞きに行っていると言っても過言ではなく、聞くたびに心震える。
ずっと浜田さんの歌を聴いているのは、歌詞による部分も大きい。「J BOY」くらいまでの歌詞には怒りも多い。アメリカに、この国に、戦争に、核に。そんな怒りも心地よかった。ロックは何かに怒っているものだと刷り込まれた気もする。とかく反体制であろうという心持ちも、この歌の影響かもしれない。
「19のままさ」という予備校を舞台にした歌に中学、高校時代は憧れた。あんなふうに少しずつ大人になるのだろうと思っていた。少年が大人になる。そんな風景を浜田さんの歌でたくさん見た。地方から東京に出てくるという寂しさ、心細さ、高揚感も同じように浜田さんの歌に共感していた。
そして大人になった今、共感できる歌があるのかといえば、これが大アリなのだ。そこが浜田さんのすごいところで、大人の心に響くロックもある。その代表格が「I am a father」だ。

泣ける。泣けるロックってすごいよなーと思いながらいつもライブでこの歌も心待ちにしている。
明日、11月16日、有明の東京ガーデンシアターでコンサートがあり参加する。自分へのご褒美として、浜田省吾さんのライブに一年に一度、一人で行っている。僕はセットリストを事前予習する派なので、もう明日の曲順も頭に入って、ここ数ヶ月繰り返し聞いてきた。もちろん音源で聴くのと生のライブで聴くのは全然ちがうので、感動が減るような感覚は僕にはまったくない。あの「家路」に並ぶ名曲を聴くのが今から楽しみだ。
ちなみに数年前からファンクラブの会員になった。年間5000円ほどでチケットも取りやすいし、送られてくる会報も楽しい。お得だ。
浜田省吾さんは、もう71歳か。いつまでも元気でいてほしいと願うばかり。ステージがあるかぎり行き続けます。

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