作文習うメリット
作文は自然と書けるようになる?
作文教室で作文支援を長いことやってきました。お受験で作文教室がブームになった時期もありました。でも基本、作文というのはとくに習うものではありませんでした。
ただ「作文苦手だなあ」と思ったままおとなになって、今さら作文と困惑してしまう人は後を絶たない印象です。おとなになってから作文を書く機会が案外多いからです。
どこへ行っても誰に会っても、とりあえずことばで表現するのがヒトというもの。いきなりハイタッチですむことはまずありえません。状況を説明するにも自己紹介するにも何はともあれまずことばを使わなければ話になりません。ところがことばで表現するというのは案外むずかしい。
とはいえ作文なんて、そのうち自然と書けるようになるのでは?
こう問われると、いつもこんまりさんの片づけの話を思い出す。
「片づけは学校で習わないからどうすればいいのかわからなかった」
そんなようなことを述べていたように思います。違ってたらごめんなさい。「なるほど」と思った覚えがあります。
もし学校で片づけの方法を習っていたら、困らなかったおとなが少なからずいたかもしれません。
作文も同じではないか? 作文は学校で習うでしょうか? 習うというのはただ教わって知っているというのと違います。何回もお手本をまねして練習することを習うといいます。お習字やピアノのおけいこを思い浮かべるとわかりやすい。
作文もとりあえず書く、ひたすら書く。学校ではそういう習う時間が圧倒的に少ない。そんな中でことばや文字をいくら知っていても、残念ながら誰もが自然と作文が書けるようになるとはとうてい思えない。
おとなは書けてあたりまえ
ところがおとなになったら、作文は書けてあたりまえの世界なのである。
もやもやしたことないですか? あわてて書き方のテンプレートを検索してどうにか当てはめるように書いてみるのですが、自分のことさえうまく表現できなくてがっかりする。
その一方、その人にしか書けない内容を表現豊かに書く人もいる。
知らないうちにとんでもない格差が生じていることに気づくのです。
この差は何か?
貧富の差とか学歴の差、勉強時間の差がまったく関係ないとはいいません。しかし少なくとも日本の場合は、文字を覚えてちょこちょこ書き続けていれば、誰でも素敵な作文が書けるようになることをわたしは知っています。
才能のありなしであきらめてしまうのはもったいない。
作文の場合、その差はほぼ経験値に過ぎないからです。作文が上手な人はおそらく書くのが好きな人で、日ごろから作文を書いているからうまい。書くたびに考えてはことばを選んできた、その経験の差が作文の差にあらわれているのです。
こんな人は作文を習うと伸びる
作文教室は書き続けるための支援をしています。もちろん作文は習わなくてもひとりでこつこつ書き続ければ、だれでもじょうずになります。日記をつけている人なんかはそうでしょうし、仕事や勉強で書く機会が多い人なんかもとくに習う必要はないかもしれません。
作文を習うと伸びる人というのは、ふだんまったく書くことがない人や書く習慣がない人です。そういう人が作文を習って定期的に書くようになると、たいてい飛躍的にうまくなります。
いろんなことを考えたり思ったり学んだりしていて、ことばにしてまとめたり整理できたらいいなあと思っているけれど、なかなか時間がとれずにいるといったような場合はさらに効果が倍増します。すでに書きたいことが決まっているからです。
作文教室をおすすめしたい人
安心できる相手に読んでほしい
安心できる読者の反応がほしい
頭や気持ちの整理をしたい
作文を書く時間を作りたい
何をどう書けばいいのかさっぱりわからない