師匠なき修行…子育て(中学生)
道なき道を行く気分
親になって十数年。
当たり前だけど、娘がこの世で過ごしてきたのと同じ年数の親経験しかない。
その時々で子育ての悩みはあるけど、中学生になった今、また悩みのステージが変わってきた。
世の親御さんが通る道なのだろうが、どこまで介入すべきか、言うべきかという問題だ。
で、言いたいことの中から、言うべきこと、言ってはいけないことを選別する必要がでてきた。
で、そのためには娘の性格を考慮しつつの、わたしの判断力や価値観が問われてくる。
で、それはとっても難しい。
私が娘にする話は長い。
あれもこれも伝えたいと思うのだが、確固たる自信はないので、話しながらも迷う。
しかしながら、説得力を持たせたいがために、自分の経験を引き合いに出す。
そこで、話が長くなる。
経験を話すうちに感情過多になり、そのうち、言いたいことが、見えなくなってくる有様だ。
娘にもいい迷惑だろう(わかっていても途中で終われなくなる…)。
自分でもなんとかせねばと思う。
話は簡潔に、そして冷静に。
娘が幼いころは、わたしが一生懸命伝えようとしている姿勢だけでも、感じて欲しいと思ったこともあるが、さすがにその時期は終わった。
しかしながら、伝えるって難しい。
伝わるということは、噛み合うこと。
単に言えばいいとか聞けばいいとかではない。
理想を言えば、自分の凸凹と相手の凸凹が合致して、一緒に歯車が回せるのが伝わるということだと思う。(求め過ぎ)
新聞で著名人が親について語るインタビューなんか見ると、見せる背中が違い過ぎて遠い目になる。(高いところ見すぎ)
子育ては正解がない。
結果的にとかはあるのだろうけど、結果自体も流動的だ。
自分も正解がわからないのに、生きるための大事なことを伝えるって困難すぎやしないか。
って、気負う部分と、なるようにしかならないって気持ちと。
娘の人生を導くというより、わたしの人生の中で娘とどう関わるかということにもなるのかなと思ったり。
正直、自分の器は小さい。
あえて言えば、それを自覚している分マシってことか。
自分育てでもあるという子育て。
子供と向き合いながら、過去の自分や今の自分を意識せざるを得ない。
師匠なく修行の日々だが、やがてわたしの修行なんて無関係に娘が進んでいく日も来るのであろう。
今が修行のしどころかもしれない。
娘絡み子育て話↓
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