誰かにシャッターを押して貰う必殺技
全員写る意味がある
家族旅行の際、家族揃っての写真を一枚は欲しいと思うわたし。
家族の中でそれに積極的なのは私だけだが、理由はある。
理由1.
写真年賀状の素材にするため。
昔、写真(カメラ)屋でアルバイトしていた時に、毎年、それ用に少し趣向を凝らした家族写真で年賀状を作っていた常連さんがいた。
(当時はフィルムカメラのため、写真屋さんで受付時に原稿となる書類を記載して貰い、ネガフィルムを預かり、写真のトリミング調整などもしていた)
子供だけじゃなく、親も一緒なのは家族全体の雰囲気が伝わって素敵だったし、その後、新聞の投稿で年賀状の写真が子供だけじゃなく本人(受取人の直接の知人である親)が写っているものが見たいというのを読んで、たしかにそうかもと思った。
我が家も子供が生まれた時から、子供の写真年賀状になったのだが(少ない枚数だが、自分たちの記念もかねて作っていた)、子供がある程度大きくなってからは二画面で、写真自体のサイズも小さく、なおかつ一枚は家族写真になった。
ということで、年賀状の素材となる家族写真がほしかったのだ。
理由2.
全員写真で振り返りつつ客観視したいから。
自分(たちの)の写真を自分で撮るという、いわゆる自撮りは、スマホ普及の為せる業。
しかし、自撮りでは人数にしても、構図にしても限界がある。
まあ、あれは、誰誰と一緒、というのが大事なのだろうし、若い人向けだろう。
ここで言う全員写真はそうでなく、もっと引きの写真だ。
観光地や風光明媚な地で、背景を入れて撮るみんな一緒の記念写真。
我が家で進んで家族の写真を撮るのはわたしだけなので、結果、黙っていると、自分の写真がないことになる…。
別に自分が見たいわけではないが、後で写真を見ると、自分がいないみたいで少し寂しい。
思春期娘がカメラに笑わなくなったこの頃だが、娘が幼い頃の写真を見ても、家族全員が写っているものは、娘だけの写真とは違う感慨がある。
自分が写っていない写真は、今の自分で被写体も見てしまうが、自分が写っていると、その頃の自分の感覚が近づいてくる感じがありながらも、客観視もできるという不思議な気持ちが味わえるのだ。
また、記録と言うのは結構大事で、枚数が多い必要はないけど、大切な人と自分が一緒にいる写真を周辺込みで写しこんでおくと、その頃を蘇らせる情報が盛り込まれて、面白かったりする。
家族みんなで共有した「あの時」が封じ込められている感じだ。
ということで、一緒にいる人全員の写真って、意味があると思う。
で、そうなると、
誰かにシャッターをお願いすることになる。
そこで、わたしがやっている二つの事がある。
その1
宿泊施設でチェックアウトの時にフロントで頼む。
忙しそうだと難しいが、そうでない場合は頼むことが多い。
相手も慣れているので、スムーズだ。
ただ、ロビーや建物入口での撮影になるので、ロケーション的にはあまり良くない。
「全員が揃っている」ということだけに意味がある写真になる場合も…。
従って、チェックアウトまでの行程ですでに全員写真を確保している場合は、頼まないかな。
その2
カップルで写真を撮ろうとしている若すぎない人に声を掛ける。
撮りたいなという場所では、皆同じことを考えるので、記念写真を撮ろうとしている人がいるものだ。
そこで、なんとなく人を選びつつ、笑顔で
「良かったら(二人一緒のを)撮りましょうか?」と声をかける。
すると、「いいですか? お願いします」となる。
そして、撮影後、すかさず、
「すみません、ウチも撮ってもらっていいですか?」。
「もちろん、いいですよ~」となる。
まあ早い話が先に恩を売りつつの、win-win作戦だ。
こちらで撮影するとき、何枚か撮るようにすると、交代したときも同じようにしてくれる。
見知らぬ人とお礼を交わし合う、lightなほっこり感のおまけつき。
家族連れでなくカップルであるのは、さっと頼んでさっと終えられるから。
若すぎないというのは、やはり同年代くらいの人が、撮影を頼み頼まれという経験もありそうだし、わたし自身が話しかけやすいということが大きい。
若い人だと、いきなり話しかけても不審に思われそうな気もして、腰がひける…。
と、こうやって我が家の家族写真は年を重ねていっている。
来年も、わたしはどこかで一期一会の方の写真を撮り、シャッターを頼んでいるだろう、きっと。
韓国でシャッターを頼んだら思いがけない展開に…の笑い話。
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