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富山県一人旅の記録・6 瑞龍寺の「筍」からの、とやま鉄道の車内で見た事

ということで、夫と娘(中三)を自宅に残して決行した数十年ぶりの一人旅の記録を連載中。

映えないが、移動感空気感のある情景、食べたものなどの写真を時折時刻を添えて時系列で並べている。
初日の16時過ぎまで進んできたところ。

この記事から読んで下さる方、
1まで遡ってこの日、朝5時、出発前の写真からのご一緒はいかがでしょう?


前回↓


ということで、前回は瑞龍寺で使われている木材がその模様まで計算されて使われているとガイドさんから説明された旨を書き、瑞龍寺山門の吽(うん)形像の写真で終わった。

国宝の山門には阿(あ)形と吽(うん)形の仁王像がある。

口を開いた阿形は怒り爆発の様子を表し、結んだ吽形は内に秘めた静かな怒りを表しているという。

金網越しなので見づらいが、二つの写真を比べて違いがわかるだろうか?
といっても見るのは、像、そのものではない。

こちらは吽形。
こちらが阿形。

それぞれの背後(というか横になるが)の板の目(木目)様子が違うのだ。
阿形は荒々しさを表すような模様で、吽形はそれが抑えられたような模様になっている。
これらはすべて考えられて木材を選び、なされたものというのだ。

いや、ホント、聞かなければ思い至らないし、気が付いても偶然そうなったと思うところだ…。


さて、前回理由を書いたが写真は境内の奥から入口(総門)に戻るルートで撮影されているので、そのつもりで見て欲しい。

山門から仏殿を望む。
仏殿も建造物としても仏像自体もとてもよかった。
中のご本尊「釈迦如来」背後の板の木目も後光?だか雲だか?忘れちゃったけど表しているとのこと。
なんという「仕事」!。



山門全景。
参道の両脇は整えられた白砂。
向うに猫が歩いてるのわかるかな?


こちらは一番最初にある総門の一部分。

ガイドさんに最初に説明されたのは総門だが、木目の話はここから始まった。
上の写真の板、模様が揃っているが、もちろん意図してそうなっている。
何をイメージしているかと言うとタケノコだというのだ。
驚くべきスピードで成長する竹(孟宗竹は一日に1m伸びることもあるとか)のように一族が繁栄することを願ってらしい。

うん、知らなきゃスルーの場所だけど、知れば知る!というところか。


加えて家紋にまつわる話もあった。

総門の上部の横木には家紋が等間隔で並んでいる。

どこもかしこも意味が込められている気がしてくる。
職人は、アーティストだ。

瑞龍寺を作った前田家の起源をさかのぼると学問の神様:菅原道真になるらしいのだが、その家紋は梅。
前田家の家紋は梅を踏襲しつつ、中心部からギザギザが出たデザインになっているのだが、それが表しているのは武家らしく「剣」とのこと。


注目すべきは梅の木目である。
五つの花弁は、中心部と同心円を木目で作るようにデザインされているのだ。
写真の梅はその特徴が一番きれいに出ていた。


充実した気分で閉門の16:30に瑞龍寺を後にできたのは、ガイドさんの案内に負うところが大きい。
家族旅行だと参加しなかったかもしれないので、このような臨機応変も一人旅のよさ。

高岡駅への戻り道で、行きに確認したサインポールが点灯しているのを確認。

モールとか星とか付けたらクリスマスバーションになりそうな。


日暮れの高岡駅。

高岡駅からあいの風とやま鉄道で富山駅に戻ったのだが、主に学生のラッシュに重なった。(それにしても距離などの関係とは言え、地方の鉄道にはトイレがあるのがいい!)


その電車の中で、「へ~、不文律になってるのかなあ」と感心したことがあったので、書こうと思う。(これについて地元の人に聞いてみたい!)

高岡駅から電車に乗るとボックスシートの車内は混んでおり、わたしはかろうじて車両の端の横長シートの一番端(連結部隣)に座ることが出来た。
私の向かいには大学生っぽい男性が座り、やがてその男性の前に同じ年ごろの男性が立った。
わたしの席の前には立つ人はいないので視界良好。

車内は制服を着た小学生がたくさんで、その賑やかで移動の激しいことよ! 
「〇ちゃんあっちにいたよ~」とか「こっちだ、、こっちだ!」とか言いながら、あるいは無言で、人をかき分け車両間を行き来しまくりだ。

車両間の移動の際、連結部のドアを横にスライドさせる必要があるのだが、そのドアが小学生(低学年)にはかなり重い様子が見て取れた。

で、なにが起きていたかというと立っていた男性がそのたびに、ドアが開きやすいようサポートしてあげていたのだ。

なんとか自分で開けることができる子もいれば、時間がかかる子もいたが、そのすべてについて、様子を見、必要なサポートを提供。
それについてお礼を言う子も一人いたが、多くは何も言うことなく。

また男性の方も、微笑むでも子供に声を掛けるでもなく、無言、かつ当然の様子で、5.6回はサポートしていたと思う。


子供を持つような大人が微笑ましいって様子で「大丈夫~?おばちゃん開けるよ~」とか言いながらサポートするのなら、驚きはない。
わたしが手伝う場合はそうなるだろう。

というのも、男性が何度もやるのを見て、次はわたしが手を伸ばしてサポートしたほうがいいかとよぎったが、男性の「自分がやるのが自然で当たり前」な空気に出る幕じゃないと判断。

「自然で当たり前」の根拠が実はもう一つあった。

サポート男性がその場所に立つ前にも、小学生のドア開けがあった際に、わたしの向かいで座っていた男性のサポートの構え(小学生の様子を見守り、手を伸ばすようなそぶり)を目撃していたのだ。(その時の小学生は自力で開けられた)

(え、やさし~!)と向かいに座っていたおばちゃん(=わたし)は、ほっこりしていたのだが、優しい若者NO.2の出現に、もしや、連結ドア付近にいる人は、小学生のドア開けサポートをするローカルルールがあるのでは?! と思い至った。

そう思うと、小学生たちがその手助けにいちいちお礼言わない(自然に受け入れている)のも不思議はないと思え、なんだか子供を見守る感じが素敵と思ったのだ。



が、これって、たまたま?? 思い込み強すぎ???


ってなことを思いめぐらせるうちに、富山駅に到着。

夜の富山駅。横長に広がっていて綺麗。
時計は17:17。
後ほど、高い位置からも眺めることとなる。

空腹を抱えて食べログ百名店のお店に行くのだが、そのからの話は次回。
またお待ちしています!



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