手紙・2 再びつながること-2
なかなかどうしての石つぶて
12月のはじめ、一年越しで手紙の返事を書いた。
相手は、大学時代に出来た友達。
当時、自分のなかにあった澱を明かせる相手を求めていた私が、出会えた相手だったが・・。
前回↓
大学で知り合った友達は、今までの友達と違っていた。
率直で、裏表がなく頭がいい。
自分を知っていて、その自分を隠さず、周りにどう思われるかより、自分のしたいことをしているように見えた。
衝撃だったと同時に、正直、逃げ腰にもなった。
これまで友達に対しても透明ビニールカーテン的な壁を作っていたわたし。
嘘をつくわけではないが、肝心な部分は濁したり、ごまかしたりして流してきたことも多かった。
しかし、そこをしっかり突いてくるのだ。
これまでは、(自分を)わかってもらえない、という感じだったけど、(相手を)わかることができるだろうかという気持ちになった。
家族関係の複雑な事情も、友達たちは言葉の端々に出してくる。
それを拾い上げ、わたしなりに組み立てて出来る画は、中々にキツいなと思わざるを得ないものだった。
しかし、友達たちが、そこに感情を載せていた印象はない。
同じようなことに悩み、強くなってる人たちに出会えて、気持ちがラクになった一方で、すごいな、皆に比べたら小さいわたしの悩みも、こんな風に言える日がくるのかな、色々と友達に追い付いてないな、とも思ったのだった。
とにかく、そんな友達のひとりがKちゃんだった。
Kちゃんについて、詳しく書くこともできるが、そこは省く。
ここで、言いたいのは、Kちゃんには、出会った当時から、会わない間も含めて、今の今まで変わっていないこと(ずっとその確認はできていた)があるということ。
何かというと。
それは、彼女の書く字である。
率直に言って悪筆である。
う~ん、悪筆? 雑な字?。
勢いで書いたような字は、毎回なかなかの暴れっぷりで、同時に縦長なフォルムは本人にも似て。
その字を見るたびに、ああ、変わっていない、Kちゃんの字!と、愛おしさに似た気持ちで口角が上がる。
同時に、学生時代の自分や友達の姿、交わされた会話が思い出される。
年賀状に添えられる、短いながらも社交辞令はない言葉にも、毎回楽しませてもらっていた。
(ちなみに、お互いのメルアドも電話番号も知らない)
そんな、年に一度のやり取りで続いていた関係に数年前に変化があった。
続き↓
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