見出し画像

短編「三丁目と猫」

一昨日、ぱっきりと髪を切り、ちゃんとしたおかっぱに戻りました。
じつは12月後半から1月のあたままで、ちょっと日本に帰っていたのです。プノンペンに戻った際、政府による強制隔離を経験しました。2週間、ホテルに閉じこもった生活。そこで何かを残したいなと考え、小説を書いてみることにしました。ホテル・缶詰め、ときたら文豪・小説が思い浮かぶ安易なわたしです。プノンペンのホテルで書いた物語は、「三丁目と猫」という短いお話です。ライターは小説家ではないので、うまいこと書けず苦悩しましたが、楽しかったです。おかげで、生産的な隔離暮らしでした。


「三丁目と猫」

無印良品の既製品のカーテンは、僕の部屋の窓には少し寸足らずで、朝になると朝陽が漏れ入ってくる。
もう春なんだな。
日に日に朝陽は、その強度を更新している。そろそろ起きてカーテンを開けよう。

立ち上がった僕の目線は、いつも見えているものをとらえてはいなかった。
まだ眠っていて夢の中にいるのかと思ったけど、まったく覚めない嫌な夢だ。

1990年3月のある朝、起きると体が小さくなっていた。その理由もまったくわからないまま、思わず床で爪を研ぎ、ああ、これじゃあ引越しのときに敷金が返ってこないじゃないか、と地団駄踏んだその足には、やわらかい肉球がついていた。

僕は、猫になっていたのだ。
一体、何がどうなっているんだ? どうやら夢ではないようだった。

僕が住む月見ヶ丘三丁目のアパートは、オートロックとかそんな立派なもんはない。昨夜はゼミの追い出しコンパで酔って帰ったからか、ドアの鍵はかけていなかったようだ。おいおい、不用心じゃないか、と自分につっこむくらいの余裕は持ち合わせていた。部屋におかしな呪いでもかけられたのかもしれないから、とりあえず、外に出てみることにした。呪いなんて信じるような性格ではないんだけど。

僕の名前は内野青。都内郊外の国立大学の教育学部4年生。ただいま人生最大のピンチの最中にあった。じつは来月からの就職が決まっていない。僕は小学校の教師になりたかったんだ。けれど、見事に東京都の採用試験に不合格。私立学校をいくつか受けてみたものの、なんの天罰か、全部不採用。結局、教師になるチャンスが来る日まで、フリーターになっちゃったというわけ。
僕には、家族や身内はいない。
なんの因果か、いま僕が通っている大学の付属病院の小児科にある待合室の椅子に置き去りにされていたんだって。別にその病院で生まれたわけでもない生後半年にも満たない赤ん坊は、18歳になるまで、いわゆる児童養護施設で育った。親に捨てられた僕が包まれていたのは、内野という会社の青いバスタオルだったんだって。だからって、こんな名前がつけられるなんてうそみたいだけど、僕はこの話を友だちにも積極的にしゃべっている。だって、ふざけていておもしろいだろ、まるで謎解きみたいなこの名前。
僕が生きてきた世界は、施設と学校だけ。学校にいる間は、親がいる子もいない子も平等だった。突き抜けて明るい(と自分では思っている)性格が奏功してか、僕は決して寂しい孤児じゃなかった。だから、僕は学校が大好きで、教師になるという夢を抱いたんだと思う。高校卒業と同時に施設を出なければならなかったんだけど、運良く奨学金がもらえて、バイトまみれではあったけど、無事に大学の卒業を迎えることができた。
って、無事か? 僕の生い立ちなんてどうでもいい。いま、問題なのは、この体だ。こっちの方がよっぽど、人生最大のピンチじゃないか。

白に黒いブチが3箇所にあった。あ、僕の体の模様の話。しっぽの付け根と背中、あと鼻の下。これって、まるでちょびひげだ。おそらく雑種なんだろう。どうせなら、もっとスマートな美猫がよかったな。三丁目コーヒーのガラスドアに映った猫を見たときの素直な感想、笑える顔だな。
僕はいま2つアルバイトをして暮らしている。ひとつは中学受験の進学塾で個別指導の講師、もうひとつが、三丁目コーヒー。主にウェイターだけど、食事も作るし、最近はコーヒーだって淹れさせてもらえるようになったんだ。三丁目コーヒーとの出会いは5年前、僕が高校生で大学受験を目指していたときだった。この喫茶店の存在は、小さいころから知っていた。なにせ施設から目と鼻の先にあるんだから。施設に帰ると小さい兄弟たち(あ、施設の子どもたちはみんな兄弟姉妹のように育つんだ)が僕に絡みついてきて、とても勉強なんてできやしない。僕は面倒見のいい兄貴だったと思うんだけど、さすがに人生を掛けた受験だったからね。もし国立大学に合格しなかったら進学はあきらめて就職すると自分を追いつめてもいたし、皿洗いや店の片付けをするという約束で、店の片隅、奥のひとりがけテーブルで毎日閉店時間まで勉強させてもらっていた。脱サラした夫婦、僕はおじちゃんとおばちゃんって呼んでいるけど、ふたりでやっている小さな店。ちょっとゆっくりめのモーニングから夕食どきまで、常に常連客が来る、そこそこ人気の店だと思う。おすすめはもちろん、おじちゃんが吟味して仕入れた豆をブレンドした自家焙煎のコーヒー、名前は三丁目ブレンド。おばちゃんのナポリタンも絶品。高校3年の1年間、僕の夕食は毎日ナポリタンだったと言っても過言ではない。それだけ毎日食べても飽きない味。受験が終わっても、僕はそのまま居ついてしまい、アルバイトとして雇ってもらったというわけ。おじちゃんとおばちゃんは、僕に親戚がいたらこんな感じだったんだろうなって、そう思わせてもらっている存在だ。ポジション的には、僕の両親どちらかの兄弟と配偶者といった感じ。施設のお母さんは、僕が赤ちゃんのときから育ててくれた、気持ち的にはお母さん。だけど、僕の中で、両親という存在は、代わりに誰かをあてがうことができない。どんな存在か想像がつかない、だからこそ、その代わりに誰かがなることは不可能なんだと思う。
大学に通うことになっても、僕は施設から歩いて10分の場所にある、6畳ひと間のアパートを借りた。それは、施設から離れたくなかったというより、三丁目コーヒーのそばで暮らしたかったから。結局僕は、月見ヶ丘三丁目から外へ出ることができないみたいだ。相変わらず僕の世界は、狭い。

猫になってしまった僕。いつもよりだいぶ時間はかかったけれど、肉球付きの足が向かった先は三丁目コーヒーだった。来たからといっても、猫なんだから、ドアの前で途方にくれるしかなかった。あ、常連のカンさんが来た。カンさんは売れない劇団員をもう20年もやっている。容姿はそこそこかっこいいアラフォー男子。僕にとっては、年の離れた兄貴のような存在なんだ。毎日、三丁目コーヒーで「苦い! 」ってオーバーリアクションでおじちゃんのコーヒーを飲むのが日課。たぶん年間で300杯近く飲んでいるだろうコーヒーを、毎度毎度いちいち苦いって言う。あのリアクションだからいい役がもらえないんじゃないか、と僕は密かに心配していた。
「マスター、いつもの! 」
また苦いって言って飲むんだろう、三丁目ブレンドを注文したみたい。
「店先に、見かけない変な猫がいるけど? 腹減ってんじゃないの? 」
カンさんがどうやら僕のことをおじちゃんに話しているみたいだ。”変な”とは余計だけど。
「おじちゃーん、カンさーん、僕だよー、青だよー」
そう言っているつもりなのに、この小さな声帯を通して出てくる音は、猫のあれになっている。にゃー、にゃー、にゃーん。ああ、僕は、やっぱり猫なんだ。

30分も店先にまるで狛犬のように佇んでしまった。そろそろコーヒーを飲み終わったカンさんが、駅前のフィットネスクラブのアルバイトに出かけていく時間だ。
「おい、猫! お前まだいたのか? 」
「マスター、ミルクでもあげたら? 」
カンさん、やさしい! そういえば、腹も減ってきた。
ふわりと、体が浮いた。僕はおじちゃんに抱きかかえられたのだ。そしてお店の中へ招き入れられた。僕の勝手知ったる三丁目コーヒーに。
2箇所も欠けてしまったソーサーにぬるいミルクを入れたものが、僕の鼻先に差し出された。これは僕のミスで欠いてしまったものだった。さすが「何かに使える」が口癖でなんでも取っておいて物を増やしてしまうおじちゃん、捨てていなかったんだね。ところで猫って、液体をどうやって飲むんだ? とりあえず舌ですくってみたら、なるほど、猫の舌ってこんなに便利なんだな。おいしいよ、おじちゃん。おばちゃんもやって来て、僕はなぜかひどく笑われている。
「この子おひげが生えていますよ、チャップリンみたいなちょびひげが。見てくださいな、ちょびひげにミルクがついておかしな顔になってます。ははははは」
お腹が満たされると眠くなった僕は、受験勉強で使っていた奥のテーブルの下で、丸くなって寝てしまった。睡眠に入る直前僕は願っていた。どうか目が覚めたら、22歳の人間の内野青に戻っていますように。

いいにおいで目が覚めた。おばちゃんのナポリタンだ。
あれ? 僕はアルバイトの途中で寝てしまったんだろうか? それは申し訳ないことをした。おじちゃんおばちゃん、ごめんなにゃにゃーん。
最悪なことを思い出してしまった。そうだ、僕は猫になったんだ。そして、これは夢ではなく、現実だった。
ナポリタンを注文したのは、商店街で布団屋さんを営んでいる桃太郎じいさんだ。いまどき布団屋なんて、どうやって稼いでいるんだろうって、余計な心配をしてしまうんだけど、桃太郎じいさんも80歳はとうに過ぎているはずなのに、毎日のように三丁目コーヒーにナポリタンを食べにくるんだから、それくらいのお金は持っているんだろう。そして、とても洒落たじいさんだと思う。イタリアのナポリにはナポリタンなんてない、そう教えてくれたのは桃太郎じいさんで、布団屋とイタリアの組み合わせがちぐはぐで笑ってしまった。ちなみに桃太郎は元本名らしい。桃太郎じいさんの息子が小学生になったとき、息子が親の名前でからかわれていじめられたことがあったらしく、裁判所に行って、改名をしたのだそう。二郎に。桃太郎なんだから太郎にすればいいようなものを、布団屋の長男のくせに二郎と名前を変えてしまった。ところが、30年以上使ってきた名前を急に変えられても困るってことなのか、誰も二郎なんて呼びやしない。今に至るまで、桃太郎と呼ばれてしまったそうだ。僕は、いいと思うけど。桃太郎なんて、世界中で知られている話だし、第一、鬼を退治したヒーローなんだから。桃太郎じいさんの子分は確か、犬、猿、きじだったかもしれないけど、こんな猫の僕の相談にのってくださーい。僕を人間に戻してもらえないでしょうか。

手招きをされた。猫に向かって手招きをする桃太郎じいさん。え? 僕? どうもいらっしゃいにゃー。あ、ダメだ、話はできないんだった。桃太郎じいさん、スパゲッティを2本ほどフォークにすくって、しわしわの手のひらへ。その手のひらを僕に差し出してきた。いいの? 僕は、大好きなナポリタンを、桃太郎じいさんの手からいただいた。なんてこった、猫の歯ってのは、まったく物が食べにくい。うまく噛めやしない。僕が首を振るもんだから、口に入ろうとしたスパゲッティが鼻先で暴れた。おばちゃんがやって来て、また笑っている。
「おやおや、今度はちょびひげにケチャップが付いてますよ。ははははは」

そして、僕の名前は、「ちょび」となった。

もうお察しのことと思うけど、僕は三丁目コーヒーの猫になった。
アルバイトの内野青が無断で欠勤したことに心配したおじちゃんがアパートを見に行ってくれたことで、月見ヶ丘はちょっとした騒動になったんだ。卒業式を数日に控えた大学生が雲隠れしてしまったんだから。僕には家族も身内もいないから、僕がいなくなったところで、困る人なんて、正直いない。でも、ゼミの教授や友だちや塾の同僚たちも、ひどく心配して探し回ってくれたみたい。捜索願いなんて、刑事ドラマでしかみたことがないものも出されたから、僕の6畳にも警察が来て、いろいろ調べていったらしい。ああ、恥ずかしい。もしものときのために机の一番上の引き出しの奥に隠してあるあれとか、ベッドの下に押し込んであるあれとか、見られていないだろうか? いや、見られたんだろうな。もっとちゃんと掃除をしておくべきだったな。って、まさかこんなことになるなんて思わず、前の晩にゼミ仲間と居酒屋でしこたまハイボールを飲んで帰ったんだ、多少荒れていても、仕方ない。店でおじちゃんがカンさんと話しているのを聞いたんだけど、内野青という捨て子育ちの天涯孤独な青年は、就職が決まらず悩んでいたから、将来への不安を抱いて自殺という路線でも調べられたんだって。僕がねぇ、自殺ねぇ。へぇー。奥多摩にでも行って多摩川の上流に飛び込んだか、富士の樹海で首を吊ったか、そんな風に思われたのかもしれない。実際の僕は、天真爛漫に就職浪人を決め込んでいたんだけどね。結局、僕の捜索はすぐに打ち切られたそうだ。日本では、年間で8万人も行方不明者がいると聞いたことがある。しょせん僕も8万分の1の青年になったってことなんだな。警察の方々、ご苦労をかけてしまってごめんなさい。僕は、猫になりました。
内野青がいなくなった日に店に現れたちょび。何かの因果を感じてくれたのか、いっこうに店から立ち去ろうとしないちょっとブサイクな猫に同情したのか、おじちゃんとおばちゃんは、僕を拾って飼育してくれることにしたらしい。戸建ての喫茶店は2階が住居になっていて、喫茶店をやるときにまるごと買い取ったおじちゃんとおばちゃんが住んでいる。僕はだんだん猫の暮らしを満喫しはじめた。僕が愛する商店街の住民と過ごせて、みんながかわいがってくれることにすっかり調子に乗ってしまったのかもしれないけれど。お金や飯の心配をしなくて過ごしてきたことなんてて、そういえば僕の人生にはなかったような気がする。猫になってようやく、僕は孤児じゃなくなったのかもしれない。


信じられないだろうけど、僕が猫になって、まもなく3年の歳月が流れようとしていた。おじちゃんとおばちゃんも、三丁目コーヒーを訪れる常連のお客さんも順当に3つ歳をとった。そういう僕も、おじちゃんがくれるミルクや、お客さんからカリカリや缶詰をいただいたりなんかして、立派な風格の猫になった。すっかり看板猫になった僕のために、お土産を持ってきてくれる人だっているんだから、かわいいって、罪だな。ちょっとブサイクくらいがかわいいと聞いたんだけど、えーっと、そう、ブサカワって言うんだって。
90歳近くになった桃太郎じいさんも、多少腰のあたりが痛いみたいだけど、元気に店にやって来ては、ナポリタンを注文する。おばちゃんが、桃太郎じいさんの分だけ、パスタを長めの時間ゆでて柔らかく作ってあげていることを僕は知っている。入れ歯ではないのが自慢らしいけど、どう見ても歯の本数が足りていないようだから。そうそう、カンさんが映画に出たんだ。苦節20年、舞台で準主役みたいなのを演じた時、どこかの制作会社か何かの人が見に来て、カンさんに目をつけたらしい。カンさんは相変わらずのイケメンだし、アルバイトをしているフィットネスクラブでは、自分も余念なくトレーニングをして、いつでもアクションのオファーが来てもいいよう鍛えていたって言ってた。あ、映画の役どころは、主人公の同僚(ふつうの会社員)で、肉体の見せどころはまったくなかったらしいけど。おばちゃんは、商店街のマダムたちを誘って、3回も映画館に行ったんだって。三丁目コーヒーを貸し切りにしてお祝いもやった。「カンノ映画祭」とかって誰かが親父ギャグみたいなことを言って、たのしい宴会だった。僕も見たかったな、スクリーンに映るカンさん。

数ヶ月前から、あたらしい常連さんが増えたんだ。さきさんっていう名前のカンさんくらいの年齢の女性で、最近この街に引っ越してきたとかで、桃太郎じいさんのところで布団を買ったんだって。それで無駄話をしていたとき、桃太郎じいさんが、三丁目コーヒーのナポリタンを猛烈に勧めたとか。元々喫茶店のナポリタンが好きだったさきさんは、試しに食べたナポリタンにすっかりハマってしまって、ほぼ毎晩、ナポリタンを食べにやって来る。さきさんの仕事は月見ヶ丘小学校の給食のおばさんだ。懐かしい、僕の母校。毎日子どもたちのために大きな鍋や釜で食事を作っているから、家に帰ると自分で作りたくないんだって。さきさんは、相当の猫好きみたいで、店に来ると、僕を呼んで隣に座らせたり、膝の上に乗せてくれたりして、ナポリタンを食べて行く。だから最近では、さきさんが来ると僕は自分からお隣にお邪魔して座らせてもらうことにしているんだ。看板猫だからね、これくらのサービスはお手の物だよ。

僕は、気づいてしまった。
さきさんは、僕に話かけるとき、すごく悲しい顔をすることがある。家族の話は一切しないんだけど、なんだかね、自分と同じにおいがするんだ。たぶん、僕と同じ天涯孤独の身なんじゃないかという想像がつく。アパートにひとり暮らしだって言ってたし、この街に来る前の話はしてくれたことがない。猫が飼いたいけどアパートがペット禁止だからって話してたから、僕をこんなにかわいがってくれるんだと思う。撫でてくれる手が、とてもあたたかくて格別に心地がいい。僕はよく、さきさんの膝の上で居眠りをした。

夢なのか現実なのか、居眠り中の僕はさきさんが話しかけてくれている声を聞いた。僕は驚いてさきさんのズボンに爪を立てそうになったのを必死でこらえたんだ。
さきさんは、こんな話をしていた。きっと僕が人間のことばをわからないと思って話してくれたんだと思う。

「ちょびちゃん。私もね、猫だったことがあるのよ。突然猫になっちゃって、そしてまた突然人間に戻ったの。人間に戻ったらもう二度と猫になることはなくなっちゃったけど、人間の私はとても寂しいな。私、猫のままでいたかったのよねぇ。すごくやさしい家族がかわいがってくれたのよ。今はまた、ひとりぼっちになっちゃった。また、ひとりに。」


「起きられますかー? 大丈夫ですかー? 」
さきさんのやさしい声が聞こえなくなったと思ったら、マスク姿のおまわりさんに揺り起こされた。なぜ三丁目コーヒーにおまわりさんが?
目が覚めると、僕は、月見ヶ丘駅前の交番にいた。なんでこんなところにいるんだろう?
体が重くて動けない。僕には、人間の手と足がついていた。なんと、人間に戻っていたのだ。内野青の体に戻ったのだ。
おまわりさんが言うには、近くのマンションのエントランスで見知らぬおじさんが寝ていると通報があり、大人が2人がかりで引きずって交番まで連れてきたものの、酒にも酔っていなそうなのに眠りこけてなかなか起きなかったんだそうだ。それで救急車を呼ぼうとしていたところらしい。

深夜の交番の窓ガラスには、50歳くらいのおじさんが映っていた。
壁のカレンダーに目を移すと、僕は失禁しそうになってしまった。できそうな体の弱り具合だったし。カレンダーが示しているのは、2020年3月。に、にせん、に、にじゅうねん?

僕が猫になったのは、1990年。世の中はバブルだなんだのってはしゃいでいた時代、貧乏学生だった僕は、そういう輩のことを恨んだもんだけど。猫でいた3年が30年だった、という計算になる。おいおい、これって浦島太郎かよ! 桃太郎ならまだ親しみがあるけど。なんて自分につっこんでいる場合ではない。

僕があまりに青い顔をしていたからおまわりさんが家族を呼ぶか家までタクシーに乗りなさいって言ってくれたんだけど、僕には家族なんていないし、僕の家は三丁目コーヒーだ。なぜだか知らないけど、渡された白いマスクをつけて、店まで走った。30年後ってマスクをつけないと生きていけない世の中なのか? 
三丁目コーヒーがある場所には、細くて背の高いマンションが建っていた。どうやら、ここが、僕が寝ていて通報されたマンションらしい。
2020年のここには、もう三丁目コーヒーはなかった。おじさんとおばさんは、生きているんだろうか? 生きていたら桃太郎じいさんくらいに歳をとっているはずだし、桃太郎じいさんはもう天国だろう。生きていたら妖怪だな。なんて、僕はこんな時でもちょっと冷静に考える頭をもっているみたいだ。だって、50歳を越えたいい大人、というかいいおじさんなんだから。

どうしたことだろう、冷静になったところで堰を切ったように、涙が溢れてきて、涙だけじゃなく鼻水もひどいことになってきて、交番でわたされたマスクはぐしょぐしょになった。僕の頭の中に、突然、目が覚める直前のさきさんの声が再生されたからだった。

「わたしにはね、夫はいなかったけど、ひとりで生んだ赤ちゃんがいたの。ある夜、その子が熱を出しちゃったから、慌ててバスタオルに包み、大きな病院の救急に連れていったの。待合室で診察を待っていたときに・・・・・・。待っていたときに、それが来ちゃったの、それが来ちゃったのよっ。私、病院で、猫になってしまったの。この子は私の赤ちゃんですってどんなに泣き叫んでも、周りは突然現れたうるさい猫に驚くばかりで、ついに警備員さんに病院の外に追い出されてしまった。ああ、わたしの赤ちゃん、赤ちゃんって、どんなにドアをガリガリしたって、追い出されるばかり。赤ちゃんのことを思いながら数日さまよったあと、小学生1年生の女の子に拾われたの。やさしいお父さんとお母さんはわたしを家族として受け入れてくれた。でもその子の家族はそれからすぐに月見ヶ丘から引越してしまって、私ももう赤ちゃんと会うことが叶わなくなってしまったのよ。それから2年、その家族のもとで猫として平穏に暮らしていたんだけど、ある日突然、人間に戻ったの。20年も経っていたなんて、信じられる? ねぇ、ちょびちゃん。」


日本では、年間で8万人も行方不明者がいると聞いたことがある。野良猫や保護猫も後を絶たないという。

30年もすっとばして人間に戻った僕内野青は、いま2匹の猫と暮らしている。この猫たちが突然いなくなっても、たぶん心配することはないだろう。職業は、喫茶店の雇われマスターだ。肉球じゃなくなった僕の手は、以前のように上手にコーヒーを淹れることができている。三丁目コーヒーのおじちゃん仕込みの苦いコーヒーを。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?