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父の誕生日と、妹、突発的伊勢参り

11月4日は父の誕生日でした。離れて暮らすわたしは、親の誕生日には数日前に自分の趣味で何かしらを選んでAmazonをポチッとするのです。ぬかりのない妹は、相手の要望を汲んでプレゼントをするタイプ。優しい親たちは、「どっちもうれしいよ」と言ってくれます。

キラーコンテンツ

誕生日当日、家族のグループLINEに父へのバースデーメッセージを送ろうとしたところ、妹からメッセージ。「昨日の夜急に思いついて、朝5時に家を出ていま伊勢神宮にいます! お父さん、お誕生日おめでとう。お伊勢さんにも伝えておくよ」だって。妹は東京に住んでいるのだけど、突発的に伊勢参りに出かけたみたい。これは、何かあったな? と思ったのだけど、ご本人、楽しそうに外宮と内宮を巡って、鳥居の写真を撮って、お札を買ってご満悦のようでした。母は、「伊勢様はわが家の神様です。実家の分までよろしく頼みます」という返信。やっぱりぬかりない妹は、実家の分までお札を買っていました。”伊勢神宮のお札”、これはわが家にとってはキラーコンテンツなのです。

神様とわが家

わが家には仏壇がありません。先祖代々の写真や大きな神棚はあります。線香も使わないし、おりんをちーんと鳴らすこともない。手を合わせる前にはパンパンと2回手を叩かなければならない。母の実家や友だちの家とどうして違うんだろう? と小さい頃は思っていましたが、わが家は神道だったのです。本当か嘘か、むかしおじいちゃんが言っていたことには、うちの集落は山奥過ぎて、仏教が入ってこなかった、だからこの集落はみんな神道なんだよと。確かに、ご近所さんもほぼ神道だし、集落に神社はあるけどお寺はありません。
さて、神道には八百万の神様いらっしゃいますが、その頂点に君臨しているのは伊勢様なんでしょうね。母が言うところの「伊勢様はわが家の神様」は、そういうこと。だから、そのお札が手に入るというのは、狂喜乱舞の話なのでした。

江戸時代の伊勢参りとわが集落の伊勢参り

江戸時代には、だいたい60 年に一度、伊勢参りが大流行するという現象があったそうです。日本全国から大勢の人々が伊勢神宮をに参拝に出かけるこの現象は、「仕事をしていた人が急に思い立ち仕事を抜け旅立つことから“抜け参り”、神々のおかげをいただくことから“おかげ参り”とも呼ばれた」とのこと。江戸時代の人も急に思い立ったりしたんですね。うちの妹はまさに”抜け参り”じゃないですか。大勢が参拝に行ったと言っても、お金も時間もかかるので誰でもいつでも行けたわけではありません。そこで中世から近世にかけて伊勢講というものがありました。集落のメンバーがそれぞれ旅費の積み立てをして交代で伊勢参りに行くというもの。そこまでして一生に一度は行きたい場所だったのでしょうね。わが家のご先祖たちもこれをやっていたのかもしれません。

わたしの伊勢参り

わたしは一度しか伊勢神宮に行ったことがありません。10年くらい前。休日に1泊2日で行ったのだけど、式年遷宮前だったかでものすごい人だったことを覚えています。伊勢周辺の宿がどこもいっぱいで取れず、津市のビジネスホテルに泊まって参拝に行ったのでした。TSUという響きだけで一回は行ってみたかった街なので、それはそれで楽しかったけれど。そういえば、あのときは妹とふたり旅だったなぁ。妹め、あんた伊勢様がお好きね。

つまりは、ぬかりのない妹の突発的伊勢参りが妙にうらやましくて、筆をとった姉でした。数年以内に、日本に一時帰国した際には、伊勢参りに行こうと狙っています。突発的にね。

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