いなくなったら悲しくなると思った。もちろん悲しいけど、これからの不安しかなくて。どちらも苦しいし、疲れたし、お疲れ様だし、頑張らないとだし。苦しんだ分、やすらかに。
画像を振り返ると、大昔に推し(一般人)から奢ってもらった紙パックが。写真に収めたいつかのカフェオレ。無表情無感情無関心、三拍子揃った素敵な人でした。(笑顔見たことなかった)お金欲しいからまた働きたいかも。
分かり合えないマイフラストレーション♪ 矛先変えてみたら、わかろうとしてくれる人がいて救われた。守るからね、伝えとくからね、とかもう休んでいいと思うよなど、優しく言われたことなくて、思わず言葉に詰まるように泣いてしまった。無給だからこれから極貧生活が始まるけど、責任は私にある。
説明下手と理解下手が一緒にいたら絶対破綻するよね。歩み寄る気持ちが大事だよね。でも歩み寄ってもらっても理解ができないんで、申し訳ってなるけどやらせる方が間違いじゃね?臨機応変を都合よく使うのやめやーお互いにな。