見出し画像

【俳句鑑賞】一週一句鑑賞 24.02.18

薬屋に辛夷咲いたと父の言ふ

作者:西田月旦
出典:おウチde俳句くらぶ 第3回おウチde俳句大賞

季語は「辛夷(こぶし)」で、初春・仲春。この季語については、どんな花であるのか一発で分かる有名な佳句があります。「青空に喝采のごと辛夷咲く/白濱一羊」。まことにその通りで、ときには20メートルにもなる樹高、大きく広がる枝々、そこにびっしりと咲き乱れる白き花々は、本格的な春の訪れを寿ぐかのようです。
なお、「こぶし」の名は、花の形が子どもの握りこぶしに似ているから(諸説あり)、「辛夷」の漢字表記は、蕾や種子に辛味があり、中国・日本(「夷」は東方民族の意)において漢方薬の原料とするところから(諸説あり)、とのこと。印象的な響きと表記であり、このあたりも季語の本意に関わってきそうです。

掲句は、この作品が発表された場(おウチde俳句大賞授賞式)に僕もおりまして、会場の空気感をよく覚えています。大賞候補として作品が音読されたとき、(もちろん僕がそんな空気を感じたというだけのことですが)「辛夷ってどんな花だったっけ……?」「分かりやすすぎる句で、どのように詩情を感じ取って鑑賞すれば良いのだろうか……?」という戸惑いの「?」が、会場のそこここを漂っていたように思います。それもあって、僕が会場で鑑賞を述べる際も、まず「辛夷」の持つ印象についてから話し始めたのでした。

「辛夷」はモクレン科であり、同じく春の季語である「木蓮」、特に「白木蓮」とよく似ています。この二者について僕の思う最も大きな差異は、咲く時期です。「木蓮」は完全に仲春の季語、「辛夷」は初春から仲春にかけての季語という認識ですね。すなわち、「辛夷」の咲く頃というのは、まだ春爛漫の時期にはけっこう遠いのです。空の青も、まだ少しくすんでいる。そんな中で咲く「辛夷」の高さ・密度・白さというのは、本当に眩しく、未来への希望を感じさせる明るさがあるのです。

掲句の「薬屋」は場所とも人物ともとれますが、僕はまず人物と解釈しました。ひと昔前の、立派な邸宅。「父」のもとに、「薬屋」が訪ねてくる。今年も庭の「辛夷」が咲き始めましたよと、父が言うのです。たったそれだけを述べた句であり、特別なことはない、日常のワンシーンに過ぎません。でも、それで良いのです。会話のあと、父と薬屋は一緒に辛夷を眺めに行くかもしれない。その静かで豊かな時間を、この句は内包しているのです。
「辛夷」は希望の花。父の快癒を願う作中主体の思いが、この季語には託されているに違いありません。「季語が動く」という指摘はあり得る句でしょうが、作者にとって「辛夷」が動かしがたい存在であることは、読者側が感じ取るべきことであろうと、僕は思います。

散文的、説明的、報告句。これらは必ずしもマイナスに働く要素になるとは限りません。日記のワンフレーズのような平明な語り口調だからこそ、自然体の自分のまますっと感じ入ることができる。そして、“詩”は季語が自ずから語ってくれるのです。そういうタイプの作品として、非常に上質なものを読ませて頂いたと、授賞式当日をしみじみ思い返しながら書かせて頂きました。

よろしければサポートお願いします!吟行・句作・鑑賞・取材に大切に使わせていただきます。