【俳句鑑賞】一週一句鑑賞 24.10.27
背中より弱火にせよと秋の暮
作者:黒岩徳将
出典:句集『渦』(港の人・2024)
季語は「秋の暮(あきのくれ)」で、秋。文字通り、秋の夕暮れのこと。“寂しさ”あるいは“もののあはれ”の象徴として、古代から盛んに詠まれてきました。その歴史の長さ・例句の多さゆえ、本意を掴みやすい季語だと言えますが、同時に、既存の情緒から抜け出しにくい(→類想に陥りやすい)とも言え、実作の上ではなかなか厄介な季語でもあります。
掲句は、台所で何かを調理する場面。季語からして、夕食の準備でしょう。
「背中」が誰のもので、「弱火にせよ」が誰の台詞であるかは、読者の想像に任されています。そこを楽しむ一句と受け取りました。
僕の想像は……アパートの小さな一室に同棲している若いカップル。「背中」の持ち主たる作中主体は男性で、「弱火にせよ」は彼女の台詞。
ふだん料理をしない人間にとって、火加減というのは本当に難しいのです。
「ちがうちがう、そこは弱火でじっくり煮なきゃ、硬くなっちゃうでしょ」と、後ろからたしなめられる情けなさよ。隣ではなく「背中」から言われるというのが、またなんとも……。
でもその実、この二人はとっても仲睦まじい関係なのだと思います。
僕にとっての「秋の暮」とはそういう季語で、悲壮感一辺倒というよりは、むしろ少しほっとするような心地よさを感じるんですよね。でも春のようにしっとりと優しい夕暮れではなくて、寂しく乾いている。それがかえって負の感情を肯定してくれているような……。
この作中主体も、自分は火加減ひとつすら注意されるんだなあ……と不甲斐なさを感じていつつも、注意される今この時間さえ甘やかで愛しいものだと感じているのではないか、そんな風に思うのでした。
句集『渦』には、掲句のほかにも「泣き黒子水鉄砲を此処に呉れ」「爽やかや綿飴越しに目が合つて」「肩とんと叩き焚火の番替はる」「花ミモザ呼鈴鳴らすまへに来る」など、ふたりの人物の関係性を想像させてくれる作品がたくさん収録されています。わくわくする句集です。ぜひ読んでみてください。