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【俳句鑑賞】一週一句鑑賞 24.01.28

まだ鹿と判るあばら骨の寒さ

作者:古瀬まさあき
出典:おウチde俳句くらぶ 第38回写真de俳句

季語は「寒(さむ)さ」で、冬。冬という季節をこれ以上なく簡潔に表した、僕の好きな季語のひとつです。夏は暑く、冬は寒い。それに尽きるという潔さ。そして、「暑し」は体感温度のみに終わることが多いのに対して、「寒し」は心の中まで深く及んでくる印象があり、つくづく奥行のある季語だなあと思います。

掲句に描かれているのは、屠られた鹿の無惨な骨。「鹿」は秋の季語ですが、もはやここに季語の力は当然無く、寒風に晒される姿はまさしく寒々しい光景です。地面の冷たさと、風の冷たさと、体感温度としての「寒さ」が確かにそこにはあります。また、剥き出しの骨の白さ、あるいは失われゆく白さ、そして獣の死と、それによって生き永らえる獣もいるという自然界の現実が、心までも「寒く」させる。季語の持つ奥行を活かしきった作品だと思いました。

さらに、技術的な巧さにも目を見張ります。一語一語の選択がとにかく巧く、また的確な位置に置かれているのです。
「まだ」は、屠られ具合・腐敗の具合を映像として伝え、「わかる」の漢字表記に「判る」を選んだのも、句意をスムーズに伝えるうえで地味ながら高い効果を発揮しています。秋の季語「鹿」を早い段階で出しておきながら、本命の冬の季語「寒さ」を最後の最後まで出さない展開も巧み。この落差が「寒さ」をより強烈にします。

また、中七から下五にかけてを句またがりにした、この型の選択も流石です。575の定型というのは、上五・中七・下五の境目のところで、ほんの少し呼吸を許す間があります(“切れ”がなく繋がっていたとしても)。句またがりというのは、その呼吸を許さないところに魅力があるのではないかと思うのです。一気呵成に読ませる力があるんですね。掲句の場合は、「まだ」「鹿と」「判る」までは一語一語ゆっくりと意味を咀嚼しながら読めるのですが、「あばら骨の寒さ」は一気に読まざるを得ない。ここで急にスピードがぐわんと上がり、最後の「寒さ」に突き落とされる印象があるのです。これもまた、「寒さ」を強烈に刻み込む見事な仕掛けなのではないかと思います。

こういう作品に出会うと、やられた!と悔しくなり、同時に嬉しくなり、僕も佳句を詠む意欲が湧いてくるんですよね。つくづく、「読む」と「詠む」は両輪なのだなあと思います。

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