LIFE RECORD third 楽曲制作秘話6-同じ命-
※こちらの記事はアルバム制作の中で今作のデザイナー陣に共有した会話をもとに記載しています。
なるべくわかりやすいように加筆修正していますが読みにくいところもあるかと思います。ご了承ください。
文中
Y=YOU
ト=トミーさん
こ=こうちぶ画伯
な=なっちゅ
その他の制作秘話→ https://note.com/okanyou1030
以下本文
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Y 「同じ命」ですね。
そのまま続けても大丈夫ですか?
こ 大丈夫です!
Y まだ少し音が見えてない段階なので(この時点でアレンジに入る前だった)音が見えてきてからまた共有してもいいかもですが・・・現段階での思いを。
「同じ命」は5年前にあった相模原の殺傷事件をもとに書いてて。
一昨年の7月にその事件の事を忘れずに今後の世界につなげていきましょうっていうのを佛教大学の教授の先生がされているイベントが京都であって、
それに呼んでもらって登壇した時に伝えたメッセージがとても響いたということで、去年コロナでそのイベントが開催できなかったので配信で伝えてほしいというのを依頼してくださった方がいて・・・。
その時に自分の中にあった想いを改めて歌にしたいなって思って書き始めました。
具体的に言うと、僕の中では三つの事柄が合わさって出来ているんですね。
その相模原の殺傷事件で事件の事調べて初めて僕が感じた事っていうのが一つと、ちょうどこのタイミングでおばあちゃんが亡くなったことが一つ。
と、あともう一つが長崎の病院で重度の障がいを持たれた皆さんが入所されている場所で何度か唄わせていただいたときに感じた事の三つが入っています。
相模原の事件は神奈川のやまゆり苑という重度障がい者の方が入所している施設に、もともとその施設で働いていた職員さんが侵入して19名の尊い命を次々に奪っていったという凄惨な事件でした。
もちろん凄惨な事件だし、19名の命が亡くなった大きな事件で・・・・、その中でも1番考えなければいけないのが、その背景にある人間の中の≪差別の芽≫というのが社会に浮き彫りになった事件なんじゃないかということ。
事件については知っていたんですがちゃんと調べて初めて知ったのが結構ショックで。
毎年あの事件の時期になるとネットニュースなどで上がってくるんですけど・・・コメント欄があるじゃないですか?
そのコメント欄見てものすごいショックで・・・・・・命を奪うことはダメだけど・・・・でも犯人が言おうとしていることは理解できる気がするっていう人がめちゃくちゃ沢山いるってことを知ったんですね。
もうむちゃくちゃ多くて・・・コメント欄の「いいね」と「わるいね」の数のバランスとかがもう・・・ぐっちゃぐちゃになってる掲示板って初めて見て・・・普通これ、「いいね」が押されるんだろうなっていう文章・・・
「そんなの絶対にだめだよ」みたいな・・・っていう事を言っている文章に対して「わるいね」の方が多かったりする。
逆に「犯人のいう事少しわかるな」「うちもすごく重度の障がいを持った家族がいて正直もう死んでほしいと思う瞬間あるしな」っていうのに対しての「いいね」がめっちゃついてたりとかというのを見たときに・・・・・
あーーーなんか・・・何が・・・僕たちをそうさせるんだろう・・・って。
すごく悲しい世界だなって思ったんです。
その当事者の家族になってみないと分からない気持ちっていうのがいっぱいあるのかなっていう・・・・・・そんなことをぐるぐると考えてました。
そのことに対しての亡くなられたご家族のインタビューだったりを読んでいくうちに・・・・・自分なりの答えみたいなものを探していったんですね。
そんな中でおばあちゃんが亡くなりそうなタイミングで。
ちょうど亡くなる直前のタイミングにおばあちゃんのお見舞いに行ったんですね。
そこでおばあちゃんがいろんなことを教えてくれたんです。
もうおばあちゃん動けなくて寝たきりで・・・うちの母の事もわからなくて・・・もう言葉も話せないから・・・ただそこに寝てて・・・・呼吸をしているだけの・・・言い方あれだけど・・・骨と皮だけになってしまっていたんですけど。
でも、うちの母とか見てたら・・・おばあちゃんに声を掛れるだけでもすごい幸せそうだし、僕自身も何もできないけど、おばあちゃんの体さすったら・・・・あったかいのね。
「あーあったかいなー・・・おばあちゃん生きてんだなー」とか思った時に「おばあちゃんに今日も会えてよかったなー。まだ生きててくれてほんとよかった。」っていうのを感じた時に、この幸せっていうのは絶対に誰にも否定できないなと思ったんですよ。
これって、さっきの答え合わせとかからの歌からもつながってくるんだけど、ここの幸せの価値観っていうのはその人にしか分からないし。
おばあちゃん、今、何もできないけれど、幸せを感じているかもしれないし。
この家族の・・・今の時間・・・空間。小さな個室の中にあふれているもの。
【小さな病室で 手を握り締めて まるで時間が止まったかのように 流れる幸せを見つめて思う】
っていう部分は、うちのおかんとばーちゃんのシーンでもあるし、なんかいろんなものが重なっていてこの部分。
けど、なんかその幸せな時間っていうのを否定する権利は誰にもないなって思った時に、あーこれが今の自分の中での答えだなって思って。
で、それと同時にすごい思い出したのが、長崎の重度障がいの方々の入所されている施設に唄いに行った時に、そういう光景をいっぱい見せてもらったなって思い出して。
みんな生まれた時から。・・・体も動かない人もいるし、それこそ言葉も・・・意思疎通もできない人もいるし。
で、犯人は意思疎通のできない人間は生きてても意味がないし、価値がないし・・・・介護している家族も本当は早くなくなってほしいと思っているから自分が代わりに殺したんだと。
・・・その・・・たぶん、心失者(しんしつしゃ)・・・って呼んでて。
たしかキングダムハーツっていうゲームの中でそんなキャラがでてくるんですよ。
心失者って呼ばれてて「ハートレス」ってたしか読んだと思うんですけど・・・心が壊れてしまっているハートレスって言ってたから。
その、要は敵を・・・社会にとって邪魔な敵を殺すようなつもりで、自分は殺したから、自分は間違った事はしてないと主張してるんだけど。
けど、みんな心は壊れてなくて。
それは被告が見た・・・勝手なフィルターで見た・・・。
相手の世界に押し付けた被告の勝手な価値観だったって・・・。
そんな考え方だから世界は変わらないんだってすごく思って・・・。
みんな意思疎通が例え出来なかったとしても。
ある人はマイクを口元に持っていくと一緒に唄ってくれて。
終わった後に、「とても今幸せ」って言ってくれて。「歌うたえるの最高」「今日まで生きてきてよかった」って言ってくれて・・・あーもう幸せっすよねって、それはもう幸せだよねって思ったし、うん。
なんか、そういう瞬間を・・・家族が横で見てて。
「よかったねー」って同じようにめちゃくちゃ幸せな顔でいてくれてて。
そういう瞬間をいっぱい見てきたからこそ思うんです。
その時間であったりとか、その家族が感じている幸せだったりとか、その中にある愛情っていうものを否定する権利は誰にもないなって。
すべての人間がいつの日か必ずみんな障がい者になるっていうことを考えると、すべての人間にそういう瞬間が来るから・・・けど・・・そこにその人が生きているだけで幸せを感じる人っていうのは必ずいると。
例えば・・・・その犯人がいつか年老いて何もできなくなって。
障がい者になった時に、はじめて彼はわかるんかなって思いました。
その犯人の価値観が許される・・・肯定されてしまうような世界は僕は絶対間違ってるなと思ったから。
最初答えが全然見つからないところから始まって。
僕がその答えに・・・たどり着けた歌・・・かな。
この歌を書くことで、それがつながって、なんか自分自身教えてもらえた感覚の歌です。
書かせてもらった感覚ですかね。
この最初の・・・サビから始まるんですけど・・・
【私がいなくなったあとこの世界で この子はいったいどうなっていくのでしょう そう呟いたあなたの不安そうな声に 僕は言葉をつまらせ答えを探した】
というシーンは実際に本当にあったシーンで。
その長崎の病院で・・・。
これはそのお母さんが、その「幸せ」って言ったその方の横でそれまで一緒に笑ってたんだけど、ふと・・・ふと表情が変わって、この言葉をボソッとつぶやいた瞬間があって・・・。
「私いなくなったらこの子どうなるのかなー」っていうのを・・・
ずっとそういう不安とも確かに闘いながらいるんだなって感じた瞬間があって。
お母さんがつぶやいた時に・・・・僕はかける言葉がみつからなくて。
自分の中で何度も何度も言葉を探したんですけど・・・・なんかそこの描写を入れたかった。
多分それはネットの中で犯人のいう事がなんかわかるって言ってた人たちの心の声に近いものを感じて。
分かるけれどでもなんか、そうお母さん方に思わせてしまっている世界をやっぱり変えないといけないなと思った言葉でもあったし。
私がいなくなった後も別にちゃんと国とか・・・・この世界が面倒見てくれるしそういう仕組みがあるから大丈夫だよねって。
なんならそういう言葉すら出てこない社会を作って行きましょうって。
そんな心境で書いています。
その次の
【いつからか人は人を秤にかけはじめ そこからあぶれた人に名前をつけはじめ 気がつけば命は色や形で分けられ 本当はみんな同じはずの命なのにな】
とかこっからの流れに関しては、自分自身の経験も繋がっていて。
【誰かと比べ出来ない事それを指差して 異常だとか障がいだとか壁を作るならば 普通や健常者なんてこの世界にいないね だってみんな出来ない事だらけじゃないか】
っていう描写に関しては、そのー・・・・昔、僕ライブの中で【障がい=個性】だって一時期いってた時期もあったんですけど。
その長崎の病院で重度障がいの方々の前で唄わせてもらったとき・・・・障がい=個性って言えなかったんです。
障がい=個性ということすらも・・・・それは人によると思ったんですね。そこの価値観こそがそれぞれの中にあるべきもので。
だから僕はそれを言いきって押し付けちゃいけないと思ったんです。
結局それをすると犯人と同じになってしまうって。
この歌ができてからは「障がい=個性」っていうのをやめました。
それを違う表現で伝えられないかなって・・・・押し付ける言葉ではなく。
そう考えてここの4行は書いた気がします。
障がい=個性とはいいきらない。
けど、人と違うところを指さしてそれに名前を付けたりとか。
みんな笑いものにしたりとか、その、この・・・なんだろな・・・この社会との間に壁を・・・その人に作ってしまう。
自分たちの心の中にもそうだけど、社会から排除しようとしてしまう。それは違うと思うから。
出来ないことなんてみんなあるし。
けどそれをお互い認め合って、作っていくべきなんじゃないかなって。
【出来る出来ないじゃないみんな同じ命だ 役に立つたたないじゃないみんな同じ命だ 重いも軽いもないみんな同じ命だ 誰にも決められないみんな同じ命だ】
の4行、ここに関しては今回のアルバムに入れる中で・・・多分・・・変えよかなとちょっと思ってるんすよね。
・・・うん。変えるか無くすかしようかなと思ってます。はい。
特に、重いも軽いもないみんな同じ命だっていう部分は、重いと軽いはあるなって思ってしまう出来事が最近多いので・・・うん。
なんかもうちょっといい表現がないかなって今はずっと考えてる所ですね。
重いも軽いもないんですけどね・・・あの・・・何かこの表現じゃないなって思いがずっとあって。
歌いながらこれは、歌っている自分がなんか違和感を感じている。
なので、今この部分ずっと考えてて。
何とか答えを探します(笑)
同じ命に関しては以上です。
ト なんか、小豆島に住んでた時にさー。あのー。すごい象徴的な切り取りの場面だなってことがあって、
しょうがい者の子たちをイベントに招いてお祭りを見せるっていうねイベントのメイクさんで加わって、
前3列がしょうがいを持った子供たち。で、先生がいて、観客がいて、うちらメイクのみんながスタッフとして手伝ってたんだけど、
和太鼓の演舞の時に、和太鼓がぶわーーーんっとすっごい鳴ったのね。で、メイクのみんなは和太鼓でノリノリで、子どもたちがもぐらたたきのようにぴょこぴょこぴょこぴょこ立ち上がって、
めっちゃ踊りだして、わーーーーって騒ぎ出して、そしたらその後ろにいる一般客の観客が静かに聴いてるのね(笑)和太鼓をね。先生がもぐらたたきのように、『ちゃんとしなさい!ちゃんとしなさい!』っていって・・・。
Y おさえつけて・・・
ト うん。そうなった時に、どっちが正解なんだろうって
Y そうですよね・・・
ト あの時にすごい問いかけられた気がしてさ。
な ほんとなら、その音楽に感極まってステキー!って楽しんでる人の方が・・・。
ト 腹の底から多分・・・なんかね、抑えれなかったんだと思う。でも抑えてる人たちの事を正常として、抑えきれなかった人の事を異常とする。この・・・正にこれは反転が起きてるっていう。
Y これはもう仕組みの問題ですよね。教育システムの。
ト 自然・・・自然の営みで生きてるのはどっちだという問いがすごいあった。
【同じ命】
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YOU3枚目のフルアルバム
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【ダイジェスト】
https://youtu.be/A68MaXk-dls