鳥の目線、虫の目線-大草原にみえる人の活動
<2024年11月4日の記録>
空から見たモンゴルの大地。そこは一見すると火星のような世界。人工物がみあたらない。ただし、電線網や風力発電ファン、集落が人の住む大地であることを教えてくれる。そんな印象をモンゴルに降りる前には持っていた。
前回の記事「文化人類学者、サラリーマンのように旅行をする」では飛行機から見た集落の写真を掲載した。下の写真である。
このような集落はどのようなものなのだろうと疑問だったものの、実際に道を通ってみて納得した。無論、同じではないものの、空から似たら似たようになるのかなと思う。
「ああ、こんな感じなんだ。」
と理解することで自分の未知が一つ既知になった気がする。街を通った写真が上に掲載した写真である。少し街中を撮影したがこんな感じだ(別の町だが雰囲気は伝わるはずだ)。
空から見たものを大地から見るとさらに理解は深まる。ツアー中、ガイドさんに聞くとこうした集落では川や井戸があるらしい。ちょっとした商店があってガソリンスタンドもある。小学校があるところもあるそうだ。遊牧民だって現代の子供は学校に行かなければならない。そうした子供は月曜日から金曜日まで寮生活をし、金曜日になると親が迎えにくるそうだ。土日を家で過ごしたら月曜日には学校に戻る。ちなみに遊牧生活をする彼らも移動を繰り返すのは年に2回らしい(とガイドさんはいってたが、モノの本には年に4回居所を変えるとあった)。
町だけではない。道を辿ると牧草地があり、精霊を祀るようなモニュメント(オボーとよばれる)があり、牧草地がある。もちろん、いろんな家畜が放牧されており、うんこだらけのところもある。私がまた時期は畑はなかったが、にんじん、じゃがいも、キャベツは育てることができ畑があるとのことだ。一見、のっぺりしたような何もない土地でも実際に辿ると人々の生活が染み付いていることがわかる。
人類学者は「鳥の目線、虫の目線」というが、この経験はまさに鳥の目線で興味を覚え、虫の目線で知識が増えた。もちろん、その知識は人類学者の調べたものに比べると、うすっぺらいものに過ぎないことは自覚しているが、それだけでも楽しい。
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