書評:旗手啓介(2018)『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』講談社
本書はカンボジアにおいて実施された国連PKO(平和維持活動)、「国連カンボジア暫定統治機構」(United Nations Transitional Authority in Cambodia: UNTAC)に派遣された日本人警察官を追ったノンフィクションである。1993年5月にUNTACに派遣された日本人の文民警察官が襲撃され、その中のひとりの日本人警官が死亡した。その事件を中心に据えつつ、UNTACをめぐる日本の動向、カンボジアの動向、そして、現地で活動する警察官の活動内容が記される。
筆者はNHkのディレクターであり、その本業はテレビマンである。それにもかかわらず、筆の運びは魅力的だ。その分析能力はテレビマンだからこそ、あまりまえだよねとここでは軽く流す。しかし、それを文字に起こした時の緊迫感は、筆者がテレビマンとしてだけではなく、文筆家としても魅力的なことを示している。
UNTACとは1992年3月から1993年9月までの1年半ほどの活動期間であり、国連PKOの中でも短い部類に入る。その活動は20年以上にわたる内戦を解決するための足がかりを作るというものである。具体的にいうならば、内戦当事者間による停戦合意を監視し、その後、国を建て直すための第一歩となる総選挙を円滑に行うことを目的とした活動であった。だからこそ活動期間は短いのだ。
当時、国連は内戦の解決のために本格的に内戦当事国に介入し始めた時期であり、UNTACの事例はその先駆的な事例であった。どの部署もどのように行動すればいいのかのノウハウがなかった時期の活動であるといえよう。
PKOの中でどのように連絡が取られていたのか、各国から派遣されていた部隊や現地の武装勢力とどのように関係を取り合っていたのかである。印象的なのは、アンピルに駐留していた警察官たちが、ポルポト派の司令官と個人的な関係を築いてきたことだ。単に会議で情報共有するだけではなく、共に食事を囲み、パーソナルな意見を共有することでローカルな信頼関係を作っていたことがわかる。
しかしながら、その司令官も末端の一人にすぎない。上の方針が国連とは協力しないと決められると、ポルポト派の司令官はPKOとの距離を取り、そして、PKO要因は組織的に襲撃されるようになっていく。
カンボジアにおける当時の日本人警察官の活動を見てみると生活もままならないほど準備がなされていなかった。「日本はこれから世界に貢献すべきである」という日本政府のロジックのもと放り出されたといっても過言ではない。その活動は入念に準備された他部隊におんぶにだっこの上での活動であった。すなわち、世界的に評価にあたいすべき活動ではない。ただし、そこで職場を投げ出すのではなく、できるだけのことをやろうとした日本人警官には頭が下がる思いである。
印象的だったのはカンボジアの内戦の悲惨さである。私は内戦の研究をしてきたのでいくつかの内戦については当時の話を当事者から聞いてきたし、文献からの知識はかなりある方だ。しかしながら、カンボジアにおける社会秩序のなさや、混沌は例外的なのではないかと感じた。とりわけ命の軽さと兵士の統制がないことが大きく印象に残っている。
ただし、それは美談にしていい問題ではない。中央の決定で人材が派遣され、現場では何の準備もなく疲弊する。こんなの太平洋戦争中の日本軍と変わらないではないか。インパール作戦のようだ。インパール作戦は立案者がおり、その人が無謀な作戦を遂行しようとしたように糾弾すべき一人の人間がいるが、この事例はそうではない。共通するのは意思決定における現場感覚の欠如である。太平洋戦争には日本軍の動向を組織論から研究した『失敗の本質』という名著があるが、本書で起きた出来事はそこに組み込んでも良いような内容である。共通するのは、(1)中央は何もわかってない、(2)その中央ではノリとゴリ押しで意思決定される(日本のプレゼンスを高めるためにPKOを派遣しなければならない)、(3)現場はそれを受け入れ一生懸命がんばる。
歴史的に検証されるべきのは国連によるPKOならびに日本のPKO派遣がその後、どのように変わったのかである。
日本に関しては、NHKが『変貌するPKO 現場からの報告』というドキュメンタリーを2017年に出している。本番組では南スーダンで活動する陸上自衛隊の姿が描かれるが、その様子はカンボジアで起きたことと何ら変わりはない。戦闘に巻き込まれ、なす術がなく疲弊していく自衛隊の姿である。無論、カンボジアからの25年で変化がなかったわけではないだろう。悲劇は目立ちやすい。しかし、その背後には見えないノウハウの蓄積があるはずだ。こうした見えない側面こそ、研究者の果たす役割だと言って良い(誰かPKO研究者、くだらない組織論とかやつてないで現場をみたPKO論やってくださいよ)。
次に国連PKOに関しては私もいささか勉強不足ではある。国連のいい点としてはそこに参加した者が実体験を多く書いていることである。カンボジアの明石康、東チモールへと派遣された長谷川祐弘や伊勢崎賢治なと日本語でも読める本はいくつもある。さらにはルワンダで虐殺を止められなかった国連ルワンダ支援団(UNAMIR)の司令官、ロメオ・ダレルの手記も翻訳されている。一部は読んできたものの、いささか現地にしか興味がなかった私はあんまり印象に残っていない。彼らの実体験を知るという必要があると感じた。
いずれにせよ評者の個人的意見を述べるのであれば、本書に記された経験は、歴史に残される記録であると感じた。ただし、それは日本人による日本人の視点から日本人を意外だ非常にドメスティックなものだと言える。国際的な視点は十分ではない。本書だけでカンボジアのPKOを理解するわけにはいかないだろう。それでもなお、本書の魅力は十分なくらいだ。「歴史」を振り返り、文字として残す(ここでの「歴史」は歴史学での歴史ではなく、もっとゆるゆるの意味で使っている)。ほぼ同じ歳のテレビディレクターがそれに資する素晴らしい仕事をした。その役割は研究者の私も共有する役割でもある。自分もいい仕事をしたいと兜の緒を締めた次第である。