一歩

前夜

3月16日金曜日の夜。

週末のこの夜、いつもならマイクラの生放送、最近作っているレッドストーンの信号強度を表示するリソースパックの作成風景、でもやるところだが、少しナーバスになっていた。

翌日のことを考えると少し気が重かったからだ。

旅は好きだが、出不精なのでイベントなどにはまず行ったりしない。そもそも、人が多い場所が好きではないからだ。

「旅は好き」と書いておきながら何を言っているのかと思うが、観光地として人気のある場所なら人も当然多いが、そこにいる人びとはしょせんNPCであって、コミュニケーションが必要になることはまずないし、周りとの距離感は自分で調整可能だからだ。

だが、何を思ったのか、血迷ったのか。場所は広くない。自宅からそう近くもない。そんな場所だとアナウンスされているイベントに参加しようとしていたからだ。

普段の生活スタイルは極めて雑なくせに、いざ出かけるとなると、電車の時刻や、場所の把握、周辺の建物の確認等々、あれを調べたか、これを確認したか、と、意外と気にするので、それもあってのナーバスだった。

そんな心配事を抱えながら、いつもの週末よりも少し早い、日付が変わるころに床についた。

当日

イベントの当日の朝。

昼過ぎのイベントだったが、普段行くことのない土地だったので、少し早めに出た。

乗車時間は長くなるが乗り換えが発生しない列車に乗り、3手詰ハンドブックを解きながらであったので、大阪駅を過ぎたらしいアナウンスを聞こえてきたときには、もうそんなところまで来ていたか、と思ったくらいに乗車時間は気にならなかった。

イベントの前日はナーバスなのだが、当日はだいたいもうすべてがどうでもよくなっているので、前日の下調べの確認もそこそこに、財布さえ忘れなければ大丈夫、というよく分からない自信を胸に、また、ハンドブックに目を落とす。

二問ほど解いて、ふと思う。

おかしい。

いくらなんでもおかしい。こんなに問題を進められるのは。

今、大阪を出た、とアナウンスがあったばかりだと思ったのに、ふと目をやった先の時計は、目的の駅の到着時刻を過ぎているではないか。

やらかした。

乗り過ごした。

大阪までなら窓の外を見ればだいたいの場所は分かるが、それより先にはまず行かないので、外を見たところで皆目見当もつかない。

京都まではいっていない。新快速でも30分はかかる。

いつもの乗り換え案内アプリは、おまえはもう駅に着いている、という表示だ。

当たり前である。乗った列車は正しくて、到着時刻を過ぎているのだから。

それから少しして、アナウンスが流れた。

どうやら人身事故の影響で電車が遅れているらしい。

あー、そういえば、もっと手前でそういうてたわ。今は時刻通りやけど、先は遅れるかもしらん、って。

乗り過ごしていないことに安堵はしたが、到着予定時刻をもうだいぶ過ぎていた。そうはいっても、最寄り駅には10分遅れくらいで着いたので、めったにしない、余裕をもって家を出る、などという殊勝な心がけが功を奏した。

だからといって、イベント開始時間まであまり余裕はない。一抹の不安と、刻々と迫る開始時間に追いかけられながらも、案内を頼りに目的地を目指す。

こういうときは、ほんの少しの距離をずいぶん歩いたと錯覚するのだろうか。行けども行けども目印が見当たらない。時間も歩く速さによるし、距離感もさっぱりなので、見つからない。

思い出した。どこの案内にも書いてなかったが、道の向かいにコンビニがあったはずだ。そうだ。と、道の反対側に視線をやりながら歩く変なやつは、そのすぐ後でコンビニを見つけ、開始5分前くらいだっただろうか、目的のイベント会場に到着した。

将棋

おとな将棋教室ポポ特別企画「関西将棋界今昔物語」

http://swkk.air-nifty.com/blog/2018/02/317-b574.html

福崎文吾九段と浦野真彦八段のトークショー。

ニコ生でも人気のある両棋士をじかに見れ、話も聞ける貴重なイベントだ。

だが、当初は参加する予定はなかった。

その前の週に旅をする予定であったことや、もう年も40を過ぎ、人が多いところが苦手なのは別に年をとったからといって直ったりもしない、花粉症はひどい、とか何かいろんな言い訳を思い浮かべながら、こんな機会はもうないだろうな、とは思いつつも、いったんは忘れていた。

旅の直前、何をどう知ったか思い出せないが、たまたま見たツイートだろうか、ふと目に入った「まだ席に余裕がある」という案内だった。

旅は九州の観光列車を乗り継ぐもので、南は指宿まで行く予定だった。どうせなら、ということで宿は羽生竜王棋聖が永世七冠を達成した「指宿白水館」にしていたのだった。このときから何か心にあったのだろうか。

あるいは、ニコ生に浦野八段が棋王戦の解説で出ていたときに話題に上ったので、それも思い出したのだろうか。

これもなぜだかさっぱり思い出せないが、「もうええか、行ってみるか」とそう思ったのだろう、ポチポチとキーボードをたたいて、予約していたのだ。

開始時刻近いので足早に将棋教室に向かい、受付を済ませ、座った席は「25」だった。

イベント

席に座った私は少し違和感があった。

服装だ。

自分だけが完全にイカれていた。別に着飾っていくようなことはないにしても、落ち着いた感じの服装の参加者が多く、将棋教室でもあるのだから、顔見知りも多いのだろう。そういう会話もチラホラ聞こえていた。

だが、私ひとり。オレンジのTシャツで、前には「今がよければすべてよし」ときた。大好きな「戦うTシャツ屋 伊藤製作所」のやつだ。上にジャケットをはおってはいたが、前は開いているので、誰が見ても

オレンジの「今がよければすべてよし」

場違い感しかない。

そんなアウェー感を心に抱きつつ、開始までの少しの時間にトイレを済ませ、時間ぴったりに始まった2時間半のトークショーは非常に楽しかった。大いに笑った楽しい時間だった。

自分からさほど離れていない距離で、福崎九段と浦野八段が話に花を咲かせ、その場にいた人たちを笑いに誘い、ときどきジョークを挟みながらの切れ負けの将棋を指したのだ。

話をするときと盤面に向かったときの眼の鋭さの違いに感動しつつ、放送で見る両棋士よりも何倍も面白く、終始、楽しい時間だった。

普段、イベントではあまり写真をとらない。写真をとってる時間さえももったいないような気がするからだ。それでもやはりこの場にいたことを証明するための記録として2、3枚の写真をとった。そうさせる何かがある場であった。

突然に

楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、終了時刻も迫って、プレゼントの抽選が始まった。

抽選でもハプニングで笑いに包まれながら、当選番号が読み上げられていく。

何度目かの抽選。

「25番の方」

「ははは、運のいい人もいるもんだなぁ。」と思ったのだが、すぐに「ん?それは私の番号では?」。席の番号を見ると「25」。今呼ばれた番号も「25」。

お、おれや...

全身全霊の雄たけびを心の中で叫んでいたのだが、実際のところは小さい震えるような声で「ありがとうございます」と言うのが精一杯で、浦野八段から受け取ったのは、福崎九段と浦野八段の色紙。

この価値がいかほどかはその場にいた人はよく分かるだろう。

想像以上に貴重であることを。

当初の席は24席。あとで席が増えたそうだがその数28、その追加に真っ先にすべりこんだらしい「25」番の自分。そして受け取った色紙。

神や仏の存在などまったく信じておらず、都合のいいときだけ神頼みするような、都合のいい適当な人生を送ってきた自分にまさかのヒット。神、仏にこのときばかりは「いてもええで。」くらいの上から目線で、感謝した。

すべてが終わり、最後に参加者全員へのおみやげをいただき、先ほど受け取った色紙を大事にかばんへしまって、帰路に着いた。

とても楽しい時間だった。

楽しさの余韻と色紙のうれしさとで家に着くまでの時間をこんなに短く感じたことはなかった。

一歩

トークショーで再三出てきたのは、両棋士ともに、

なにより将棋が好き

ということだった。

簡単にプロになれるわけではないし、好きだからなれるわけでもない、誰よりも将棋が好きで、そのことを考えてきた結果の「将棋が好き」。

出不精で特に趣味もない私だが、コンピューターに関わることは理解できているかどうか別にして手をつけていくし、案外と好奇心はあるのだ。

使い道は買ってから考える

やらないで後悔するなら、やって反省

の精神で、「ちゃらんぽらん」という言葉のように適当に生きているので、買って後悔・やって反省することのほうが圧倒的に多い人生だが、それでもなかなかに楽しめているほうだろうか。

今まで行ったことがなかった将棋のイベントだったが、その最初の一歩がこのイベントでよかった。

人生の数少ない「やってよかった」の「一歩」がひとつ増えた。

また新しい「一歩」を踏み出すことを大事にしよう。