見届ける「覚悟」

五月のゴールデンウイークも明け、新年度も本格的に始まるな、というこの時期に、ドワンゴがある発表を行った。

「第5期叡王戦クラウドファンディング」

なるほど、そうか。

この発表に少し複雑な心境でもあった。

将棋のネット放送が大きくいえば二分化されて久しく、運営スタッフさんも苦労しているだろうな、という中で「主催者である」という強みを生かした将棋ファンに訴えかける方法として、分かりやすい手段に打って出たのはよいとは思った。

一方で、クラウドファンディングとしては全般に価格は強気で、最終的にどこまで伸びるだろうか、悪しき前例になってしまわないか、などという思いもないわけではないが、一言。

「おまえなんぞに心配される筋合いはねぇ」

と言われておしまいではあろう。

無論、そんな私のちっぽけな心配はただの杞憂だったわけだが。

支援をするのか・しないのか

こんなことを書いておきながら、つらつらと支援コースを見ている中、やはり目に留まったのは「七番勝負いずれか1局の振り駒兼見届け人」だった。

第3期叡王戦では決着局となった前夜祭・大盤解説会に参加したことも心のどこかにあったからだろう。

唐突だが、私は案外と列車旅が好きだ。

目的を決め、列車の時刻表を眺め、何時のどの列車に乗ればより長く旅をしていられるか、を考えるのが好きだ。

マルスで経由を印字しきれず駅員さんが手書きしてくれた乗車券を手にしたときなどは、キモいおっさんが満面の笑みをたたえるのである。さすがにこれを書いている自分を自分自身がとてもキモいとは思うのだが仕方ない。

車窓からの景色を眺めていようが、静かに本に目を落としていようが、地元の特産品を使ったおいしいお弁当をほおばっていようが、切符を買って乗り込んでさえいれば、ほっといても目的地に運んでくれるのが好きだ。

たまに問題が起きて少し時間の心配をしなければならない状況でさえ、楽しめてしまう。

そういった行為すべてが好きなのだ。

参加した決着局の前後も、リュック1つ背負い、いろんな路線を乗り継ぎ、群馬をあちこち回る旅をした。

普段出不精の極みみたいな自分が一度旅をすると決めたら納得のできるところまでやり抜きたい、という気持ちになるのは致し方ないのだろうか。

それはさておき。

何かをきっかけに勢いでいろいろコトを進めることはよくあると思うのだが、第4期では都合がことごとく合わず、番勝負の見届け人の応募もかなわず、はからずも少し距離を置いた感じになってしまっていた。

それ以前に、人生をそこそこ長く生きてきた中で将棋にまつわるイベントには参加してこなかった。

「将棋のまち」を掲げている町で生まれ育ったくせに、初めて参加したイベントも2018年のことなのだから、よっぽどである。今では駅に棋士が大きく載っている看板が設置され、それをときおり目にしているにも関わらずだ。

しかしながら、ずっと力を溜めていたからなのか、心底信じていない神のきまぐれなのか、参加したイベントにすべてにおいて本当に自分ではまったく理解できないくらいの強運を発揮してきた。本当に強運と言っていいと思うのだ。

なにせ、すべてのイベントで、棋士の揮毫色紙をゲットしていたのだから。

そういう良い記憶もあったからだろうか。

今回こそは応募しようとは思っていたのだが、夜もどっぷり更けていたので、一呼吸、朝起きてから行動しよう、そう心に誓って眠りについた。

神様なんていねぇな

翌朝、ブックマークしておいたクラウドファンディングのページを見る。

OUT OF STOCK

ですよねぇ。

そうでしょうよ。

そら、そうでしょうよ。

「ここまで使い倒してきた運もとうとう尽きたな」

やっぱり神様なんていねぇんだよなぁ。これっぽっちも信じてなかったけどな。

行動した人の結果がすべてなのだ。

今期の人生のほんの少しの余裕はニコ生の中継を観ることに費やそう。

そう思いながら、そっとタブを閉じ、ブックマークも消した。

やっぱり神様いるのかもな

さきほどの文章を3度見直すくらいの光の速さで手のひらを返す勢いだ。

クラウドファンディングのことなどすっかり忘れ、日がな一日、どうやって楽してお金を稼ごうか、なんて考えていた、そんなある日のことだ。

まったく記憶にない。本当にまったくに記憶にない。

人生をそこそこ生きてきたある日。

初老を過ぎたある日、自分の記憶というものの一部について、はっきりと、どういうきっかけで、何を、どのように、記憶するのか、ということを認識したことがある。

自分の中で、よいにしろ、わるいにしろ、ほんの少し期待した結果と違う物事が起きると、その前後何秒間かをパラパラ漫画風の映像で記憶するらしいのだ。

小学生のときの算数の教科書に円周率が何十桁か紹介されていたのだが、それがページのどこに書いてあったのかの場所は覚えている(300桁くらい覚えていた)し、何年か前にとある用事で銀行に行った帰りに見た壁掛け時計の指していた時刻を覚えているし、何か自分の心にひっかかる出来事があると、なぜか覚えてしまうのだ。

これはこれで、嫌なことをなかなか忘れられない、ということでもあって、便利であるとばかりは言えないのだが...

まぁ、そんなことはどうでもいい。そういうあれやこれやがあったら、確実に覚えていそうなものなのに、まったく記憶に欠片も残っていない。

「コース追加:振り駒兼見届け人」

これをどうやって知ったのか。今でも謎だが、なぜか目に留まったのだ。

もう開幕局と藤井七段のは OUT OF STOCK だったと思うが、そこに示されていた価格もあってか、「羽生九段 vs 屋敷九段」戦はまだチャンスがあった。

先のような後悔はもうしない。その場で淡々と支援に向かっていった。

まったく爪の先ほども信じていない神様に、いつもと変わらぬご都合主義の超絶上から目線で、ほんの少しだけ感謝したのは言うまでもない。

「神様、すまんな。今回のチャンスこそはしっかりいただいていくわ。」

しかしながら、正直なところ、もはや誰からもほめてもらえもしなくなった自分を散々に甘やかし、これも自分の日ごろの行いのよさだな、という気持ちでいっぱいだった、ということはだけは残しておくしかあるまい。

待つ、待つ、待つ

ここからは対局日の確定を待つだけになった。

羽生九段も屋敷九段もトップ棋士なのだから対局日程を組むのもきっと大変なんだろうな、くらいしか自分に想像できるものはない。

そう。自分にできることはもう何もないのだ。

ただ、決まったという連絡を待つだけである。

いつも「このありえない無駄なカード限度額は下げておくべきではないか?」と思っていたのに、カード決済の確定額で人生初7桁を見たときには、いくばくかの感慨を覚えたのはたしかではある。

人は移ろいやすいもので、そんな印象深いはずの出来事さえも記憶から薄れてきていた。

その日は来る

もうすっかり気にしなくなっていたある日、その連絡が届いた。

そう。対局日確定の連絡だ。

一気に興奮と緊張が自分に襲い掛かってくる。

すでに他の見届け人の方の様子を見ていたし、ニコニコユーザーの反応を見ていたその中で、自分にはたしてちゃんと務めることができるだろうか。

そこそこ前だけを向いてきた自分でも、さすがにこういう初めての体験を前にするといろいろと不安を感じるのだなぁ、という当事者でありつつも、一歩引いて客観的に見れているのもまたなかなかない体験だ。

とりあえず、振り駒の練習はした。

といっても、昔実家でみたはずの盛り上げ駒もまったくどこにあるのか思い出せない。プラ駒をシャカシャカ振るだけではある。少し前にもらった棋士からのアドバイスを思い出し、よく振ること、と、少し上に放つ、くらいであるので、それもなんということはない。

そんなことよりも気になるのは正座だ。

正座というよりも、足がしびれないこと、といった方がよいだろうか。

感想戦後は少し待てば画面が切り替わるので余韻に浸ってますみたいな雰囲気を出して逃げをうつこともできるだろう。だが、対局開始の退室はそうはいかない。絶対にどうしようもないくらい目立つ形で画面に映っていることは間違いない。

こればかりはすぐになんとかなるものでもない。せいぜい、しびれにくいコツがあるので、それを実践するだけだ。

期待とも不安ともつかない少々困惑交じりの気持ちを抱きながら、その日まで指折り数えるしかないのだ。

ニコ生主の矜持

普段ニコ生主としてゲーム実況配信しているのだから、ここはやはり報告放送のひとつでもやっておくべきであろう。

他の見届け人のことはまったく分からないが、おそらく生主はほとんどいないだろう。おそらくだが。

また、今何を思っているのか、なぜ見届け人になろうと思ったのか、をつたなくはあるが自らの言葉で語るのも悪くないだろう。

そういういろんな思いも持ちつつ、どこか見届け人として観ることになる人たちにハードルを下げてもらって少々の失敗のひとつやふたつ大目に見てもらえるんじゃないか、というかすかな期待も抱きながら、ニコ生配信することにしたのだ。

支援者「ひょうがらのおかん」

ここまであえて触れなかったが、私の名前「ひょうがらのおかん」のことを避けるわけにはいかないだろう。

この名前のインパクトは想像以上だったようだ。

今見直せば、支援者CMに名前が出ます、という文言があるのは確認できるのだが、そのときはそんなことまったく考えてなかった。

いや、みんな、あの緩いドワンゴのクラウドファンディングやで?

全員ではないにしろ、結構みんなネタのひとつやふたつかましてくるやろ。

そう思っていたのだが、完全に間違っていた。

見ました?支援者CM。

あれは本当に人生最大の悪手であったといってもいい。

支援額によって名前の出方が違うのは分かる。そりゃ高額支援者ほどより分かりやすいように伝えるのは、ある意味、当然のことだ。

だが、あれは想定外だった。

明らかにネタ勢がひとり混ざっている。

「ひょうがらのおかん」

私だ。

見た瞬間、「やっちまった!」、そうとしか思えなかった。

しかもあの人数・大きさから支援額も分かるわけだが、もうそんなことはどうでもいい。心は「はぁ... やっちまったな...」で支配されている。

もう引き返せない。ここまできたら引き返せない。

公式放送なので消えることもない。一生背負っていくしかないのだ。

自分の気持ちに折り合いをつけ、見届ける直前生放送に向かうのだった。

【叡王戦】見届け人は私だ

今はもう見ることはできないのだが、見届け人としての自分を少し知ってもらうのも悪くないと思い、放送をした。

結果の良し悪しはどうでもいいのだ。

優しい人が多かったのは本当にありがたいことだった。

しかしだ。全員が全員、当日どうやってネタをさせようかと画策してくるし、貼られる市場の商品はどれもこれも100%完全にアウトな商品だ。

あの場にそれで行けると思ってる人はいなかっただろうが、もろもろを割り引いても完全にネタ一色だった。

だが、これもニコニコ生放送の良さだと改めて思うとともに、緊張も和らぎ、あの場に「存在できる」という事実への向き合い方も少し変わったと思う。

私が、あの日、あの時間、に生放送に期待していた通りのものだったからだ。

もろもろの複雑に入り混じった感情はすべてきれいに洗い流され、純粋に楽しんでこよう、という思いにしてくれたのは、少しの不安から遅い時間に放送したにも関わらず、あの日、あの時間、わざわざ来てくれた他でもないニコニコ民だ。

初めて訪れる将棋会館

高揚した気持ちがありながらも、今日ここで行われる対局を前に、身の引き締まる想いを抱きつつ、正面ドアをくぐる。

遅れることがないように少し早めに着いたわけだが、気持ちを少し落ち着けようと、まだ暑い中を移動してかいた汗を拭き、デオドラントシートを取り出す。

一枚で十分事足りるのに何枚使ってるんや

そういう自分にツッコミをいれながら、それでもまだ早い時間ではあるので連絡を入れる。

一般人では入れない階のボタンを押し、エレベーターは動き出す。

この先すべきことは分かっていても、何が起こり、どうなっているのか、分からないその空間へと向かっていく。

目的の階に到着し開いたドアの先に、連絡をとっていた運営の方が待ってくれていた。

一通りのあいさつ、控室の場所、所定の注意事項、段取りの確認とテキパキとこなしていく。

本来こういうのは不要なのだろうが、心のどこかに、どんなに小さくてもいいからネタを入れるべきではないか、そういう気持ちを捨てることができないのは、関西人には何かDNAにでも刻まれているのだろうか。

タイトル戦の番勝負ともなると、運営さんの食事と言えば「ゼリー」みたいなところもあるので、少し趣を変えてみてもよいだろう、という思いもあり、勝手ではあるが、手荷物をひとつ渡したのだった。

明治から続く菓子舗外山本店さんの「姫様スティック」だ。

浜松と言えばうなぎパイが有名だし、あまり知られていないかもしれないが、とても品のよい甘さで、ぜひ一度食べていただきたい。

心のゆとり

ただ対局を見届けるだけでなく、運営としていろいろ準備もあるだろう中、時間を割いていろいろと対応してもらえたのは感謝しかない。

まだいくばくかあった緊張感も徐々に薄れていく。

話せることといえば、「ネクタイ」でひとしきり書けるのだが、これはそのとき対応してくださった運営さんとの思い出とさせてもらいたい。

放送の打ち合わせがあるのだろう。放送よりも少し早めに来られた、解説の中川先生、聞き手の貞升先生にあいさつをさせていただく機会を得た。お二方ともとても気さくに話をしてもらえたのも何よりだ。

本放送で中川先生が振り駒について話されていたが、あれはかなり落ち着いた表現だ。

実際のところ、激しく、かつ、派手に振り、両手を本当に大きく広げるジェスチャーとともに、ばっさーと広げるようにやってみましょう、いやいや先生、それはさすがに無理ですよ、などと一笑いしていた。そういう気遣いもしてくださったあの雰囲気は、これからの私の人生における大役を思うと、とても心地のよいものだった。

駒を振る、その瞬間

そのときは突然きた。

羽生九段、屋敷九段が到着された、という一報とともに対局室に入る。

事前の打ち合わせ通り、見届け人の待機位置に座り、記録係の方の声掛けを待つ。

羽生九段を前を通るときに、「前を失礼します」と一言言い、所定の位置につく。

「羽生九段の振り歩先です。」

と一言、両対局者に告げ、振り駒を行う。

今でもしっかりと、どの位置に、どの向きで、どの駒が「歩」で、どの駒が「と」だったかを鮮明に覚えている。

「と金が三枚です」

記録係の方の確認・宣言で先後が確定する。

このほんの数秒のできごとは今後も忘れないだろう。

時間が少し早かったこともあって、残念ながら放送にはのらなかったようだが、私はこの、自分が体験し、目の前で起きたできごとを、決して忘れることはない。

見届け人として所定の位置に戻り、両対局者が駒を並べていくのをしっかりと目に焼き付けていく。

記録係の方が、棋譜用紙に必要事項を記入しているのを横目でガン見しつつ、定刻になるのを待つ。

その時間、数分だろうか。時間の感覚はなかった。

よくいろんな棋士の先生方や実際に見た方などが、そのわずかの時間についてよく話をされているし、それは幾度となく聞いていたが、私の場合はまったく違っていた。

対局前の緊張感、気迫、独特の雰囲気、と形容されるその場に形成されるはずの印象がまるでなかったのだ。

むしろ、完全に落ち着き払っており、こう表現するしかないのだが、とても穏やかな時間だった、と。

定刻になり、記録係の方の宣言で対局が開始され、先手後手の指し手が済んだあたりで対局室を一礼して後にする。

その最初から最後までのすべての瞬間まったく緊張することはなかった。

自分でも、なぜだかは今もって分からないが、だがしかし、どの瞬間をどう切り取っても、ただ穏やかであった、というよりほかはないのだ。

訪れる終局の瞬間

対局は続き、もうどちらが優勢かは私でさえも分かる程度になったところで、心を静かに整え、そのときを待つ。

屋敷九段が投了を告げたところで、対局室に向かい、感想戦の最後まで見届ける。

見届け人を気遣って初手から振り返っていく中、ほぼ観る将の自分が考えたところで何かが分かるわけでもない。

とって、とって、こうでしたか

このほんの数手の一連のやりとりさえ、自分の頭の中の盤とは違うのだから、もうただ両対局者の声に耳を傾けるくらいしかできない。

見届け人としてただ存在している

それだけで十分だった。

見届け人への気遣いもあったとは思う。

だが、次の対局までさほど時間もないのに、長く感想戦が行われたのは、気になる局面については、その場でしか分からないこと、相手は何を感じていたかを整理し次につなげる一助とする、という意識の表れだったと、そう感じたのだった。

双方の折り合いのついたところで感想戦が終わり、駒を片付け、一礼でもってすべてが終わる。

この時間がどれくらいだったのか、のちにタイムシフトを見直して分かるが、あの場にいたときに感じた時間の流れとはまったく異なっていた。

見届ける「覚悟」

見届け人はそれぞれの思いをもって見届けている。

私がもっとも感じたのは、振り駒のために対局室に入り、すべてが終わって駒を片付けて後にその瞬間までの間、これまで画面を通して対局を見てきたものとはうって変わって、

どちらの棋士に肩入れすることもなく

自身の存在が支障にならぬように

対局がすべて滞りなく行われるように

ということだけだった。

それが私なりの見届け人としての「覚悟」だったのかもしれない。

時間はずいぶんと経ってしまったが、そのときの一挙手一投足は今でも手に取るように思い出せるのだ。

このようなことは、自分の子供が生まれたとき以外には見当たらない。

すべての終わりに

あらゆるすべてのことが終わり、運営さんに案内されて将棋会館を後にする。

自分の人生で、別格の体験をした「将棋会館」。

後にする際にはそこを振り返ることはなかった。

振り返ってしまうと、もう十二分の楽しんだその瞬間瞬間を忘れてしまう気がしたからだ。

最後に

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

あらためて。

解説の中川大輔八段、聞き手の貞升南女流初段

時間のない中をぬって、気さくに声をかけてくださり、いろいろ気遣ってくださったことに感謝するとともに、とても貴重な体験をありがとうございました。

ドワンゴの運営スタッフのみなさん

本当にいろいろ対応いただきありがとうございました。一日本当にすべての瞬間を楽しめたのは運営さんの対応あってのことです。本当にいろいろありがとうございました。

最後に、あの放送を見ていた将棋ファンのみなさん

「ひょうがらのおかん」というネタとしかいいようのない名前だったにも関わらず、本当に暖かいコメントの数々、当日も見ていましたし、今この瞬間も見返して、本当に感謝の言葉しかありません。

それ以降の放送でも一声かけてくださる方もいて、本当にありがとうございます。

本当に楽しい一日をありがとう。

短く「おかん」という一言だけで十分です。ありがとう。

また、いつか、どこかで

後記:見届ける「覚悟」