料理を作るときに想うこと
昔から料理を作るのは苦ではない。
まだ若いころは日付が変わる前になんとか会社を出るというときもあった。基本給と残業手当がほぼ同じかむしろ多いみたいことがあった時代だ。
もちろん家に着くころには日付も変わり、家族も当然みな寝ている。(もうそんな家族はいないのだが、それはまた別の話。)
それでも自分で料理を作っていた。土日は比較的自分が作ることが多かったし、家族には少しでもおいしいものを、というのもあった。
料理は慣れの要素も大きい。
食材を包丁で切るのも、調味料の分量も、慣れればおおよそのことはささっといける。自分たちの好みに合わせた量にも調整できる。
ただ慣れるまでには繰り返しが必要だ。一発でうまく作れるなら苦労はしない。派手な失敗、思ってた味と違う、うまくいった、いつもバラバラの出来具合だ。慣れないうちは夜中の2時過ぎになって完成することなんてザラだった。
夜中の2時から失敗作を食べるのはなかなかだが、それでもこうやったら失敗するんだな、と勉強になったと思えば気が楽だし、失敗することが少なくれば家族にもおいしく食べてもらえるじゃないか。そう思いながらアホみたいに夜中にせっせと料理実験をしていたものだ。
この繰り返しをラクにしてくれた、自分が料理をするのに気負わないで済んだのは3人の料理家の存在だった。
平野レミさん、土井善晴さん、そして、小林カツ代さんだ。
平野レミさんは NHK でも斬新な料理を作ってにぎわすことが多いが、実際には食材・調味料はごくごくありふれたものを使って家庭でさっと作れるものを紹介することが多いように思った。
いくらおいしい料理であっても、ほとんど使わない調味料を何個も用意しないといけないのは無理がある。そういう心配をあまりしなかった。
土井善晴さんは、「料理が上手な人はこうすればよいが、まだまだ苦手だ、という人はこうやって簡単に済ませましょう。これでも十分においしいです。繰り返していればそのうち上達しますから、そのときもっとおいしく作れるようになればそれでいいんです。」というようなことをどこかでおっしゃっていたのが印象に残っている。
最初から完璧なレシピを再現できるなら苦労はしないし、まして料理本は基本的に文字だけだ。「少々」みたいなあいまいな分量表記はやめろ、何グラムなのか書いてくれ、少々を判断できるほどの腕はまだこっちにはないんだ。でだ。こんなときに「最初に作るときはこの分量ですが、人それぞれ好みがありますから、濃いめが好きなら次は濃いめに、薄めが好きなら次は薄めに」と、よくさらっと挟んでいるように思う。当然なのだが、台本もあるし、時間も限られた中で料理している番組は難しいのだろうけど、土井さんはそういう配慮をいつもしてくれたように思う。(都合の悪いことには耳を貸さなかっただけかもしれないが)
最後は、小林カツ代さん。
この人は本当にすごい人だなぁ、と思ったエピソードがある。実際にそれを見たわけではなく、どこかで読んだのか聞いたのか分からない。あるいは、別の方の話かもしれない。
そのときに作ることになっていた料理は「カツ丼」だった。
「カツを用意してください。買ってきたものでいいです。」
ここまでは手軽さという点ではそういう表現になるだろう。だが、その次が当時の私には衝撃だった。
「カツを作るところから始めることがありますよね。おいしいカツが揚がりましたとなったら、それはそのまま食べたほうがおいしいでしょ。わざわざカツ丼にしなくてもいいです。せっかくおいしく作れたのですから、そのまま食べましょう。ちょっと失敗したな、とか、今日はカツ丼と決めたのなら買ってきたもので十分です。それでも十分おいしいカツ丼になりますから。」
なんと分かりやすい。というか、これをさらっといえるのはすごいな、と思ったのだ。
今でも、というか、今だからなおさら料理を作らねばならない状況になってしまった、というか。
そんなときに無理をしないでさっと自分がおいしいと思う料理を気負わずに作れるのはこの3人の素晴らしい料理家がいてくれたからだ。
最近、とある記事で、作った料理を「商品」という料理家がいた。
その人にとってはそうだろうが、それを見て作るこちら側はそうではない。
好みがあるからそれを家族で食べない、ということもあるだろう。
だが、それが当然であるかのようにいい、そうではないことを否定するかのような話をするのを見たとき、その人が過去に作ってきた料理を見てみた。
時短をウリにしているが、一般家庭ではまず使い切るのに困るような調味料を使う。その前後1か月を見てもまったく使っていない。「時短料理」ではあるが「家庭料理」ではないどころか「料理」とすら思えなかった。
食材を使った作品「商品」だった。
そんな料理を作りながら先達を否定するかのような言説はいったい何なんだ。あなたの家族が食べもしない「商品」をよく笑顔で紹介できるな、と思った。
今日もまだまだ慣れない包丁で食材をさばき、適当な分量なので、名前は同じだが味が毎回違う料理を作りながら、ま、失敗はしてないしちゃんと食べれるものはできた、とおいしくほおばるのだ。もうちょっと塩味がほしいかったかな、などと思いながら。