手痛い教訓
はじめに
note 書きますね、という約束からずいぶん経ってしまったが、ここに第7期の見届け人活動の記録を残しておきます。
思い返すと、第5期から始めた見届け人活動も、第7期の本戦トーナメント終了時点でとうとう9局になった。20代、30代の自分からは想像もできないくらいにイカレた行動だ。
そんな気が狂ったかのような行動ではあるが、見届け人の一日はいつもと変わらず始まる。
いざ見届けん
千駄ヶ谷に行く際には、もはやルーティーンとなった将棋会館前でオレンジの GARMIN とともに一日の始まりを記録する。
twitter に投稿するのも、それをいち早くキャッチして、こちらからは窺い知れない画面の向こうから「また、おかんか」という声がするのも、棋戦のシステムが変わろうとも、私の毎年変わらずの恒例行事となりつつある。
第7期は、以下の2局を見届けることになった。
令和4年3月5日 近藤誠也七段 vs 船江恒平六段
アテンド:佐々木慎七段、塚田恵梨花女流初段
令和4年3月25日 船江恒平六段 vs 服部慎一郎四段
アテンド:戸辺誠七段、小髙佐季子女流初段
見届け人の一日
新システムになってからの様子を書いてなかった気がするので、ここで改めて書いておこう。
集合場所は千駄ヶ谷の将棋会館だ。第5期から通算するともう勝手知ったるなんとかだ。事前に連絡のあった時間に行き、職員の方の出迎えとともに今日という日が始まる。
新システムになって3度目の際には、集合場所・時間の確認がなかった。職員の方の失念か、はたまた、「もうわかってるでしょ?わかってますよね?ね?」なのかは謎である。
たかだか20日しか経っていないので覚えてはいたが、間違っては大変なことになる。念のため、そう、念のためにだが、3月5日の予定表を確認する。当然、合ってる。いや、心配で見返している時点でどうなんだ。
昨年に続いてでもあり、職員の方にも覚えていただけていたので「今年もよろしくお願いします」と軽く挨拶をして、シャトーアメーバに移動。
シャトーアメーバという建物は、通りからは一見どこが入り口なのかわかりづらく、狭い隙間をすっと入ると、ふっと広い空間に出る。この、なんとも形容しがたい解放感のようなものが好きだったりする。
上を見上げてしまうのは、お上りさんの悲しい性だろう。
時節柄、消毒と検温を済ませ、ゲスト証を受け取る。
慣れた歩みで対局場のあるフロアに移動し、職員さんと「もうご存じだと思いますが、いちおう見ておきますか?」と対局者控室、対局場、座る配置の確認の会話をするくらいである。
今期は間を置かず二度見届けることになったので、アベマのスタッフの方にも覚えていただいていた。いや、金髪の人間なんぞそうそう来ない、という要素が強いのはまったく否定できない。会話の入りがそれだったのだから、もう誰もがそういう認識だ。
初めてのときは、記録係の横に座るかどうかを確認していただいたが、もうその確認もふんわりとなくなっている。
「座りますよね?」「座ります」「ですよね」という暗黙のやりとり。
スムーズ(?)この上ない。
シャトーアメーバ内のみで手に入る緑のアベマ水を手に、あぁ、また見届け人をすることになった、という気持ちの昂ぶりを感じる。
中継記者の方にもご挨拶をし、対局者の到着まで職員さんととりとめない話で談笑する、この時間も好きだ。
「こちらの方が今日の見届け人のひょうがらのおかんさんで...」と紹介されることも、それに誰も違和感を感じないのも、全員が全員、だいぶおかしいとは思う。誰もあえて口にすることがない。みな本当にこの説明で納得感はあるのだろうか... 不思議な時間が流れる瞬間だ。
対局前の静けさ
しばらくののち、両対局者の到着が告げられる。
それぞれに軽く挨拶をさせていただいて、対局場に向かい、いつも自室のモニター越しに見る「あの」定位置に座る。
まだ放送前だ。
全員の入室を確認するとスタジオの扉が閉まる。
この瞬間。
ふと思い出したかのように軽く緊張感を感じた。
音がない
それまでは関係者の出入りや、開いている扉から通路を行き交う人々の気配を感じるのだが、扉が閉まったその瞬間から、その場にいる人の息遣いだけになる。
誰も口を開くことはない。記録係の方は記録の準備をこなされている。
対局者は振り駒までの時間、じっと所定の位置で待つ。
そのわずかの隙間に見届け人たる自分が座っている。
聞こえるのは写真をとる音だけだ。
この時間、本当に短いこの時間、世界と隔絶されたかのようなこの感覚が、独特の緊張感という表現されるゆえんだろうか。この感覚が自分は好きなのかもしれない。
合図とともに振り駒が行われ、対局者それぞれが先後決まった位置に座る。
一呼吸
駒箱から取り出された駒が並べられていく。決まった所作があるわけではないが、それぞれおおよそ交互にならべていく。
大橋流だなぁ、くらいの軽いノリと、足がしびれませんように、という切実な願いを心に抱いている瞬間だ。
並べ終わった対局者を眺める。棋士によってまったくもって違うその姿を目に留める。
定刻の合図、一礼。対局の開始だ。
初手までの動作も違うその姿を見届ける。
先後2手ずつ差したところで退出する。
手痛い教訓
記録を残すといった以上、やはりこれも残しておかないといけないだろう。
退出前のその瞬間、2度ともあるやらかしをしている。
3月5日
それぞれの2手ずつ差したところで立ち上がる。
ゴン
アカン
後ろのセットにぶつかって大きな音を立ててしまう。放送にのってしまうレベルの音だ。アホすぎて凹む。
自分、ホンマ、アホやな
精一杯の虚勢をはった自身へのツッコミとともに、トボトボと対局場を後にする。
絶対に音はさせない、と誓った2度目の3月25日。
私は前回の失敗から学び、教訓として生かす男だ。そのはずだ。いや、そうに違いない。もうぶつかりはしないと、少し体をひねってセットに気をつけて立ち上がる。
ゴン
アカン
立ち上がろうと力を込めたその場所は畳とセットの間の木の上だ。これまたしっかり大きな音をさせてしまう。恥ずかしさと己のアホさ加減に心底落ち込み、心が砕け散った瞬間だ。
もうツッコむ気力さえない。傷心の自分を慰めながら、これで振り返り放送のネタがひとつできたんや、と心だけは気丈に振る舞い、トボトボと対局場を後にする。
新しい教訓はこうだ。
「後ろに気を付けて、畳の上で立ち上がれ。」
この先の人生で活かす機会はほとんどないだろう教訓だが、恥ずかしい思いはしなくて済む。知らんけど。
こうして第7期の見届け人活動は、2度とも、初手恥ずかしさからスタートする、という悲しい現実を味わうことになった。
見届け人あるある(?)
見届け人をされた方にはいくばくか納得してもらえると思うのだが、ここまでのシャトーアメーバ内の景色は、少し違った形で記憶に残る。
そう、アベマトーナメントでちらっと見覚えのある景色が。
あ、見たことある場所だ!歩いたことある場所だ!
ほんの少し興奮する瞬間。
一日のはじまりの30分ほどのこの時間に見たあの景色は、心に刻まれたかけがえのない宝物のように、今思う。
将棋会館にカムバック
対局開始を見届けると、粉々に砕け散った心に絆創膏をぺたぺた貼りながら、将棋会館に戻る。
ここで初めてアテンドの先生方に会うことになる。
事前に教えてもらうこともできるだろうが、私はあえて聞かないようしている。当日のお楽しみというやつだ。
いや、事前に聞いてしまうと、何を聞こうか、何を話そうか、といろいろ気になって仕方がなくなるのではないか。そんな思いを抱えて見届けるその日まで過ごすのは私にはきっと無理な話なのだ。
一期一会
というわけでもないが、アテンドの先生方の待つ見届け人控室に入るその瞬間までも楽しみたいと思っているからだ。
何期目だろうが、何度目だろうが、画面の向こうから愛想をつかされるようが、どんなに見届け人をしようとも、人生に一度しかない、その日一日に起きるできごとすべてが、その瞬間その場に居合わせた人々の関係性から生み出されたものであり、一点の曇りなく、ただ、ひたすらに純粋な、
マジで、すげー、ちょー、楽しかった
そう言える機会をみすみす逃したくはないのだ。
そこからの一日はアテンドの先生方と過ごすことになる。
それぞれの見届け人ごとに違えども素晴らしい体験になっているだろうし、そこでの出来事は見届け人の特権として心に留めおかせていただきたい。
話せる話は、当日夜の振り返り反省放送にて、できる限りしたつもりだ。
先のやらかしばかりだったかもしれない。自分の声を聴く、という行為は恥ずかしくできないし、何をしゃべったかさえ思い出せないが、質問にもおそらくちゃんと答えられたんではないか、と思う。
私は案外と小心者なのだ。誰になんと言われようとも。
将棋会館の隅々まで
さて、さすがに新旧システムで何度も見届け人をすると、将棋会館周辺の散策はもとより、将棋会館内のほぼすべての場所を案内していただいたと思う。
もしかしたら、棋士・女流棋士の先生方も行く機会のない場所すら行ったかもしれない。
そんな私が訪れた最後の未踏の地が道場だったのは、なんとも「観る将」っぽさ全開だったといえるのではないだろうか。
十分に留意された対局机すべてで、幅広い年齢層の方々が、真剣なまなざしで将棋をさしている。
そんな中、頭の悪そうなイカレた金髪の変なやつがふらふらとやってきて、アテンドの先生方と親しげに話している光景は、傍から見てさぞ異様だったに違いない。こんな棋士・女流棋士はいないからだ。
あっという間に終わる一日
絆創膏でなんとか取り繕った心のことなぞついぞ忘れて、楽しい時間を過ごすが、その時間、その瞬間が近づいてくる。
画面の向こうの様子が、観る将の自分でもどちらが優勢かわかるようになるころ、アテンドの先生方に今日一日の感謝を伝え、シャトーアメーバに移動する。
いろいろな感情が渦巻くその場にまた足を踏み入れるために。
棋譜に目をやり、感想戦を耳にし、アテンドの先生方の解説を思い出しながら、脳内盤を動かす。
その日一日の瞬間的な記憶力に我ながら感心する。精度の悪さは心の片隅に追いやって。
いつもはモニター越しに観ているあの正面からの風景を、いわゆる将棋関係者でない人物である自分が、自分だけが、あの角度から見ることができるのは、やはり、言語化できないなんともいえない感情を抱くものだ。
この不思議な感覚は、何度目であっても、すべてで同じだったことはないこの感覚は、やはり特別なものだ。
すべてが終わり、駒を片付けて、最後の一礼のあの瞬間まで。
その一日のできごとが走馬灯のように駆け巡る。
あっという間に過ぎていった楽しかったあの時間はここで終わる。
終わってしまうのだ。
その少しの寂しさもまた、自分にとっては唯一無二のかけがないのない思い出の一片となるのだ。
最後の最後まで見送ってくださった職員さんと、
また、よろしくお願いします
などと言葉を交わす。
対局が行われたあの場所、アテンドの先生方と談笑をしたあの場所、さまざまな想いに後ろ髪をひかれつつ、将棋連盟の袋を抱きかかえ、千駄ヶ谷の駅の改札を抜ける。
また、いつもの変わらない日常に戻るために