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「肩書き」と「蓄え」の重み。 ー 「危機」に直面して思うこと。

 今回「コロナ危機」に直面して、「肩書き」と「蓄え」の重みを感じている方が結構いるのではないか。*個人経営のお店や企業は好きには働けるというメリットは大きいが、今のように突然売上が落ちると途端に窮地に立たされる。「大手に勤めていて良かった」と感じる人がいるのも無理はない。

 *「損切丸」は地方公務員の息子で「お堅い職業」の血を継いでいる。東京で個人経営の会社をしている親戚がいたが、暮らし向きが豊かで正直羨ましかった。おそらくほとんど「経費」扱いで良い車に乗り、おいしいものを食べ、おまけに「通勤地獄」もなし。サラリーマンから見たら考えられないような贅沢な暮らしだ。しかし逆に言われたのが「勤め人はいいね、毎月”必ず”月給が出て」。いつ仕事がなくなるかもしれない自営業者の厳しさを垣間見た瞬間だった。

 「損切丸」が転職したのは丁度30歳の時。香港にいたので、夏休みの時など「ペナン島に旅行」などとウソを言って東京で就職活動していた。ウソがばれたらどうしよう、などとちょっとビクビクしたものである。

 無事米国系銀行の最終面接まで行きあとはレターをもらうだけ、となっていたが突然ドタキャン。これは外資系に入って判ったことだが、人事が突然変更されるのは日常茶飯事。後からふり返って「若気の至り」というか随分無謀なことをやったものである。

 次に就職先が決まるまでほぼ1か月間、30歳にして「完全失業者」になった。今では笑って話せるが、当時強気一辺倒の30歳にはなかなかのショックだった。住む所もままならないので、当時の「ウィークリーマンション」に奥さんと2人で住むことになった。

 これがなかなかに気分を落ち込ませてくれる施設。6畳一間の1Kに2人用のベッドがL字型に配置されており、電気コンロが1個だけ。廊下で会う人達も目をそらす人が多く、何やら”訳ありげ”だ。そして精神的に最もこたえたのが申込書の「職業欄」

 「ここ、空欄でいいですか?」

 情けなかった。特に男性にその傾向が強いのかもしれないが、人は「肩書き」で生きているのだな、と思い知った。

 その後ようやくイギリスの銀行に就職が決まり、住む所を探しにいったのだが、ここでも「肩書き」の重みを感じる出来事に出会う。不動産屋さんに行ってもあまりいい物件がなかったが、勤め先が「銀行」であることを告げると担当者の態度が一変

 「早く言ってくだされば良かったのに」

 棚から別のファイルが出てきて駅近のいい物件をすぐ紹介してくれた。おそらく「堅い職業限定」の大家さんがおり、*「銀行員」は別扱いだったのだろう(今はどうだろうか?苦笑)。「肩書き」の威力だ。

 筆者は親が公務員だった反動もあって「ネクタイとスーツを着る職業」、特に「銀行員にだけはなるまい」と心に決めていた。「七三分け」とゴキブリのように黒光りする革靴...。結局30年近く銀行で働く事になるのだから皮肉なものである。もっとも純粋な「銀行業務」ではなかったが。

 そしてもう一つ大事なのが「貯金」。何せ会社を辞めるわけだから全ての費用は自分で払わなければならない香港から東京に引っ越すだけで100万円以上かかったので「貯金」がなければ転職に踏み切れなかっただろう。大学の仲間が成田空港まで車で迎えにきてくれたのもうれしかった。

 「肩書き」と「蓄え」だけ考えたら大企業がベストだろう。いわば「寄らば大樹の陰」。こんな未曾有の危機でも、約460兆円という巨額な「内部留保」を抱える日本の大企業は盤石だ。しかし筆者は「大企業」就職を強く勧める立場ではないむしろ逆だ。

 確かに入社3~5年は社会人としての「基本」をみっちり教育してくれるので有り難い部分もあるが、「役職」につくようになると「基準」が激変する。「社畜」になるよう要請してくる会社も多いのではないか。

 「靴を舐めろ、と言われたら舐めるんだよ」

 「偉くなるために銀行に入ったんだろ?」

 香港で上司に投げかけられた言葉だ。筆者は高校時代は野球部にいたので結構我慢がきくと自負していたが、これで完全に目が覚めた。

 「ここは自分のいるところではない」

 辞める決意が固まったので今では”感謝”さえしている***まるで「半沢直樹」だが日本の大企業は多かれ少なかれこういう部分がある。

 ***支店長や上席の人達を見ると、まるで目が死んだ魚のようで、顔の右半分と左半分が完全に別になっている人も多かった。長く勤めるとこうなるのか...。あまり将来に希望が持てなくなったのも事実である。

 「肩書き」「蓄え」の代償は大きい。例え大企業に就職できたとしても、今や一部のエリートを除けばほとんどが50代で社外に放り出される。大事なのは個人個人がいつ何時今の職を追われても生きていけるよう「蓄え」準備しておくこと「蓄え」といっても「貯金」だけでなく「技術」「人脈」も大切で、そこで新しい「肩書き」に書き換えられる40歳までにほとんどの人の「生き道」が決してしまう、と今(56歳)になって思う。

 それから更にもう1点。仕事生活が終わると最後は”人”しか残らない。そこで「肩書き」はあまり意味をなさなくなる

 「友達は努力しないとできないよ」

 職場でニュージーランド人の同僚にアドバイスされたものだ。人生は長い。できれば20代、30代でもそういう「蓄え」をもっとしておきたかった。若干の反省も込めて。

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