見出し画像

「察する」ことの良し悪し

こんにちは。
全然記憶がないんですが、もう2月も半ば入なんですね…毎月毎年言っているけど、時の流れの感じ方に戦慄を覚えます。。。

「大丈夫」の回答

少し前にあるVoicyの放送を聴いていて、なるほどそういう受け止め方もあるなと思ったことがあったので、少しメモ的に残しておこうと思います。
良いとか悪いとかじゃなくて、その視点はなかったな、という。

私がここ数年リスナーになっている「学びの引き出しはるラジオ」の中で、
 ・何かを尋ねたときに(例えば「これはいるか?いらないか?」)、子どもが「大丈夫」と言って断ることを、いいなと感じている
 ・例えば「いらない」だけの回答だと、そこで会話がスッパリ切れたような印象
 ・「大丈夫」という間接的な断り方は相手を尊重している好印象
というようなお話をされていました。

この受け止め方、自分にはなくて、新鮮に感じたのです。

▼詳しくは放送で▼

確かに、私も
「レジ袋はご入用ですか?」
「あ、大丈夫です」
というようなやりとりを、無意識かつ日常的に行っています。

他方、これまでは自分でも必ずしも良い返し方ではないと感じていて、子どもにはYES/NOを明言するように促してきました。

YES/NOを明言しよう

「食べる?」「〇〇持っていったら?」「〜どうする?」
と尋ねると、上の子はときどき
「大丈夫」(言い方とテンションはその時次第)
と返します。
その返事を聞くと、私や夫は
「大丈夫ってどういう意味?いる(やる)の?いらない(やらない)の?」
と、はっきりYESかNOかを相手に伝えるように促します。
察してもらおうとしないで、と言って。
(ちなみに、「どっちでもいい」と言ったときも同じように決定を促します。)

別に「大丈夫」という返事が嫌いなわけでも許せないわけでもないのですが、子どもの成長においては、いいところと同時に気になるところもあると思うのです。

相手に期待する癖

言わずもがな、「大丈夫」という返事は、相手を傷つけたり気分を損なったりせずに拒否や断りを伝えることができる、優しい言葉だと思います。

他方、相手に次の行動を委ね、自分の曖昧な表現から希望を汲み取ってもらう期待があるようにも思います。

最近自分が仕事をしていて思うのは、
相手への勝手な期待は勝手な失望を呼び、勝手な怒りへと繋がるということ。
めちゃくちゃに忙しいと思っている中で、同じチーム同じ業務を分担している相手に対し、
「ここ汲み取って動いてほしいのにな〜」
「こういう状況なら普通こうなるよね?」
と苛立ち混じりに感じてしまうことがあるのですが、よく考えると勝手に忖度を期待して勝手に苛ついているんですよね。考えは言葉にしないと伝わらないのに。
何なら言葉にしたって思ってたとおりの伝わり方をしないこともあるのに。

忙しくてキーッとなってしまいがちな私、ときどき我に返って反省しています。

そんなことを踏まえると、子どもには、察してもらえることに慣れたり期待するようになったりしないほうがいいな、と思っているのでした。

一方で、ちゃんと伝えられないようなことは眼中に入れず、汲み取ることは全くしないのがいいかというと…そうでもない。
相手がうまく明文化できないような気持ちを汲み取って共感して寄り添うことに長けている民族性はとても素敵なこと。この「察する」訓練の賜物でもあるかと思います。

ですので、塩梅が難しいなぁとVoicyを聴いていて感じたのでした。

難しく考えすぎかもしれないですけどね。

いいなと思ったら応援しよう!