真夏の蜜
真夏のある日、アパートの部屋で交わったあとに、彼女が冷蔵庫から「買ってきたの」と言って、いちじくを出してきたことがあった。昼下がりだった。灼けつくような空気に、蝉の声が絡みあうように響いていた。
「いちじくって、なんだかねっとりして、甘くて、形とかも、淫靡な感じがするの」
そんなことを言う彼女に、ふうん、と応じながら、私は、彼女がシンクで洗ってガラスの皿にのせたいちじくを掴み、皮ごと咀嚼した。生まれて初めて食べるその果物は、不味くはないがとりたてて美味いとも思わなかった。たしかにねっとりして、甘い。でもそれだけの果物だ、と思った。
「栄養もあるって」
「そりゃ、栄養は、あるんじゃないの。果物なんだから」
私の間の抜けた言葉に直接応じるかわりに、彼女は、私にくちづけをした。舌と舌が絡んだ。いちじくの種と幽かな甘みが、唾液とともに口内に流れてきた。
「憶えててね。これ、わたしの味」
離したくちびるを指でぬぐいながら、彼女は私をまっすぐ見ていた。
「あなたのこと好き。ばかだから。いやらしいから。ばかで、いやらしい人って、いちばん、好き」
「いちじくなんて、好きだったっけ?」
いつのまにかダイニングテーブルの椅子に腰掛けていた妻の声で、回想は中断した。
私は、ああ、うん、なんとなく買った、などとあいまいな声を返しながら、パックからひとつ取り出したいちじくを水道の水で洗い、シンクの前に立ったまま、皮ごと、齧った。
皮を洗った水と果汁が混ざった液が、私の指と舌と唇を濡らし、ぽたぽたとシンクに垂れてゆく。
──憶えててね。これ、わたしの味。
ぼやけた甘みと、細かい種をぷちぷち噛み砕くときの歯ざわりで、忘れていたはずの夏がよみがえる。
私はいちじくを咀嚼しながら、彼女の舌の甘さを思い出す。肌の匂いを思い出す。熱く潤んだ部分を思い出す。そして──
外では、蝉の声がする。声は幾重にも重なって、真夏の空気を震わせている。