珈琲と煙草、4つの掌編②

 私はむかしからコーヒーが好きだった。
 煙草の匂いも、むかしから好きだった。
 それはきっと、母の妹の眞知子叔母さんの影響だ。

 眞知子叔母さんは、私の実家近くの駅から、ふた駅離れた街で独り暮らしをしていた。
 小さな会社に事務員として勤めていた叔母さんは、読書や音楽が好きだった。アパートに遊びに行くと、たいていアルゼンチンタンゴか中島みゆきのレコードが低くかかった部屋のなかで、古い小説や戯曲の文庫本を読んでいた。食卓兼机として使っていた、古道具屋で買ったというテーブルの上には、いつでもコーヒーカップとショートホープの箱とガラスの灰皿があった。

 叔母さんは、中学生だった私に、間違っても煙草をすすめたりすることはなかったが、アストル・ピアソラがいかに素晴らしいかを語ったり、チェホフを読んでごらんなさい、と言ったり、バンドネオンという楽器の美しさと難しさについて教えてくれたり、中島みゆきの歌詞に出てくる言葉について説明してくれたりした。そして、上等の豆を手動のコーヒーミルで挽いて淹れたコーヒーを飲ませてくれた。

 母は、眞知子叔母さんのところへ私がしょっちゅう遊びに行くことについて、いい顔をしなかった。遊ぶなら、学校の友達と遊びなさい。そんなことを、毎回言った。

 叔母さんが死んだのは、私が大学2年の夏だった。空は青く、陽射しの強い、暑い日だった。

 火葬のあいだ、なにかで外に出たとき、私は嗅いだおぼえのある煙草の匂いに気づいた。
 母だった。
 母は、涙を流しながら、咳き込みながら、煙草を吸っていた。あれはきっと、叔母さんのショートホープだ。

 私は気づかれないように、その場を離れた。

 いま、私は、ショートホープを吸い、コーヒーを飲みながら、独り暮らしの部屋で自由に過ごす休日をなによりの楽しみにしている。

 本と、音楽も欠かさない。

 そうしながら、眞知子叔母さんのことや、あの日の母の姿を思い出したりしている。