大宅壮一文庫へ通っていた頃の話
東京の八幡山にある大宅壮一文庫がピンチらしい。ここは公益財団法人が運営している雑誌専門の図書館だ。明治時代以降のさまざまな雑誌が保管・データベース化されていて、昔の世相や文化を調べるなら真っ先に行ったほうがいい。
単に見出しがデータ化されているだけでなく、記載されている要素でも索引に組み込まれているのが特徴。おそらく国立国会図書館に行っても同じ文献に当たることが可能だけれど、目的の記事に行き着くまでのルートは大宅文庫のほうが整備されていて使いやすいと思う。
ただインターネットが普及してからの運営は大変だと聞く。入館料や年会費のほかコピー料金などが主な収入で、来館利用者が減ると収益減に直結してしまう。そこで2017年にクラウドファンディングに踏み切って、当時はずいぶん大きなニュースになった。
今回、大きな封筒が届いて「大宅文庫パトロネージュ(寄付)でクレジットカード決済ができるようになりました」とのこと。微々たる金額ではあるけれど早速寄付をした。
大宅文庫というとマスコミ御用達のイメージがある。私も学生時代にテレビ番組の構成事務所でアルバイトをしたことがあり、そのときの調べ物で大宅文庫にはめちゃくちゃお世話になった。だからニュースで名前を見るとやっぱり気になる。
長野県在住だったけど大宅文庫に縁がある
大学は長野県だけれど、4年生になると出席は週の後半だけで済むようになって残り半分は神奈川に帰省がてらアルバイトをすることにした。90年代半ばの話だ。
当時はニフティサーブのパソコン通信をやっていて、テレビドラマフォーラムに出入りをしていた。たまたま東京でオフ会が開かれるというので参加して、テレビ番組の構成作家さんと知り合った。「就職どうするの」と聞かれて「マスコミにも興味があります」と答えたら「就職には直結しないけれど経験にはなると思うよ」とアルバイトの口を紹介された。
それが番組構成事務所での仕事だった。
毎週、特急あずさで新宿に着いたら半蔵門にあった事務所に行き、事務所の電話番や掃除などをする。届け物や調べ物があったら使いに出される。
その事務所ではNHKの番組をいくつか担当していたので、渋谷のNHKにも何度か行った。乗ったエレベーターに7時のニュースのアナウンサーさんが乗り込んできて、思わず会釈してしまったこともある。こっちは知っているけれどあっちは全然知らない。そりゃそうだ。
ある化粧品メーカーに宣材写真を返却しに行ったら、ちょうど相撲の若貴兄弟大一番の時間に当たってしまって、社内のテレビを囲んできた社員さんからとても嫌な顔で「なんで今来たの」と言われたこともあった。そりゃそうだ。
そんなお使いの一つが、大宅壮一文庫での調べ物だった。
芸能人の昔のエピソード探し
その事務所ではあるトーク番組の構成を担当していた。収録の何週間か前にゲストが決まる。ゲストが決まると構成作家さんは「番組内でどんな話をするか」の台本をざっくり作らなければいけない。
でも台本を作るためには材料が要る。その材料を探しに行く先が大宅壮一文庫であり、私の仕事になった。リサーチの仕事に似ているかもしれない。
例えばAさんという女優さんがゲストだと決まる。大宅文庫は雑誌の宝庫なので、Aさんのデビュー以来の記事がそのまま残っている。ここのデータベースから「使えそうな記事」を探して、実際の記事をコピーして帰るのがミッションだ。
大宅文庫は入館時に料金を払う。当時は事務所が法人会員だったので私は何も払わなくても大丈夫だった。入った後は1階の空いている端末を見つけて座り、しばらく「使えそうな記事」探しに没頭する。データベースからある程度記事を絞り、必要な雑誌名・号数・ページを確認したら、それを2階カウンターに出して実際の雑誌を出してもらう。閉架式なので係の人に申し込まないと雑誌は読めない。
その後は出てきた雑誌を実際にめくって、さっきチェックしたページにある記事を確認する。ここで「使えそうな記事」とそうでない記事の判別をして、必要なページに栞を挟み、コピー申請をする。
場合によっては何十冊かを抱えてカウンターに申し込むことになる。しばらく待って、出来上がったコピーを受け取り、お金を払って帰る。さすがに1枚10円とはいかず当時も数十円かかったと思う。多いときは1万円以上支払った記憶がある。何枚だ。というかコピーしてくださったスタッフさん、本当にありがとうございました。
事務所に戻った後はコピーした記事の「使うエピソード部分」にマーカーで印を付け、Wordでも箇条書きで「こんな話があった」とまとめ直してミッション完了。
構成作家の先生はそれを見て台本を書き、当日はMCのタレントさんが確認して番組が収録される。何ならAさんもそれを確認しながら話す。大宅文庫様々の制作フローだった。
大宅文庫でのデータ探しのコツ
テレビのトーク番組で紹介するエピソードを探すのだから、それなりのボリュームと詳細情報が記事にないと空振りになる。データベースで分かるのは見出しだけで、実際の内容は雑誌を見ないと分からない。1日の閲覧可能数は上限があるので、むやみに取り寄せて出すわけにもいかない。
大仰な見出しに惹かれて雑誌を出してもらったものの、肝心の記事は数行で終わっていることもあった。こういうときは「かーっ、やられた」と思う。何より空振りの雑誌を閉架式から出してもらう手間が申し訳なく、めくって探す自分の時間も無駄になってしまう。
何度か行くと、だんだん探すコツがつかめてきた。
まず検索ワードの絞り込み。大宅文庫は人名だけでなく「インタビュー」「恋愛」「家庭」などの要素でも整理されている。AND検索を駆使すると大失敗は少なくなる。
あと雑誌ごとの傾向。例えば『WITH』や『MORE』で紹介されている記事であれば、かなり長めのインタビューが多い。週刊誌で「ああ、このとき流行したドラマの名前か」とか「写真掲載で名前が出たのか」と分かるようなものは避ける。でも週刊誌で「告白」のようなタイトルがついているのであれば、過去の事柄について情報があるかもしれないから残す。
80〜90年代の自分の感覚で「見出し選び」をすれば当たりが引けるもの、60〜70年代の当時の世相やゲストの立ち位置を考えて選ばないと空振りに終わりそうなもの、意外な場所で語られている過去の話(イメージとは違うけれど『文藝春秋』に出てた)など、見出しから想像するアンテナはとても鍛えられた。
大宅文庫周辺の思い出
メインの仕事以外の出来事も印象に残っている。マスコミ慣れしていない自分にとっては1階の片隅でライトを当てて雑誌の撮影をしているクルーが新鮮だった。「ああ、マスコミのそばで仕事をしているんだなあ」と勝手に感慨深くなった。
大宅文庫へ行く日は1日仕事なので、午前中に入館した後、お昼は外へ出てまた帰ってきて続きをする。そのときはいつも八幡山駅高架下にあった中華屋さんでレバニラ定食を食べていた気がする。
コピーは数十枚をお願いするので、待つ間はソファに腰掛けてぼんやりしていた。今のようにスマホがあるわけではなく、集中して一仕事を終えた感があった。これはこれでゆっくりした時間が流れていた。
戻ってWordにまとめるとき、最初は指先を見てチクチク打っていたけれど、あまりにも面倒なのでブラインドタッチを覚えた。たぶん1週間かからずに今くらいのスピードにはなったと思う。
そういう景色も全部込みで「大宅文庫」という記憶になっている、少なくとも自分の中では。
雑誌図書館は残っていてほしい
数年前、久しぶりに大宅文庫へ行ってみた。昔は人があふれていて端末を見つけるのが大変だった。でも今は余裕をもって調べ物ができる状態で、それがいいのかどうか微妙な気持ちで帰ってきた。
個人的に新聞縮刷版や昔の世相・流行を眺めているのが大好きなので、大宅文庫はずっと残っていてほしい。というわけで、関心のある方はぜひこちらのページもチェックを。
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