茅ヶ崎市美術館『浜田知明 アイロニーとユーモア』を見に行く
名前はちゃんと覚えていなかった。でも代表作といわれる《初年兵哀歌(歩哨)》は見たことがある。版画家、彫刻家ということもほとんど知らずに「近くでやっているなら」と茅ヶ崎市美術館『浜田知明 アイロニーとユーモア』を見に行った。
おお、そんなご縁があるのか。
おじいちゃんと同い年だ
展示の冒頭からおそらく最も有名であろう『初年兵哀歌』シリーズを見ることができる。自身が従軍した中国戦線の経験で触れたもの、経験したことがどこかユーモラスな描写で銅版画になっている。
というか、ある程度ユーモラスのオブラートに包まないとエグい。
シリーズの並びの途中に浜田知明の系譜があり、そこで初めて気づいた。1917(大正6)年生まれは母方の祖父と同い年だ。祖父も太平洋戦争より前に中国戦線へ行き、無事に戻ってきたおかげで母が生まれている。
カメラ好きな人だったので、あちらでもいろんな写真を撮っていた。小学生のときにアルバムをめくりながら当時の話を聞いたことがある。まだまだ幼さも残すような若者たちが集って笑っている写真、ちょっと真面目な顔をした記念の写真。
「他にもいろんな写真があったけどな」
「どんな写真?」
「そりゃあ持って帰れないようなやつだよ」
子ども心に「その先はおじいちゃんの口からはあんまり聞きたくない」と思って、続けなかった記憶がある。あれだ、あれをたぶん浜田さんは見た。
見てしまった浜田さんは消えようもなく心に刻んでしまって、それが銅版画になったに違いない。おじいちゃんと同じ場所にいた人なんだな、と思うと急に展示の解像度が上がった気がした。うわあ。
描写自体はエッチングの細い線なのだけれど、元になった風景は絶対にエグい。ここから逃げられないとなったら《初年兵哀歌(歩哨)》のように足で引き鉄を引きたくなるかもしれない。おじいちゃん帰ってきてくれてありがとう。
遠近法と目玉と
『初年兵哀歌』シリーズ後も浜田さんは人を題材に銅版画を作る。一貫しているのは遠近を強調したユーモラスな構図、人間の細い足、目玉のモチーフ。
やっぱり中国での体験、見た事象は何十年も引きずるのかなと思った。どうしても細い足と目玉からは生きている人間を連想しない。骸のような、身体の形をした虚しい存在を考えてしまう。それを狙ってそうしたのか、もうこういう人間にしか描き得なかったのか。
そういえばあんまり笑っている人間がいないかもしれない。回ってみて一番好きな作品は《アレレ・・・》で、困惑しながらちょっと苦笑いみたいな顔をしている。彼?の周りのオーラは不穏なのだけど、知ってか知らずかこの表情でいられるのは強い。
これと、自身95歳のときに自らをモデルにしたという《杖をつく老人》も少し口端が笑っていた。美術館の公式サイトでも載っている。
逆に言えば、この2点くらいしか「楽しくて笑っている感じ」がなかったような気がする。
銅版画を立体化した像
面白いなと思ったのは、自分が過去に銅版画で発表した作品をさらに粘土などで3Dにした試みだった。空爆と子どもを題材にした銅版画《ある日・・・。》は、手前で叫んでいる子どもの奥に廃墟がある。これが立体化された作品も今回展示されている。
上から見たり、子どもと同じ高さから見たり、角度によって廃墟と子どもの関係が変わる。横から見ると銅版画では分からなかった景色が現れる。その後にまた銅版画に戻ると奥行きの感覚が変わるような気がする。
どちらも必要な作品だと思った。
年間パスポートを買う
住んでいる場所から近い美術館なので、思い切って年間パスポートを購入した。通常なら1回700円、年間パスポートは2000円、3回来るなら元が取れる計算でこれなら余裕でクリアできる。
併設のレストランも5%引きになるらしい。食事後に購入したので今回は利用できなかったけれど、次回はちゃんと提示しようと思う。
↑初めて食べたミートローフプレートはちょっとびっくりしたぞ。