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コンソーシアムを作りました
フューチャー・デザイン・コンソーシアム代表の岡本です。このたび、フューチャー・デザイン・コンソーシアムを創設いたしました。まだ「正会員」こそ少ないですが、色々な人たちの協力のもと、公式サイトを立ち上げることがようやくできました。お世話になったみなさま、ありがとうございました。このnoteでは、思いの丈や苦労話などを、複数回に分けて気まぐれに書いていければと思っています。
フューチャー・デザインのゴール
フューチャー・デザインのゴールは、人間の隠れた本能(まだ見ぬ子孫のために頑張ることで満たされた気分になること=将来可能性)を呼び覚まし、持続可能なより良い社会の実現に取り組むことです。私たちは理性的に活動していると自分では思っていても、最終的に本能からは逃れられません(だから生きていけるとも言えます)。そして世の中の「エライ」人たちの多くが望んでいることは、私益増加、陣地拡大、子孫繁栄です。もちろん、そうではない立派な方も大勢いらっしゃいますが、ほんとうにこれだけという方もたくさん見てきました。そんなことばかり追求していては地球がダメになってしまいますが、そんな人たちでも子孫繁栄は望んでいるので、そこをうまくくすぐってあげるのがフューチャー・デザインのキモだとも言えます。大分語弊がありそうですが、目指す大きなゴールはそんなところです。
フューチャー・デザイン・コンソーシアムのゴール
そして、我らがフューチャー・デザイン・コンソーシアムが目指すゴールは、フューチャー・デザインの方法論を教育に取り入れたい人が相互支援し、より良い人材育成や組織運営を行うことです。フューチャー・デザインの方法論は「未来人」になりきるワークが有名ですが、その派生形もたくさんありますし、これからもっと効果的な方法が生まれてくるはずです。フューチャー・デザインの手法を取り入れるだけや改良するだけでは我慢できない人たちがきっとコンソーシアムには溢れてくるでしょう。私自身のフューチャー・デザインではそういう未来を見ています。
こういうことを書くと、私のことをちょっとメルヘンチックでイタい人と思われるかもしれませんが、もちろんそうではありません(イタいところはあるかもしれませんが)。フューチャー・デザインは、実験経済学や実験心理学の手法を用いた多くの検証実験を経て、その効果が認められている手法です。詳しいことは生みの親である西條先生のフューチャー・デザイン研究センターに書かれている文献リストをご確認ください。そして、実は私の研究室でも、脳科学的な検証をいま行っているところです。こちらは、論文(査読を受けて国際ジャーナルから出版するもの)として発表できるのはもう少し後になりそうですが、その前にプレプリント(先取権を確保するために査読を受けずに公開するもの)にしようと思っているので、どうぞご期待ください。
そして、私がフューチャー・デザインに魅せられた最大の理由は、以下の文章でも書いた「強烈な体験」があったからです。他の色々な機関と同様、大学も時代とともに多くの転換期を迎えていますが、知を学び・学ばせ、集め、創り出すという根幹は変わらないと思っています。そして、大学教員は大学の外でもこの根幹に関わる活動を行っている(行ってしまう)人たちです。その根幹に関わる活動の中で、心に残る(神経科学的に言えば、エピソード記憶が強固に保持されている)体験は、やはり大きなモチベーションになります。
良いものは広めたい。しかし、後述するように大学教員にも色々なタイプがいて、教育に対する熱意はピンキリです。だから、1つの大学内で、組織的に教育を行うのはほんとうに大変なのです(その手のマネジメントも現職の重要任務の一つ)。人も情報も繋がりが重視される昨今ですから、1つの大学で閉じているのではなく、同じ思いの人たちが集まったほうがもっと発展するはずです。その思いや同じ思いを持つ人たちの後押しでコンソーシアムを創りました。
ここまでが「思いの丈」の概要です。そうは言っても、最初からうまくいくはずはないので、次回以降、苦労話や愚痴や泣き言が炸裂していくかもしれません。同じ思いを抱えた人がいれば、ぜひ話し相手になってください。
【付録】大学教員のタイプわけ
ここからは付録として、大学教員のタイプわけを書いておきましょう。私は2025年2月の時点で准教授になって20年目(研究活動は+6年10ヶ月、教育重視の組織に入ってからは-7年6ヶ月)で、工学系、医学系、教育系を渡り歩いて色々な人を見たり聞いたり、色々な人と接したりしてきました。その経験から以下にざっくり分類してみます。
研究熱心かつ教育熱心なタイプ。新しい研究を追究するのはもちろん、新しい教育も積極的に取り入れたり、開発したりしている人たちのことです。現在の私はこのタイプになります。良い研究者は良い教育者であることも多いです。
研究熱心だが教育には無関心なタイプ。研究はいくらでもやりたいが、教育には極力関わりたくないと思っている人たちのことです。大学教員である以上は教育にも力を入れてもらいたいものですが、ノーベル賞級のスーパー研究者だったりすると、研究に専念してもらったほうが良いとも思います。座学はやりたくないが、研究指導や人材育成は熱心という人は多いです。私も元々はこれでした。
教育熱心だが研究はしないかできないかしてはいけない境遇にあるタイプ。教育はいくらでもやりたいが、何らかの理由で研究をしなくなってしまったか、あまり研究ができるタイプではなかったか、実務家教員などで元は研究者ではなかったか、研究活動のためのエフォート(大学における従事時間の割合のこと)が与えられていない人たちのことです。研究をしたいのにやってはいけないという辛い境遇の人には同情します。
どちらも熱心ではない、どちらもほとんどしていない、場合によってはほとんど大学で見かけないというタイプ。特別な事情を除き、なぜ大学教員が続けられるのかよくわからない不思議な人。
多くの人はこのどれか、あるいはその中間に属するのではないかと思います。通常、大学教員は研究のプロですが、教育のプロではありません。なぜなら、大学教員になるには、通常、博士号は必要ですが、教員免許は必要ないからです。だから、良く言えば多様な人材が大学にはいます。その多様性をコンソーシアム運営に活かせればいいなぁと思っています。