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ウクライナオンファイヤー 陰謀論の正体

どうもアルキメデス岡本です。

さて、今回はウクライナ戦争における陰謀論について分析します。

過去の分析から、ある程度の結論は出ているのですが、今回は映画監督のオリバー・ストーンがプロデュースしたドキュメンタリー映画ウクライナオンファイヤーも参照しながらウクライナ戦争の背景を読み解きます。そして、ネットでよく聞かれる陰謀論の正体についてもさらなる追求をしてみたいと思います。

ウクライナオンファイヤー

この映画では、ウクライナという国の歴史的背景が描かれます。ウクライナは地政学的に東西のパワーゲームに翻弄されてきました。17世紀から他国の侵略にさらされてきた歴史があり、第2次世界大戦時にはナチス・ドイツがウクライナに侵攻し、そこからポーランド、さらにはロシアにまで手を伸ばそうとします。第二次世界大戦がきっかけで、1939年にポーランド第二共和国が滅亡すると、ナチスによって解放され、ウクライナ民族主義者組織(OUN)のステパーン・バンデーラがリーダーとなった。

1941年4月に第2ウクライナ民族主義者組織大会においてOUNの総裁に選ばれ、当初は「敵の敵は味方」論からウクライナを管轄下に置いていたソ連からの解放軍と認識し、独ソ戦争直前はドイツ側を支持した。バンデラはウクライナ国家再生宣言を執筆し、宣言は1941年6月30日にドイツ軍に占領されたリヴィウでヤロスラフ・ステツコによって読み上げられた。しかしドイツはこの宣言を認めず、バンデラは7月5日にドイツ占領当局によって軟禁された後にザクセンハウゼン強制収容所に送られた。その出来事によってウクライナにおける対ソ対独双方と戦う象徴となった。1944年9月のベルリンの獄中でバンデーラは反ソ連武力闘争の指導を提案されたが、ナチス・ドイツとの協力を拒否した。連合軍によってウクライナはドイツ支配下からは解放されたが、ソ連に再占領されたためにウクライナへ戻れず、ドイツ南部へ移住した。

1952年にOUNの幹部を離れたが、西ウクライナでソ連軍に抵抗を続けていたウクライナ蜂起軍の司令部と連携をとった。1956年から1959年にかけて海外のOUNの活動を管理した。1959年10月15日西ドイツミュンヘンでソ連のKGBスパイボグダン・スタシンスキーによって暗殺された。

バビ・ヤール大虐殺

1941年9月29日から30日にかけて、ナチス・ドイツ親衛隊の特別部隊およびドイツからの部隊、地元の協力者、ウクライナ警察により、3万3771人のユダヤ人市民がこの谷に連行され、殺害された。「バビ・ヤール大虐殺」はホロコーストにおいて1件で最大の犠牲者を出した虐殺と見なされている。9月末の虐殺の後も、数多の市民がバビ・ヤールへ連行され、銃殺された。推計では第二次世界大戦中にナチスによっておよそ10万人がバビ・ヤールで殺害され、その大多数が市民であり、またその多くがユダヤ人であった。

9月28日、キエフ市内にロシア語ウクライナ語ドイツ語によるビラが張り出され、キエフ市内および周辺の全ユダヤ人に対して、翌29日午前8時に墓地近くのメルニコフ通りとドクテリフスキー通りの交差点への出頭が命じられた。これに応じて3万人を越えるユダヤ系キエフ市民が墓地近くに集合した。アインザッツグルッペ隊長報告などによれば、ユダヤ人たちは列車に乗せられて強制移住させられるものと考えていたようである。目撃者の証言によれば、ユダヤ人たちは服を脱ぐように指示され、ウクライナ警察の誘導に従って、順番に手荷物、貴重品、コート、靴、上着、下着などをそれぞれ指定の場所に置かされた。抵抗すれば殴られ、最終的に10人ずつの集団でバビ・ヤール峡谷のへりに立たされ、銃殺された。人数が多く、またアインザッツグルッペの組織力のために、人々が事態に気付いた時にはすでに遅かったという。兵士たちは夕方には峡谷の壁を切り崩して死体を埋めた。


その後2年間にわたって、ロシア人、ウクライナ人、ジプシー、そしてありとあらゆる国籍の人々がバビ・ヤールで殺害された。バビ・ヤールがユダヤ人だけの墓地であると思うことは間違っています。あれは国際的な墓地なのです。あそこにどれほどの人が、そしてどのような国の人が埋められているのか、誰にも決してわかることはありません。なぜならその遺体の90%は焼かれ、灰は峡谷や畑に撒かれたからです。

それを救ったのがスターリン率いるソ連。ウクライナは「ロシアが守ってくれた。ありがとう」と感謝し、ソビエトの一部になりました。結局1991年のソ連崩壊後に独立することになりますが、ポイントになるのはネオナチが残ったことです。

ネオナチ右派セクター

2013年11月に極右団体トライデントのリーダーであったドミトリー・ヤロシが中心となり、ウクライナの各極右組織を元に設立。ステパーン・バンデーラに代表されるような第二次世界大戦時の対ソ抵抗パルチザンであるウクライナ蜂起軍の伝統を引き継いでいる。北米を中心とした世界各地のウクライナ系移民からの支援も受けている。2014年3月22日に極右民族主義団体であるトライデントウクライナ民族会議 ― ウクライナ人民の自己防衛ウクライナの愛国者、ウクライナ国民会議、ホワイトハンマーが合併し新政党を創設した。これらのネオナチはウクライナ国内で起こった2度の革命(04年、14年)を先導。

そしてオリバー・ストーン監督によると、そのネオナチに資金援助していたのが何と米情報機関CIAだと指摘している。要するにナチスの思想を受け継ぐ組織でさえも、ロシアの防波堤として利用したというわけ。だからこそプーチン大統領は今でもネオナチを敵視しているのです。もちろん、これはあくまでオリバー・ストーン監督の取材や見解を基にしているので、事実かどうかまでは正直わかりませんが、極右組織の右派セクターなどが2014年ウクライナ騒乱と暫定政権への参加をした事は事実である。

陰謀論の正体

2014年のウクライナ騒乱や今回のウクライナ侵攻の背景には、このようなウクライナの歴史とネオナチの存在がある。そして、それを支援しているのがアメリカのネオコンやジョージ・ソロスといったユダヤ金融資本家、いわゆるディープ・ステートと言われている。
これらの説を信じる人々を陰謀論者と一般的には呼ばれているが、果たして本当だろうか?

オリバーストーンのウクライナオンファイヤーの視点では、この陰謀論がベースになってはいたが、ウクライナという国の歴史とネオナチの関係は今もなお根深く残っている事は事実であり、ウクライナ民族主義者と親露派主義者の対立もウクライナ西部と東部で分断されている。

そして、今回のウクライナ侵攻でプーチンが目的にしているのは、ウクライナの非ナチ化である。実際にはウクライナのネオナチは存在しているのだが、全体からみれば極少数であり、新政権内部でも右派セクターの過激な活動に危惧を示す政治家も存在するなど国民の支持を受けているとは言いがたく、3月時点の世論調査では、右派セクターの支持率は1%未満と低迷している。

その後、暫定政権によって発足した国家親衛隊の志願兵として、ウクライナ東部での親露派鎮圧の目的のために活動拠点をそれまでのキエフから、東部のドニプロペトロウシクに移された。そこでの攻撃がだんだんと過激になり、劣勢になった親露派勢力がプーチンに援軍を求めた事で、プーチンのウクライナ侵攻へと繋がったのである。プーチンから言わせればこれが侵略ではなく、軍事作戦と呼んでいる理由がうなずける。

つまり、アメリカのネオコンやユダヤ金融資本家が支援するウクライナ西部勢力とロシアのプーチンが支援するウクライナ東部勢力(クリミア含む)との勢力争いは、ウクライナ独立後ずっと続いており、ウクライナの歴史的背景から考えても単なる陰謀論で片付けられるようなものではないのだ。

もちろん、ロシア側の侵攻は認められるものではないが、ウクライナのネオナチは過激であり、かつてナチスに協力しバビ・ヤール大虐殺を行ったOUNの思想を受け継いでいるので、ロシアからすればロシア人を虐殺する驚異として見られているのは間違いない。

一般の日本人はそんな歴史は知らないので、西側のニュースやプロパガンダを単純に信じ込むだけでは、真実は見えてこない。かといってロシア側のニュースやプロパガンダを全て受けいる事もできない。重要なのは、どちらの情報も調べた上でその背後にある歴史的背景を含めて冷静な分析をする事だ。

そうする事で陰謀論の正体が見えてくるのではないだろうか。

しかし、ネット記事などでは、これらの陰謀論を直ぐに偽物と決めつける浅はかな分析が多い。陰謀論を単純に信じ込むのは問題だが、それを否定する側も根拠が乏しい論説で真実が見えていない。

結論

これらの歴史的背景を調べれば、どちらの言い分にも合理性があると言える。事実、クリミア半島は元々、ソ連が支配していた地域であり、住民の半数はロシア系住民である。それを無理やり、ウクライナ系に同質化しようとしても無理がある。東部もロシア系住民が多く、言語はロシア語だ。だが、多くのウクライナ人はソ連とナチスによって苦しめられてきた歴史があり、その支配からの独立を求めている。

結局、お互いがお互いの主張だけをしており、話し合いで解決が出来なくなり過激な軍事衝突に発展し、どんどんと感情的になりそれが憎悪に変わり罪のない民間人を虐殺している事になってしまっている。それは、ナチスが辿った道と同じである。

そもそも、ウクライナという国は地政学的に西側と東側の勢力拮抗地帯の為に、単一なウクライナ人というのはいないようだ。それが原因で半ば内戦のような状態が続き、外部勢力によって侵略され続けている歴史がある。なので、ゼレンスキーが言う民主主義の為の戦いや、ロシアが言うネオナチからの解放といった一方的な主張は通用しない。それがウクライナという国の実態であり歴史なのだ。

話はそれからだ。





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