頁をめくる手を止める~読み取り力で「豊か」になる一歩①
鈴木洋平さんのnote、「「多読」によって失われるもの」を読みました。
一節を引用してみます。
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく。」
「本を読んでいるとき、意識しない限りは「考える」という行為をすることはない。ただただ、他人の考えをなぞっているにすぎない。」
「漫然とした読書を繰り返すことで「考える力」が奪われ、そのうち何でもかんでも本に答えを求めてしまうような時期が自分にはあった。」
鈴木氏の記事は、「自分で」考える時間を持ち、「自分なりに」考える時間を持つことの大事さを教えてくれました。
読書とは他人にものを考えてもらうこと・・・という部分。
ここは、特に大事だと思いました。
最近、発売された、𠮷原珠央さんの『その言い方は「失礼」です!』(幻冬舎新書、2020年)を読みました。この中の一節に、<質問をされても調子に乗って喋りすぎるな>というものがあります(同書、30~33頁)。
もし、鈴木さんの記事に出会っていなければ字面だけをあっさり流してしまったかもしれません。でも、記事に出会ったおかげで・・・
読書の目的を意識する。
今、自分は、何のためにこの本を読んでいるのかを振り返る。そのために、頁をめくる手を止め、ノートに考えたことや思ったことを書き出してみる。
こういう時間を持つことの大切さを自覚しました。
この前、オブザーバー参加したオンラインの交流会・報告会で、自分にもコメントや質問の時間を割り振ってくれた。こういう場合、自分はどう振舞えばよいのかを、マナーのプロから学んでいるんだ、という意識を持つことが大事。自分のことを長々話したり、自己PRをするものではない。
まずは報告者や司会者に感謝の言葉をかけることがマナーである。こういうことを実践するヒントとするために読書をしている。
ざっと、こんな感じで、頁をめくる手を止め、思ったことをノートにメモをしました。
このノートを見返すことで。𠮷原さんの一節は3ページ前後ですが、今の自分にとっては、実に100頁分の本を読んだと同じくらいの気づきをくれました。
以前の私なら・・・漠然としたまま、他のマナー本やコミュニケーション本に答えを探して、あるいは、答えを探し求めているという自覚もないままに、書店巡りや、ネットでワンクリックの注文を繰り返していたと思います。そして、お金を書店さんに「喜捨」していたでしょう・・・
「多読」によって失われるもの・・・
読書、考えること、というテーマについて振り返る、貴重なきっかけとなりました。