鈴木洋平さんのnote、「「多読」によって失われるもの」を読みました。 一節を引用してみます。 「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく。」 「本を読んでいるとき、意識しない限りは「考える」という行為をすることはない。ただただ、他人の考えをなぞっているにすぎない。」 「漫然とした読書を繰り返すことで「考える力」が奪われ、そのうち何でもかんでも本に答えを求めてしまうような時期が自分にはあった。」
だいぶ更新をさぼっており、久しぶりの作成です。 今回は、高円寺さんの記事「文系院生はなぜ生まれるのか」に、大いに拠っています。読者の皆様の中には、1990年代後半から2000年代前半の大学院重点化政策期=院生の数が大幅に増えた時期に、院生だった方もいらっしゃるでしょう。ぜひとも、今回参照させていただいた、高円寺さんの記事を読みながら、お付き合いください。 https://note.com/kouenj/n/n2ed329c7be4d 高円寺さんは、 「文系院生はなぜ
コンテンツ整理のため、一部記事を削除しました。ご了承くださいませ。
ご存じない方は、阪急電鉄と東宝の公式サイトがあるので、ご参照ください。 もう10年前の作品ですが、小説版とDVD映像版、今でも、時々読み返したり、観直したりしています。私は阪急の神戸・宝塚・京都の各線にある街歩きが好きなので、この作品はツボにはまりました。 作品全体を貫いているストーリーは、もちろん大好きです。私は、より一層楽しむために、登場人物でも、沿線風景でもいいのですが、何か一つテーマを決めて、読み返したり観返したりしています。そうすると、私なりの発見、学び、楽しみ
昨日投稿したのですが、石田健さんの記事を再度、ご紹介させていただきます。ここでは、次のような一節があります。(以下、引用) 「文系院生のなかでも人文学の研究者は特に就職しづらい」という事実も確認するべきである。例えば、経済学や政治学の中でもポリサイと呼ばれるような、統計を使ったり数式を用いた理論を駆使したり、プログラミングを用いる研究者は、就職に困るどころか、ますます活躍の場は広がっていくと思われる。 「ここに量的研究をおこなう社会学や心理学を加えるならば、意外にも多くの
最近読んだnoteの記事で、高円寺さんの投稿「文系ポスドクの生活」。 これが興味深かったです。 部分的に引用させていただきます。 「理系の院生やポスドクで生活を書くブロガーはいらっしゃいますが、就職やキャリア形成、収入源という点では、理系院生の情報は文系院生にとってあまり参考にならない。一方、文系院生やポスドクで目に入るのは、あまりよくないニュースばかり……。しかし今後も文系院生とポスドクは増え続けるだろう。それでは文系院生とポスドクは、どうやって研究生活をサバイブして
「おとなの読解力」、「社会人の国語力」・・・・ こうしたタイトルの本や、ブログの考察を目にすることが多くなりました。それぞれ、読んでいて、気づかされることが多かったです。 そのうちの一冊。最近読んだ、樋口裕一先生の「「頭がいい」の正体は読解力」(幻冬舎新書、2019年)です。 樋口先生の言う「読解力」とは何か。 読解力=ものごとを正確に読み取り、理解する力(読み取り力) と定義されています。 この、読み取り力は、文章(入試問題、説明書、マニュアル、資格試験問題集の解説、
はじめましてのご挨拶代わりに。少し前、「大学院生、レベル、低下」という検索語でGoogleを調べたら、下記のサイトを発見。 大学院生の指導に苦労する先生のために書いたと思われる、HPが出てきました(広島大学の川添貴章准教授のHP)。 私自身、この内容を熟読し、大学院時代の自分を何度も殴ってやりたい気分になりました。 大学院生の皆さんや修了した皆さんだけでなく、すでに実務に就いている方々にも非常に刺激的で、有益な内容だと思います。 #大学院 #博士課程 #研究 #論文