生涯学習の機会~文系博士号取得者の得たもの
だいぶ更新をさぼっており、久しぶりの作成です。
今回は、高円寺さんの記事「文系院生はなぜ生まれるのか」に、大いに拠っています。読者の皆様の中には、1990年代後半から2000年代前半の大学院重点化政策期=院生の数が大幅に増えた時期に、院生だった方もいらっしゃるでしょう。ぜひとも、今回参照させていただいた、高円寺さんの記事を読みながら、お付き合いください。
https://note.com/kouenj/n/n2ed329c7be4d
高円寺さんは、
「文系院生はなぜ生まれるのか」
で、大学院進学者の動機を①~④の四つに分類されています。今回の記事は、「自分は②のセグメントに当てはまる」と考える皆さん向けに書かせていただきました。本音の部分で、「働きたくない」、あるいは「望むような就職がなかったから、消去法で大学院を選んだ」という動機で大学院に進学したケースです。
実際には、②と④が重なっている、という場合もあると思います。
・文系大学院で博士号を取得した。でも、常勤の大学教員や研究所・シンクタンクのメンバーになれなかった。
・支払った学費、研究に費やした時間の代わりに得たものは何か。学問的な知見以外に得るものは何もなかった。
だから、人生において大損をした!!このように考えるケースも多いと思います。
でも、本当にそうなのでしょうか。失ったことばかりなのでしょうか。
最近、私は、そうではないと考えます。
実際には、「過去の自分とは違う自分」を手に入れているはず・・・
大学院重点化時代の文系院生の多くは、今、もうすぐ40代という人から50代を迎えようとしている人まで、いらっしゃるでしょう。私も、50を超えました。そのような立場から。
それは、貴重な生涯学習の時間(文字通り、学びの機会)だった、ということです。
私がこれに思い至ったのは、参照している高円寺さんの記事がきっかけです。最初に書くべきだったと思いますが・・・高円寺さんの①~④の分類は、非常に有益な自己分析ツールです。自分自身を見つめ直し、将来の方向性を再評価するための重要な手段となります。
文系大学院で博士号を取得しても、すぐに社会的地位や生計が直ちに安定することはありません。むしろ、ないことの方が大半。だからこそ、しばしば自分のキャリアパスに不安になります。特に、②・④のセグメントの要素にあてはまる場合、自分が人生において何をしたいのかがはっきりしないままに、年齢を重ねてしまったという思いが大きい。加えて、社会的な地位と安定した収入への憧れも人一倍強かった・・・
・大学院での日々は、文献調査、論文構想と執筆、それに学会報告や研究発表に追われる毎日。その結果、お情けで博士号を取得できたが、学内の紀要論文の他は卓越した実績を残せず。非常勤講師の声もかからない。
・生計を立てるために、家庭教師、塾や予備校(講師、採点者、模試監督)、コンビニなどでのアルバイト。
・余暇は、何となく興味・関心を持った本を暇つぶし的に読み、Youtubeなどのネットサーフィン。リアルでは、年に数回、地方で行われる学会・研究会ついでの小旅行。
そうした「毎日」の記憶だけが残っている・・・自己嫌悪と後悔の日々・・・
これは、私が大学院生活を送った当時の院生たちによくあてはまります。
私は数年前、高円寺さんの記事をプリントアウトし、通勤する電車の中で熟読しました。そして、院生当時の自分を振り返りました。
1990年代後半から2000年代前半にかけて、大学院生の数が急増しました。これは、前にも書いたように、「大学院重点化」政策の影響も大きいです。同時に、就職氷河期の影響で、多くの人が大学院に進学した、あるいは、一時退避の場になった、という面も大きいです。このような文脈を重視すれば。少子化で定員割れの大学が出る、大学の統廃合すら議論される時代がやってくる。にもかかわらず、増える大学院生の受け皿を用意していなかった政府や大学の不手際を指摘するという言説になります。
私は、早くから、こうした言説には距離を置いてもいました。私が実務経験を経て、大学院に進学したのは29歳のとき。この時点で、自分よりも若い大学院生と競い合って、大学の教員を目指すのは、年齢的にも、短期間で実績を積み重ねるにも、圧倒的に不利だったからです。そこで、修士課程1年の頃から、大手予備校とその系列の出版系の業務のアルバイトを始め、社員になってもよいように備えていました。
それが、幸か不幸かわかりませんが・・・大学院生活とは、生涯学習の期間の一つである、と捉えることができました。大学院生活は、研究者になるための学問追求だけではない。生涯学習の一環としても、捉えることができます。確かに、就職氷河期(就職難)の一時退避として、大学院を利用してしまった、という批判は甘受します。でも、私も含め、大学院重点化政策の時期に、院生として過ごした人々にとって、大学院は、次のような場でもあったはずです。
・純粋に知的好奇心を満たす場であった
・将来のキャリアを見据える自己研鑽の場でもあった
確かに、研究者としては残れなかった。でも・・・
・図書館で各種の信用できる資料や事典類にあたるなどの文献調査をする習慣がついた。
・自分なりに問いを立てたり、いくつかの仮説を立てたりして、それを論証し、検討する習慣がついた。
・暗記的にしか文章を読めなかったのが、論筋を追いながら読めるようになった。
・著者の意見に疑問を持ちながら、本を読めるようになった。
こういった小さなことでもよいのではないでしょうか。
半ば、開き直り気味、後知恵的ですが・・・費やした学資や時間の大きさに見合うのか、という疑問も出てくるでしょう。②や④のセグメント(高円寺さんの分類する番号です)に属する人々は、大学院生活を「免罪符」「逃げ場」と捉えてしまったままなのではないでしょうか。でも・・今からでも遅くない。自己研鑽の時期として捉え直す方が、自分の成長とキャリア形成のために有効だと思います。
・自分自身の強みや弱みを明確にして、将来のキャリア設計を見直す。
・明確な目標を設定し、それに向けた具体的な計画を立てる。
・専門知識だけでなく、ビジネススキルやコミュニケーションスキルも磨く。
こうした、新たな一歩を踏み出していけば、現職でより幅が広がるでしょう。また、求職中、起業を志すという場合も、有益な一歩を踏み出せると信じます。