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「矛盾をおもしろがる」のすゝめ

 人間は根本的に矛盾を抱えている、というのが狼だぬきが取るスタンスの一つである。鏡を前に小さなため息をこぼす女子大生は「痩せてもっとキレイになりたい」し、一方で「ケーキを飽きるまで食べ尽くしたい」とも思っている。卑しい感情の葛藤が、可愛げを奪っているように思える。

 その二つの欲望は矛盾している。もう少し丁寧に言うと、相反しているという語感の方がフィットするだろうか。二つの欲望には正しさも優先順位もなく、ただ彼女とその周りに存在している。

 別の事例でも、夢追いの起業家だって家族と団欒する時間を取りたい。理論家だってアート作品に触れたい。社交家だって時には引きこもりたい。ぼくらは矛盾している。

 思うに、近代というのは人間に一貫性を求めすぎた。矛盾がないこと、要素に還元し、それらがつつがなく目的に一致した直線的な形状をしていることを評価しすぎた。確かに、生産性のモノサシで測ると一貫性というのは素晴らしい評価になる。

 しかし、人間らしさの様な次元でメガネをかけてみると、その一貫性とやらの魅力は途端にしょぼくれて見える。何かを大切にすることは、特定の前提を信奉し切ることでもある。前提のフレームをちょっとずらしたり形を変えたりするだけで、突如として真善美はその輪郭や内実を変えるものだ。

 だから、近代という大きな枠組みから脳みそを解放してみる。すると、一貫性なんてものはどだい幻想であることに気づく。ぼくらは生物として矛盾しているし、エントロピー増大に従わない。物理法則との気まずさを抱えて生き物は繁殖してきた。

 そうなると、矛盾というのはおもしろがる他に取り扱い方がないのかもしれない。矛盾や葛藤を悪とすると、人間は無理をしようとする。よりしなやかに生きるためには、相反する事象をありのままに受け止めていくことが吉となる。

 あるいは、矛盾を解消しようと意気込むとどこかで綻びが生まれる。セーターの小さなほつれみたいに、最初こそ目立たないが徐に大きな穴と広がって行く。そういう類のほつれだ。バカにはできない。

 もし、何か苦しさを感じていたり、葛藤していたりしたとする。それは、認知が矛盾を許せていないのかもしれない。相反する欲望やぶつかり合う感情に否定的にならず、「喧嘩してるなぁ」なんて大人ぶって眺めてみる。そうすると、曇ったメガネをかけていたかのような景色は、冬のお天気の朝みたいに澄んで見えるはずだ。少なくとも、いくらかは。

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狼だぬき
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