入力が生活を彩り、「僕」をつくる

 折に触れて、丁寧な珈琲を飲みたくなる。苦味や酸味、深みなどの要素をつぶさに検討して魅力的な豆を選び、それを手動ミルで挽く。右の前腕にある筋肉が引き締まるのを感じながら、ミルから漂う香ばしさを楽しむ。茶褐色のペーパーフィルターに丁寧に粉を移して、ポットで沸かしたお湯で一度蒸らす。10秒ほどおいて広がる香りを楽しみ、フィルターの縁に粉が残らないように注ぐお湯を回す。そうして淹れる珈琲が日々の一部になると、それだけで人生が豊かで深淵な意味を獲得したかのようにさえ思える。丁寧の魔法。

 音楽もそうだ。どれだけ耳を喜ばせることができるか、鼓膜を心地よく震わせられるかが判断基準となる。血液の輸送速度を上げモチベーションを強制的に高めるようなフリースタイルダンジョンもいいが、クラシックやクール・ジャズが与える安堵もまた一興である。ショパンとマイルス・デイヴィスにしか出来ない。BUMPは孤独を癒やすし、星野源は孤独を共に過ごしてくれる。

 人間は関数のようなものである、と度々思う。もちろん一次関数のような単純明快さは欠ける。ただ、確実に僕たちの脳や身体や心、怪しまれるかもしれないけれど魂のようなものは関数的なブラックボックスだ。項数や係数は不明だが確実に因果関係か相関関係のある函に思える。自分を知っていくというのは、項数や係数の重み付けを知っていくこと、どの項数のrが1に近いかを経験的に割り出すプロセスなのだ。

 Apple創業者のステイーブジョブズは"Connecting the dots."とスタンフォード大学の卒業式スピーチで話した。彼は大学を中退した後もカリグラフィーの授業だけは聴講を続け、その文字芸術の知識がMacintoshのフォント数に影響を与えているという逸話だ。カリグラフィーの入力をしていたからこそ、Macにおける多様で美しいフォントという出力があったのだ。そのタイミングでは未来に繋がるかが見えないものでも、ふとしたタイミングで一つの線として繋がるのだから、今この瞬間に精力を注ごうという文脈でよく出てくる。

 ジョブズの格言は入力を彩ることの可能性を示唆している。日々自分に注入するエレメントが一体何で、どのような傾向を持つかというのが、強くその一人の表出の連続体としての人生に関わるのだ。入力は物語をも彩る。

 認知科学の研究においては、人間は1日に35000回だとか、60000回だとか判断をするという。それは思考とも言えるし、選択とも言えるし、はたまた言動や行動とも言える。ただし、その90%以上は顕在的な意識が伴わない無意識的な判断である。潜在意識の領域が下す自動判断システムであり、個人的なオペレーションシステムなのだ。

 入力をデザインするといのは、ある種「無意識のデザイン」とも言える。人間が関数であり、関数は無意識の影響が大きく、無意識は一部のAIが行うディープラーニングのように入力した素材の傾向によって癖付けられる。入力を選択すること、自己決定することは自分が好きな自分に関数を仕立てる行為だ。独善的になり得るリスクと、最適化された美しい人生を送る莫大なリターンが見え隠れする。

 経営コンサルタントの大前研一は「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。 この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。」という名言を残した。時間配分を帰ること、住む場所を変えること、つきあう人を変えることはまさにダイレクトに入力に介入することだ。何を自分に取り込むのかを時間軸と人間関係軸でアレンジし、「住む」という生活の基盤すら豊かに変えることができれば、大きく人生は変容し始めるだろう。

 ただし、ここに通説を持ち込むと一気に味気ない出力になってしまう。「これを入力するべき」に時間とお金の大部分を奪われた人間で、面白い人格と遭遇したことがない。あくまで僕たちは一人ひとりが持つ輝きを表現する存在である。ご機嫌になり興奮するもので、納得を得られるもの。そうしたものたちに、身を囲むものや注入するものをデザインしてみることをオススメする。出力としてなされる言動や行動は小さくも確実な変化を来たし、その初期微動の先には大きな「揺れ」が控えている。その揺れは自然災害のように自身を脅かすものであるかもしれないが、地震とは違い心の中の世界を豊穣な平地へと導くものでもあるかもしれない。


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