神話のふるさと宮崎
神話のカテゴリでnoteを書く一番はじめのタイトルは、これにしようと決めていた。
そろそろ書こう、と思いつつ先延ばしになっていたけれど、今朝の宮崎日日新聞(通称みやにち)のとある記事を読んで、いよいよ今日は書かねば!とおしりを叩かれた感じがした。
記事は、「令和」を考案した国文学者の中西進さんへのインタビュー。見出しは、“「日向」こそ神話語る場”
さて、神話と聞いて、宮崎がパッと思い浮かぶ人はどのくらいいるだろう。
2012年から今年2020年までが古事記・日本書紀の編纂1300年の期間ということで、県や市の事業などで以前よりは、多くの人に知ってもらえる機会も増えたとは思う。
また、観光地として人気の高い高千穂の神楽のイメージから何となく結びつく人もいるかもしれない。
では、伊勢神宮に祀られていらっしゃる天照大神(アマテラス)と、出雲大社の御祭神大国主命(オオクニヌシ)の祖先である須佐之男命(スサノオ)、そして初代天皇の神武天皇が、宮崎(日向)出身というのは、ご存知だっただろうか。
古墳群で有名な西都市にある川のほとりで、天孫(アマテラスの孫)である邇邇芸命(ニニギ)が木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)に一目惚れしたことや、
宮崎市の青島で、ニニギとコノハナサクヤヒメの間に生まれた山幸彦が、兄の大事な釣針をなくして、浜辺で途方に暮れたことはどうだろう。
神話と聞くと、もしかしたら教訓めいたお話を想像するかもしれないが、そんな人ほど古事記の日向神話を読んでもらいたい。
日のたっぷり差すあたたかい日向の地で、素直でおおらかで明るい神様達が、活き活き、恋をしたり、時にはけんかをしたりながら、その時々を生きる姿はとても気持ち良い。
読めば読むほど、心のままに生きる神様達が愛おしく、そしてそのまっすぐさがちょっと羨ましくも感じる。
冒頭に紹介した中西進さんは、日向神話は、限りある命や時間、育児の在り方など、今日的にも普遍なテーマを選んで作られていると言う。
確かにそのような見方で改めて日向神話を読むと、現代に生きる私たちが本当の意味で幸せに生きるヒントが大いにありそうだ。
私が羨ましいと感じるのも、本当はそんな神様達のように何も取り繕わない、そのままの姿で生きたいからかもしれない。
ぜひ、みなさんにも古事記の日向神話を読んでみてほしい。100人読んだら100通りの解釈、そしてきっと読むたびに新しい発見がある。
またこれからのnoteで、私が好きな日向神話のエピソードを紹介していきますね!