おかめ
宮崎のことも、宮崎じゃないことも。
宮崎の素晴らしい自然を書いていきます。(跳ねているのは鮎です。)
宮崎の食にまつわる記事を書いていきます。
宮崎の歴史や、人物について紹介していきます。
宮崎の独特の文化を、私自身も再発見しながら紹介していきます。
渋きり後の小豆たち。深遠なる「小豆色」。てづくりあんこもたまにはいいな。
川南パーキングエリア かわみなみPLATZ(ぷらっつ)にて。 こぼれた種から綺麗に開花🌸 きゅんとしました🥰
先日、無事にまた一つ歳を重ねることができた。 20代後半くらいから、いや、もう少し前からか、誕生日を迎えることに対して、漠然とした焦りのようなものを感じるようになっていた。 それは、若さを失っていくことへの潜在的な恐怖だったかもしれないし、世間がその年齢に期待するレベルに、自分は到底達してないんじゃないかという不安だったかもしれない。 突き詰めてみたら実態のない、重たい霧のような感情だった。 だから、今回の誕生日でもまた、それが(もっと重たくじめっと感を増して)やっ
直売所で買った卵を冷蔵庫の卵入れに移し替えていたら、茶色の卵に糸くずのようなものが付いているのに気づいた。 よく見たら、すごく細い羽毛だった。 親鳥の柔らかで暖かいお腹が頭に浮かんで、手にした卵に温もりを感じた気がした。 しっかり栄養にしよう、と思った。
沈黙の1年から堰を切ったように花とつぼみが! かわいいな〜 うれしいな〜
今朝起きたら、1年以上花が咲かなかったミニ盆栽につぼみが! 肥料をあげても咲かなかったから、すっかり諦めていた。こんなことってあるんだな〜。 満開だったとき、noteに投稿していたことを思い出した。 私も気づいたら丸1年、投稿から離れていた。 これをきっかけにぼちぼち再開しよう。
梅雨の晴れ間。ラジオから流れる、若い俳優さんのコロコロとした笑い声。今朝の有料道路は、一段と海の香り。
ここ数日でぐっと寒くなり、身体の芯まで冷えを感じるようになった。 寝るときは湯たんぽを使ったり、日中も防寒対策をしてなるべく冷えないようにしているものの、どうも胃腸が本調子でない日が続いている。 腹を括る、腹を決める、という言葉もあるように、人が凛として生きるには「腹」がカナメだから、 「腹」が不調だとなんとなく気持ちまで沈みがちになるようだ。 今朝、ぼんやりと朝食をたべながら、今年3月頃から家に仲間入りしたミニ盆栽を眺めると、そこにはいろんな新芽🌱が顔を出していた。
月桃のタネのかたち オレンジ色のブーゲンビリア 絵画みたいなカラテア 時を待つドンベアのつぼみ その名もブラックキャット ストレッチマークまで親近感のパラボラチョ(酔っ払いのお腹) 「太陽の塔」のようなタビビトノキの花芽 グミビーンズみたいなアナナス 宮交ボタニックガーデン青島にて。
今日頭に浮かんだ言葉。 最近、書きたいテーマや思いは浮かぶのだけれど、文章にする中で予想外の方向に進むことが多く、書きかけの記事がどんどん増えている^^; なので、脱線しないように短めに。 私は普段、自分大好き!というテンションの持ち主ではないのだけれど、自分のことが好きだなあと思える瞬間がある。 それは、何かを美しいと感じている時。 何か、は自然だったり人だったり、時には「考え方」のような形のないものだったりもするけれど、それを美しいと感じる自分の感性は、素直に好
「私も見て!」とかわいい声が聞こえてきそうでした。コスモスの名所、生駒高原にて。
今日の収穫、生ごま。直売所は、あると思っていたものがその日はなかったり、ないと思っていたものが思いがけずあったり、そして、あるとすら思っていなかったものがあったりする。この簡易なパッケージも直売所ならでは。生とあるけど、炒ってあるように見えたりするのも直売所あるあるか^^;笑
生きている間に見たい絵がある。28歳で夭折した画家、青木繁の『わだつみのいろこの宮』。山幸彦と豊玉姫の出逢いが描かれる。青木繁の「海の幸」「二人の少女」を見たとき、抽象的なタッチの中に、鮮明な息づかいや鼓動を感じ圧倒された。今は遠い遠いアーティゾン美術館。写真は青島の石碑。
先日神社の「参道」のことを書いたら、ふと、赤ちゃんが通って出てくる「産道」が、頭に浮かんだ。育む場所は子“宮”というし、同じ音であることは偶然ではないのかも。参道が産道なら、私たちはいつだって生まれたて。初めて世界に触れるその瞬間は、こんな景色だろうか。えびの 白鳥神社にて。
宮崎の米所、えびの。稲の豊作を見守るのは、様々な表情、形をした田の神の石像「田の神さあ」。その手にメシゲとお碗を持っていたりもする。昔は、豊作の田の田の神さあを“盗まれた”テイで他の田に貸し出す風習もあったそう。豊かさの循環。田の神さあも撮ったけれど、仕事を見てほしいとのこと。
高原町、狭野(さの)神社の参道は長い。永遠に同じ道が続く世界に迷い込んだかと疑ってしまうほどに。だからこそ、この短い橋を渡ることに重みが出てくる。この地で生まれ、狭野尊と呼ばれた神武天皇が日向から舟を出したのは意外にも45歳。歩んできた長さの分、次の扉は重いが意義がある。