本質と目的、そして感情
最近、自分の「頑固さ」について、考えることが多くなった。
大学の新卒就活で、就職という方法が、社会人として楽しく生きているイメージがなかった時。
それは、単純に知識がないだけのわがままだったのか。
それとも、自分が成し遂げたい人生の出口、ありたい姿に対する、反発だったのか。
当時、自分が抱いた違和感は、確かに今でも覚えている。
あれから、2年と半年が過ぎた今、自分の人生の出口に対する姿勢の取り方について考えている。
本当に出口にとって、必要な考え方、行動を選択しているだろうか?
まだ自分が持っている知識で、これから予想もしない事態が起きた時、自分は選べるだろうか?
知識がないのも受け入れて、その上で、出口へまっすぐ向かう選択肢がどれか、その場の感情に振り回されず、直感でも選べるか?
選択を決めるため軸を、磨き続けているか?
直面している事態に、思考を回し、本質を捉え続けようという姿勢を保ち続けられるか?
未熟である以上、選択を誤ってしまった時、素直に受け入れ、軌道修正しようとすぐに切り替えられるか?
日に日に、この疑問が浮かぶスパンが短くなっている気がする。
自分に疑心暗鬼になっているだろうか。
ただ、一つ言えるのは、自分の出口をブラしていなければ、そう簡単に折れることはないということ。
ちょっと前の僕は、まとも言語化できないまま抱いていた出口を、信じ続けていた。
今思うと、よく折れなかったなと。
今、自分の出口を大きくアップデートさせている。
まさに、インサイドからアウトサイドへ、大きく転換させている。
自分だけでなく、大切にしたい人たちも、幸せになれるような出口を描いている。
この新たに抱いた出口は、人に共有する時、とても勇気がいる。責任が伴う。
だからこそ、もっと出口を鮮明にさせたいし、ブラさないための軸を磨いている。
本当に進んでるかなー?まぁ信じるしかないよね。