「深読み INCEPTION(インセプション)㉕」(第223話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
クリストファー・ノーランは、詩篇48の第1節から第7節を、完璧な形で再現した…
映画冒頭の海辺のシーンから、サイトーの城、サイトーのアパートメント、そしてサイトーが眠っていた新幹線のシーンとして…
映画の「つかみ」である導入部は非常に重要。
如何にして短い導入部で、その作品のテーマを観客の頭の中に植え付けるか…
ここが脚本家や監督の腕の見せ所だと言っても過言ではない。
意図が見えてしまったらダメ。『ストーカー』冒頭の「作家」のボヤキのように、観客が油断している間にやらなければならないんだ。
知らず知らず、受け手が気付かない間に…
まさにインセプションするってことね…
そういうこと。
さて、詩篇48もいよいよ後半。
次は第8節だ…
Psalm 48
8 As we have heard, so have we seen in the city of the Lord of hosts, in the city of our God: God will establish it for ever. Selah.
私たちが見聞きすること、ホストである主の中で、神の都で
神の創造せし都は永遠、セラ
ここは「夢のホスト、夢の主」のこと…
そして夢の中では階層が深くなるごとに時間の流れが遅くなり、最深部LIMBOでは地上の1時間がまるで永遠のようになってしまいます…
「セラ」って何?
世良公則のセラ?
さあ、わかりませんが…
しかしなぜそこで世良公則?
だって「世良公則」って「世に良き公の則」でしょ?
意味わかりません。
ヘブライ語の「Selah」は、英語で「stop and listen!」という意味。
「止まれ!聴け!」という神の指示だね。
詩篇に限らず、旧約における神の指示は「歌」として表現されるから。
歌? もしや…
そう。これをノーランは「夢を終わらせる合図の歌」として再現した。
時が止まった夢の中にいる人たちは、最上階の監視人が流すエディット・ピアフの曲『Non, je ne regrette rien(私は後悔なんかしない)』を聴いて、夢の終わりを知らされる…
なるほど…
ちなみに…
レオナルド・ディカプリオ演じる主人公ドムは、新幹線の中で目覚めると、こう言った…
「京都で降りる」
京都は「神の都」ですね…
そして、京セラ…
まさか…
奴なら、やりかねん…
なにせ「途方もない考えに取り憑かれた男」じゃ…
『A man possessed of some radical notions』
Christopher Nolan
では第9節を見てみよう。
9 We have thought of thy lovingkindness, O God, in the midst of thy temple.
我々は想う、汝の慈愛を、おお神よ、汝の神殿の真ん中で
これは何のことでしょうか?
ドムたちが神殿の真ん中で神の愛の深さについて考えたっけ?
いいえ。そんな描写はありませんでした。
それじゃあまたダジャレ?「神」と「紙」の?
駄洒落は合ってるけど、今度は「temple」の駄洒落だ。
テンプルの駄洒落? テンプラ?
サイトーとドムたちは、黄金の間で何か食べてたわよね?
天ぷらではなく、確か肉系だったような…
じゃあテンプル騎士団?
団長が殺されたってこと?
『インセプション』に団長なんて出てこないでしょう…
あ、そっか…
うふふ。「顕れるイデア」って(笑)
何が可笑しいの?
「イデア」とは、世界の本質、宇宙の真理のこと…
あたしたち、不完全な存在である人間は、世界の本当の姿「イデア」を見ることはできない…
人間が肉体的に感覚している対象や世界とは、あくまでイデアの《似像》にすぎないの…
あたしたちが感じてる世界は偽物? つまり「夢」ってこと?
「この世は偉大なる神ヴィシュヌが見ている夢に過ぎない」というヒンズーの世界観みたいに?
まあ、そういうことね。
結局のところ、みんな何も見えていないってこと(笑)
・・・・・
イデア論の提唱者、かの大哲学者プラトンは…
「愛知」についてこう語った。
は? 今度は京都じゃなくて愛知?
そういえばディカプリオ演じるドムは、なぜ「京都で降りる」と言ったのでしょう?
次は「名古屋」なのにスキップするとは…
だって愛知は… 死の練習だから…
は?
プラトンは語った…
「愛知は《死の練習》だ」と…
愛知は死の練習?
だから「終わり名古屋」って言うの?
「愛知」とは「知を愛する」つまり「philosophy」のこと…
真の愛知者というのは、自分の精神(プシュケー)を、肉体から分離解放することが出来る…
束縛された物質である人間の肉体から、自由に出たり入ったり出来ると、プラトンは考えたんだね…
その時の愛知者は、はたから見ると死んでいるように見えるので、それをプラトンは《死の練習》つまり「模擬的な死」と呼んだ…
模擬的な死…
『インセプション』の「夢入り」にも聞こえますし、人の子イエスの「死と復活」にも聞こえます…
てゆうか、プラトンとかイデアの話をしてる場合じゃないでしょ?
「temple」の駄洒落って、いったい何だったの?
「こめかみ」だよ。
「temple」には「神殿・寺院」の他に「こめかみ」という意味がある。
こめかみ?
じゃあ「テンプル大学」は「こめかみ大学」?
あながち間違いではないかもしれない。
は?
詩篇48第9節の「temple」を「こめかみ」で読むとどうなるかな?
We have thought of thy lovingkindness, O God, in the midst of thy temple.
我々は想う、汝の慈愛を
おお神よ、汝のこめかみの中央
だから何? どこが面白いの?
こめかみの「真ん中」には何がある?
何が? 頭?
あれ? その教官のポーズ…
確かレオナルド・ディカプリオ演じるドムが…
そう。ドムはサイトーの城の黄金の間で…
こんなふうに「こめかみ」を指差しながら、ある重要なことを語った…
頭の中のアイデアのことですよね?
一度そこに芽生えてしまったら、もう取り除けないと…
確かに。なぜか頭から離れないCMソングってあるもんね。
別にどうってことない曲なのに、なぜか、ことあるごとにメロディや歌詞が蘇ってくるの…
別にそれを思い出そうとしてたわけじゃないのに…
ありますね、そういう曲。いつの間にか口ずさんでいたりします。
「アイデア」とは「idea(イデア)」のことよ。
世界の本質、宇宙の真理。
え?
サイトーの城の冒頭シーンを見てみよう。
いったいドムは「何」を語っているだろうか?
「一番しぶとい寄生物は何か」でしょ?
ドムはサイトーにこう言った。「バクテリア?ウィルス?回虫?」
ちょうどサイトーは肉を口にしたタイミングだったので、回虫と聞いてピクリとします。
そこにすかさずアーサーがフォローに入りました。
「あの、ドム氏が言おうとしているのは…」
そしてここからドムの重要な語りが始まる。
ドム「idea です。とてもしぶとく伝染性が強い。一度でも idea が脳内に芽生えたら最後、それを取り除くことは、ほぼ不可能。idea を隠したり、無視することは出来ます。だけどそれは、そこにいるのです。」
サイトー「しかし、いつか忘れる…」
ドム「information はイエス。だけど idea は完全に組み込まれる。脳の中の、どこかに…」
なぜ「情報」を英語のままに?
「idea」と違って「イエス」は「in - formation」の存在だからだよ。
は?
日本人サイトーにとって…
「YES」は「肯定」であり「人の子イエス」…
またそのダジャレ?
『LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)』の原作小説のオチと同じじゃん…
そして「idea」は世界の本質、宇宙の真理。不完全な存在である人間には姿が見えない…
そんな人間が少しでも「idea」を理解できるように、「人の子イエス」という形がとられた…
ああっ…
もうわかったかな?
in the midst of thy temple…
「こめかみ」の真ん中にあるものとは?
脳の中に描かれた神…
創造主です…
『Creazione di Adamo(アダムの創造)』
Michelangelo(ミケランジェロ)
ドムはこの絵の話をしてたんだ…
ゴーギャンの絵といい、絵ネタが好きなのね…
というよりこれはゴーギャンの絵のためだ。
ノーランは、ゴーギャンの名画『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を完全に再現しようと考えた。
そのために、これが必要だったんだよね。
D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?
Paul Gauguin
は? あの絵はもう完全に再現してたでしょ?
人物から動物、植物まで…
いや。まだ「完全」ではなかった。
完全どころか、最も重要な「存在」が、まだ残っている。
え?
人の姿をした神の像「The Beyond(超越者)」の斜め後ろに…
ゴーギャンは何を描いている?
ああっ!
脳の中に組み込まれた創造主です!
なんと…
まあ…
ゴーギャンは十代をオルレアンの神学校で過ごした…
学校ではオルレアン司教直々の授業があり、司教は学生たちにこんな教理問答を植え付けたんだ…
「人間はどこから来たのか?どこへ行こうとするのか?そして人間はどうやって進歩していくのか?」
その教理問答を、後年ゴーギャンは絵にしたというのですか?
そう。
十代前半の頃に植え付けられた「idea」は、その後三十年以上ゴーギャンの脳内から取り除かれることなく、50歳前後になって「作品」という形になって現れた。
ヨーロッパの近代文明とキリスト教に絶望し、故郷フランスから遠く離れた異文化の地タヒチへ逃避して来ても、やはりゴーギャンは「逃れられなかった」というわけね…
脳内にしっかりと組み込まれた、あの「idea」からは…
・・・・・
ちなみにノーランは、これに関するヒントを用意していました。
東京上空を飛ぶヘリコプターでのシーン…
アーサーとサイトーによる「頭の中のゾウ」問答で…
日本人にしかわからない、「像」と「象」のダジャレ…
あの絵の真実も驚きですが…
これと詩篇48の「temple」の駄洒落を組み合わせたノーランも、すごい…
だよね。彼は本当にすごいし面白い。
それでは詩篇48の第10節以降も見ていこうか。
まだまだノーランは、僕たちに仕掛けをたくさん用意してくれている…