「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇㉕&読みたいことを、書けばいい。」(第251話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
わびぬれば
今はた同じナンバーなる
澪標(みおつくし)ても
あはむとぞおもふ
ナンバーなる澪標…
このエピローグに出てくる「1896」という数字の中に、何か秘密が隠されているということですか?
一八九六年、六月のなかば、ロンドン博物館附属動物園の事務所に、日本猿の遁走が報ぜられた。行方が知れぬのである。しかも、一匹でなかった。二匹である。
意味もなく出すわけ無いでしょ。
わざわざエピローグで、あんな具体的な数字を…
いったいどういうことなの?
「タネ明かし」は専門家にお任せしましょ。
それじゃあよろしく。深読み探偵さん(笑)
ええ。わかりました。
太宰が『猿ヶ島』を発表してから八十余年…
もう、すべてを明らかにしてもいいでしょう…
まずは「ロンドン博物館附属動物園」についてから解説します。
なぜ太宰治は「ロンドン博物館附属動物園」などという嘘の動物園を持ち出したのでしょう?
普通に「ロンドン動物園」と書いても、特に問題ないと思うのですが…
太宰は「附属」という言葉が欲しかったんだよ。
この動物園は、世界中の宝物を収集する大英帝国ロンドン博物館の「附属」であると…
附属?
『猿ヶ島』の舞台はエルサレムだった…
つまり「ロンドン博物館附属動物園」とは…
「イギリス委任統治領パレスチナ」のことなんだ…
あっ…
そういえば『ライフ・オブ・パイ』も…
動物園があった街ポンディシェリは、3つの宗教で区画が分かれていたわ…
イスラム教徒地区、キリスト教徒地区、そしてインド人地区…
エルサレム旧市街地も同じ。イスラム教徒地区、キリスト教徒地区、そしてユダヤ人地区に分かれている。
おそらくヤン・マーテルは、太宰治の『猿ヶ島』を読んで、そこに気付いた。
太宰が「英領パレスチナのエルサレム」を「ロンドン博物館附属動物園」に置き換えていることにね。
Yann Martel
だけど「1896年」は、まだ英領パレスチナではなかったですよね?
第一次世界大戦前だから、まだオスマン帝国領だったはずです。
「1896」という数字は、そことは関係ない。
太宰は別のことを伝えようとしている。
別のこと? 1896年って何があった年かしら?
ちょっとググってみてよ…
はい。えーと…
プッチーニの『ラ・ボエーム』と、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』が初演された年ですね…
そんなの関係ないでしょ。
1896年は確か…
ギリシャのアテネで第1回オリンピックが開催された年…
いや、1896年といえば、ザンジバル戦争のあった年じゃ。
五輪? ザンジバル?
それも『猿ヶ島』には関係ないでしょ。
あっ…
1896年には「明治三陸地震」が起きています…
大津波により、青森・岩手・宮城で2万人以上の人が流され、命を失ったと…
えっ?
その通り。
三陸海岸沖を震源地とする地震が発生し、とてつもない高さの津波が東北太平洋側を襲った。
太宰が生まれるちょうど13年前、1896年6月15日の出来事だ…
『明治丙申三陸大海嘯之實況』
歌川国政(五代目)
1896年6月15日…
エピローグの「一八九六年、六月のなかば」という記述と一致します…
どういうこと?
なぜ太宰は「明治三陸地震」を想起させるようなことをしたの?
「あの日」も地震が起きたからね。
十字架上のイエスが、最後に叫んだ後に…
『マタイによる福音書』
27:50 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
あっ…
そして、明治三陸地震が起きた1896年は「丙申」の年だった…
「ひのえ」で「さる」の年…
サル…
ちなみに干支は「年」だけでなく「時刻」にも使われる…
「申の刻」とは、午後3時から5時の間を指すの…
言ってる意味、わかるわよね?
イエスが絶命したのは3時半頃…
つまり、申の刻…
何なのよコレ…
それじゃあ「丙」は?「ひのえ」って何のことだっけ?
「火」のことだよ。
そしてイエスは自分の教えを「火」に喩えていた。
「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」とね。
怖い…
なんだか巨神兵みたい…
そういう意味じゃない。
仏教における「灯明」と同じこと。
闇(無明)を照らす智慧の光、つまり、人々を救済に導く標(しるべ)であるということだ。
そうだったわ…
「ドミニコの犬」で聞いたばかりだった…
もう随分昔のことに感じるけど…
ちなみに「丙」という漢字は、何を意味しているか知ってる?
丙の意味?
「丙」とは、祭りの日に生贄を捧げる台のこと…
イエスも過越しの祭りの日に、イサクの燔祭のように、十字架で生贄にされた…
確かに…
だから「1896年」だったのね…
それだけじゃないよ。
「西暦」とは「イエス・キリストの暦」という意味だ。
イエス・キリストの降臨を元年とする数え方で、それ以前を「Before Christ(キリストの前)」と呼び、それ以後を「Anno Domini(神の年)」と呼ぶ。
それくらい知ってるけど。
それじゃあ聞くけど…
西暦元年、つまりイエス・キリスト元年の「干支」は何だと思う?
イエス・キリスト元年の干支?
そんなこと急に聞かれても…
えーと…
あっ!簡単にわかるじゃないですか!
「1896」は12で割り切れます!
えっ? ということは…
その通り。
イエス・キリスト元年は、1896年と同じく「申年」だ。
もう、何なのよコレ…
ビックリです……
まだ驚くのは早いんだけど(笑)
えっ? まだ終わりじゃないの?
先程トラが歌った、あの歌…
もう一度、思い出してほしい…
わびぬれば
今はた同じナンバーなる
澪標(みおつくし)ても
あはむとぞおもふ
だったわよね…
そういえば、この歌…
どこかで聞いたことあるような…
この歌は元吉親王が詠んだ、百人一首にも入っている有名な歌だ…
ちなみに元吉親王は、紫式部『源氏物語』の主人公「光源氏」のモデルとしても知られている…
あっ、そうそう。
NHK朝の連続テレビ小説『澪つくし』の元ネタになった歌ね。
それにしてもなぜトラはこの歌を歌ったのでしょう?
ナンバーなる澪標って?
まだわからんのか。
「ナンバー」が「澪標」なのじゃ。
は?
「澪標」とは、海の中に打たれた杭のこと…
浅瀬で船が座礁しないよう道筋を示し、安全な航海に導くもの…
つまり、我が身を挺して、迷える子羊ならぬ「迷える小舟」を導く存在だ…
迷える小舟を…
「stray sheep」と「stray ship」は、よく似てる(笑)
確かに似てるけど、何を言ってるのかサッパリわからない…
なぜ「ナンバーなる澪標」なの?
「1896年」の干支は「申」だった。
まさか「申」が十字架に似ているから、とか?
さすがにそれはコジツケですね…
似ているんじゃない。そのものなんだ。
は?
『猿ヶ島』の主人公「私」は、木の上で最後に何と叫んだ?
「否!」でしょ?
そう。
そして「否!」のあとに「一八九六年」という言葉でエピローグが始まる。
――否!
一八九六年…
この部分が小説『猿ヶ島』最大のトリックなんだ。
太宰はこのトリックを成立させるために「YES!」ではなく「否!」と言わせたんだよ。
この部分が最大のトリック?
いったいどういうことでしょう?
「1896」を「否」しなさいということ…
つまり「申」を「否」しなさいということだ…
猿であることを否定する?
『猿ヶ島』の「猿」が喩えであることは、誰でもわかることだと思いますが…
そうじゃない。
「否」とは「口」が「不」、つまり「口」が不要という意味なんだよ。
口が不要?
では「申」を「否」すると、何が現われるかな?
申を否する…
えーと…
あっ!わかった!
十字架よ!
げえっ!
なんと…
まさにナンバーなる澪標…
おもしろいこと考えるわよね、太宰は…
このトリックに田辺聖子も気付いていたはず…
だから『ジョゼと虎と魚たち』のラストは、十字架の描写になっている…
そして『ジョゼと虎と魚たち』を読んだヤン・マーテルも、それに倣った…
信じられない…
えっ?
どうしました?
またトラが歌った…
えっ? 何て?
たいしたもんだよ…
スズキ君って…
たいしたもんだよ鈴木君?
それを言うなら「たいしたもんだよ明智君」でしょう?
だけど確かに「スズキ君」って言った…
誰のことですか?
また歌った…
いかした君たち見習って
僕も華麗に変身するよ
だって…
は?
うふふ。
・・・・・