「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇㉗&読みたいことを、書けばいい。」(第253話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
太宰治『魚服記』
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うふふ。二人とも、どうしたの?
石のトラみたいに固まっちゃって(笑)
ち、父が…
実の娘を、手籠めに?
ん? そんな話だったかしら?
だって、あの「空白の一行」は、そういうことでしょ?
鋭い痛みを感じ、体がしびれるほど重くなって、酒臭い息を嗅いだ…
どう考えても主人公スワちゃんは、酔った父に犯されたってことじゃん!
そして、それを苦に、滝へ身を投げた…
なんてひどい話なんだ…
ちょっと落ち着いて頂戴(笑)
何か勘違いしてるんじゃない?
勘違い?
そう。
この作品を読んだほとんどの人は、あの結末を「悲劇」だと勘違いしてしまう。
どう考えても悲劇でしょ?
実の父に犯され、滝に身を投げ、最後は滝つぼの渦に吸い込まれてしまうのよ?
これを悲劇と言わず何というの?
太宰は悲劇なんて描いていない。
主人公の少女スワは、父から性的暴行なんて受けていないんだよ…
えっ?
本当は「何もなかった」ということですか?
いや。「それ」はあった。
やっぱり実の父に性的暴行されたんじゃん!
かわいそうなスワちゃん…
そうじゃない…
彼女は「それ」を受け入れた…
最初は戸惑ったけど、最後は自ら望んだんだ…
そして太宰は、この経緯をあえて「空白」にして伏せた…
この物語の真相を隠すために…
ちょ、ちょっと…
何を言ってるの?
だって、小屋を飛び出した後の彼女…
ぜんぜん悲しそうじゃなかったでしょ?
水底で「すっきりした」とか「さっぱりした」って言ってるのよ。
確かにそうだったけど…
そういえば変ですよね…
滝つぼに落ちて死んだのに、むしろ喜んでいたようにも…
いったいどういうことなのでしょう?
田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』のラストと全く同じこと。
ジョゼは「死んだ」と言っていたけど、それは「幸福」という意味だった。
つまりスワも「死んだ」のではなく「幸福」を感じていたんだ。
父の行為、父の計画に、満足していたんだね…
計画?
そもそもあの父は、そのためにスワを育てていたんだよ…
最後は自分の手で、ああするために…
ええっ!?
「飼育」してたってこと? 超ヤバい父親じゃん…
なのにスワちゃんは幸福を感じたとか意味不明すぎる…
もう、わけわかんなくなってきた…
この物語を誤解しているから、そう感じるだけのこと。
太宰が仕掛けたトリックがわかれば、すべてがスッと落ちてくる。
トリック?
『魚服記』では、ある「言葉」が徹底して避けられている。
その隠された「言葉」こそが、この小説の本当のテーマなんだ。
隠された言葉? いったいそれは?
その答えは、小説の冒頭を読めば、すぐわかるようになっている。
大事な「言葉」を隠すために、太宰はこれでもかと「嘘」を並べた。
うそ?
つまり、冒頭に描かれる太宰の嘘に気付くことが出来れば、隠された「言葉」もわかるということ…
さて、太宰はどんな嘘をついているかな?
本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米(メートル)ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連れて北へ北へと亡命して行って、はるか蝦夷の土地へ渡ろうとここを船でとおったということである。そのとき、彼等の船が此の山脈へ衝突した。突きあたった跡がいまでも残っている。山脈のまんなかごろのこんもりした小山の中腹にそれがある。約一畝歩(せぶ)ぐらいの赤土の崖がそれなのであった。
小山は馬禿山(まはげやま)と呼ばれている。ふもとの村から崖を眺めるとはしっている馬の姿に似ているからと言うのであるが、事実は老いぼれた人の横顔に似ていた。
あっ。いきなり嘘ですね…
本州の北端の山脈は「ぼんじゅ山脈」ではなく「津軽山地」です…
地図に載ってるわけないわ。嘘なんだもん。
太宰は何が言いたかったのかしら?
「ほんしゅう」と「ぼんじゅ」の駄洒落じゃな。
は?
この作品は全部「冗談」じゃ。
それを最初のフレーズで表しておる。
ぜんぶ冗談?
太宰はこの小説を「喜劇・コメディ」として書いたんだよ。
『魚服記に就いて』という小文で、自分が「笑う」ために書いたと太宰は語っている。
ふだん自分を馬鹿にしている人たちにこの小説を読ませて、笑ってやろうと考えていたんだ。
日頃私を辱しめ虐げてゐる人たちを笑つてやらうと考へました。
太宰治『魚服記に就いて』より
Dazai Osamu
どうして「ふだん自分を馬鹿にしている人たち」がこの小説を読むと、太宰は笑えるの?
自分が仕掛けたトリックに、ことごとく読み手が誘導されてしまうからだよ。
みんなが騙される姿を見て、太宰は笑いたかったんだ。
存在しないトラを「存在する」と信じ込ませた『ライフ・オブ・パイ』のパイみたいに…
パイみたいに?
どういうことでしょうか?
パイは何を隠していた?
「神」です…
神を信じない人に対し、奇妙な物語を語ることで、神を信じるようにさせました…
神を「トラ」に置き換えた物語で…
それが作者ヤン・マーテルの狙い…
Yann Martel
『魚服記』も同じこと。
太宰は「神」を隠して「神の物語」を語り、読者に「神」を信じさせた。
神を隠して?
なぜ太宰が「ぼんじゅ山脈」と、わざわざ平仮名で書いたかわかる?
あれも神を隠すためなのよ…
「ぼんじゅ」が? なぜ?
本州の北端、津軽山地にある山は「梵珠山」だ。
太宰は「梵」という字を避けるために平仮名で書いた。
「梵」って、梵天丸の梵?
梵天の「梵」とは「ブラフマン」のこと。
ブラフマン(ब्रह्मन् brahman)は、ヒンドゥー教またはインド・ウパニシャッド哲学における宇宙の根理。
ウパニシャッド哲学では「ブラフマン」は「アートマン」と同一であるとされ、ヒンドゥーの神々の体系では、ブラフマンはブラフマー(創造者)と同一のものと見なされる。
いわゆるヒンドゥーの基本原理トリムルティ「三神一体」の1つだ。
ちなみに「ブラフマン」という言葉は、サンスクリットの「力」を意味する単語からきていて、特に、物質世界を変える儀式や犠牲(生贄)の力を意味する…
世界そのもの、森羅万象を体現する存在…
不完全な存在である人間には知覚できない神ヤハウェに似ています…
それが言いたくて、太宰は「ぼんじゅ」という言葉を最初のフレーズに入れたんだ。
「梵珠」とは「神の言葉を形にした珠(たま)」という意味。
つまり「神の言霊」という意味だね。
神の言霊…
何だか、創世神話のことみたいです…
『ヨハネによる福音書』
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
「みたい」じゃなくて、これのことなのよ。
だから次に出てくる山の名前が「馬禿山」なのね(笑)
馬禿山…
今度は平仮名じゃなくて漢字で書かれている…
これって何か意味があるの?
もちろん。天才芸術家は意味の無いことなどしない。
しかし津軽山地に「馬禿山」なんて山は存在しません。
これも太宰の冗談よ。
禿(ハゲ)と髪(カミ)のね(笑)
「はげ」と「かみ」の冗談?
「馬禿山」とは「馬ノ神山」のことだ。
馬ハゲ山じゃなくて、馬のカミ山?
この「馬ノ神山」と「梵珠山」は、五所川原市と青森市の間にあり、両者は隣り合って並んでいる。
太宰は、この2つの山を舞台として選ぶにあたり、名前から「神」の文字を隠した。
「馬ノ神山」から「神」という字を、そして「梵珠山」から創造神を意味する「梵」という字を…
なにこれ…
いったいどういうこと?
うふふ。これだけじゃないわよ。
あの冒頭には、まだ太宰の嘘があるわよね。
もっと真っ赤な嘘が(笑)
真赤なウソ?
太宰はこう書いている。
「むかし、このへん一帯はひろびろした海であった」
これも嘘なんですか?
人類史上、あのあたり一帯が海だったことなどない。
よく考えればわかること。
しかし地球が温暖だった頃は、今よりも海岸線が内陸にあったんですよね?
今から6000万年前、いわゆる「縄文海進」と呼ばれる頃でも、せいぜい現在の海抜より数メートル…
青森の平野部がすべて海の底に沈んでいた風景を見た人間など、ひとりもいない…
しかも太宰は、それを12世紀末の出来事として語っている。
奥州平泉から逃げてきた源義経と家来たちの乗った船が、「ぼんじゅ山脈・馬禿山」の岩肌に衝突したと…
真赤なウソね(笑)
確かにありえない。船が山にぶつかるなんて…
ノアの箱舟じゃないんですから…
『方舟を出た後のノアによる感謝の祈り』
ドミニコ・モレッリ
「ノアの方舟」のことなんだよ。
太宰は冒頭でずっと「モーセ五書」の話をしているんだ。
まず「神の言葉」があって、「大洪水」があって、それから…
義経が家来たちを連れて北へ北へと亡命して行って、はるか蝦夷の土地へ渡ろうとここを船でとおったということである。そのとき、彼等の船が此の山脈へ衝突した。突きあたった跡がいまでも残っている。
あっ!
「義経が家来たちを連れて北へ北へと亡命」って…
その通り。「義経」とは「モーセ」のこと。
エジプトやシナイ半島の北にある約束の地カナンを目指した「出エジプト」だ。
マジですか…
そして太宰は、義経一行が辿り着いた場所を、こんなふうに説明した…
「山脈のまんなかごろのこんもりした小山の中腹にそれがある。約一畝歩(せぶ)ぐらいの赤土の崖がそれなのであった。」
小山の中腹にある約一畝歩(せぶ)の赤土の崖?
「1ぜぶ」って?
1畝歩は、約100平方メートル。
だいたい 9m x 11m の大きさのことだ。
つまり「9m x 11m の赤土の崖」ということですか?
そう。よく考えてごらん。
思い当たるフシがあるはずだ。
え?
太宰は『魚服記』の後に『猿ヶ島』を書いた。
実を言うと、この両作は相互補完関係にある。
まったく同じテーマを、別の形で表現した作品なんだよね。
あっ!わかった!
つまり「9m x 11m の赤土の崖」というのは…
そう。
アンドレア・マンテーニャの『磔刑図』に描かれた、ゴルゴダの丘の「岩山」のことだ。
『Crucifixion』
Andrea Mantegna
なんてこった…
確かに「約一畝歩(せぶ)の赤土の崖」です…
これくらいで驚いてもらっては困る。まだまだ序の口だ。
太宰は他にも「神」の文字を隠しているんだよ。
他にも?
この物語の主人公「スワ」という名前の中に…
「スワ」という名前にですか?
そう。
スワといえば…
しんじ?
ひゃァ~はっはっは!
ビックリしたなもう…
何なんですか、突然奇声を発して…
ママさんが「しんじ」と言うからじゃ。
神事? どういう意味ですか?
な、何でもないわ。ちょっと言ってみただけ…
「スワ」という名前に隠された「神」の文字…
いったい何のことだろう?
まだわからぬのか。
おぬしらは本当にボンクラ、阿呆じゃな。
しょうがない。わしがヒントを見せて進ぜよう…
ヒント?
(パサァ…)
これを見れば…
さすがに気付くじゃろう…
は?
つづく
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