「深読み INCEPTION(インセプション)⑰」(第215話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
うふふ。みんなまだ眠くないでしょ?
このまま話を続けましょうよ。せっかくおもしろくなってきたんだから…
ねえ? 深読み探偵さん(笑)
ええ。
この話はどうしてもしておかなければなりません…
どうしても? なぜ?
ハッキリとはわからないけど…
なぜか、そんな気がするんだ…
すべてを終わらせるためには、必要なことなんじゃないかって…
すべてを終わらせる? 何のこと?
・・・・・
うふふ…
何はともあれ、まずは『ストーカー』を見んことには話が始まらん。
約3時間ほどあるが…
さ、三時間も!?
心配無用。あまりの面白さで、アッという間じゃ…
『Сталкер(STALKER)』
なんてこった…
何から何まで、驚きだよね。
ろくに働かない主人公が、一度入ったら帰って来れないとされる恐ろしい場所「ZONE(ゾーン)」へ行き、道に迷い、眠ってしまい、不思議な夢を見る…
そして、廃墟の建物の中にある、何でも願い事が叶う「ROOM(部屋)」には入らず、同行者が爆破しようとしたのを止める…
帰り道は省略されて、妻子が迎えに来て、再び家族がそろう…
母親に言いつけられていた仕事をさぼった主人公が、一度入ったら二度と帰って来れないとされる恐ろしい場所「魔女の森」へ行き、道に迷い、眠ってしまい、不思議な夢を見る…
そして、魔女の家の中にある、人間をお菓子に変えてしまう「かまど」には入らず、代わりに魔女が入ってしまい爆発…
帰り道は省略されて、両親が迎えに来て、再び家族がそろう…
タルコフスキーの『ストーカー』は、エンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』そのものです…
森の中でカッコウも鳴いておったな…
そして、突然かぶる、あの「王冠」も…
あの人は、不思議な「砂」で眠らされて、突然現れた不思議な「水」で目を覚ましましたね…
まさに『ヘングレ』の「砂の精」と「露の精」だ…
そして、白いガーゼを結びつけたナットを目印にしていくのは、グリム兄弟の『ヘングレ』へのオマージュ…
「パンくず」同様、予想外のことが起きて、道に迷ってしまった…
うふふ。
タルコフスキーの映画『ストーカー』、および、その原作であるストルガツキー兄弟の小説『路傍のピクニック』は、『ヘンゼルとグレーテル』を下敷きにした物語…
そこに気付いて小説を書いた大江健三郎は、さすがよね(笑)
大江健三郎? あのノーベル文学賞作家の?
大江健三郎は1990年に、6つの短編からなる連作小説『静かな生活』を発表した。
両親に「捨てられた」子供たちの「冒険」の物語で、まさに現代版『ヘングレ』といえる。
その第3話は、タイトルもストレートに『案内人(ストーカー)』と名付けられ、登場人物たちが映画『ストーカー』について議論する内容になっているんだ。
こんなマニアックな映画を?
しかも、6つの短編全体で『ヘングレ』や『ストーカー』を再現しつつ、同時に「別の物語」を描いている…
同時に描かれる「別の物語」って何なの?
『家としての日記』だよ。
そしてそれは『静かな生活』に置き換えられる。
は?
詳しくは、「部屋」についての解説の時に…
今は『インセプション』と『ストーカー』の話が先だから…
まず『ストーカー』の冒頭シーンで、何か気付いたことはないかな?
冒頭シーンといえば…
水の入ったコップが置かれているテーブルと、ベッドに横たわる夫婦と子供が描かれていました…
そして、近付いてくる列車によって、テーブルは、まるで地震のように揺れ始めます…
あれ、そのまんまじゃん…
主人公ドムと妻モルが、レールに横たわるシーン…
列車の振動でテーブルが異常なまでに揺れているのに、ベッドは全然揺れてなくて、親子が何事もないかのように眠っている『ストーカー』…
レールの留め金が外れそうになるほど揺れているのに、横たわる人は全然揺れてなくて、夫婦が普通に会話している『インセプション』(笑)
あの異常なまでのレールの揺れは、これが元ネタだったのね…
あんな揺れ、どう考えても変だもん…
列車が通過する時の音に、何か音楽が被せられていました。
威勢のいいオーケストラの音…
あれはいったい何でしょう?
たぶん、あれはベートーヴェンの交響曲 第九番、第一楽章じゃないかな。
ラストシーンへの布石だね。
Symphony No. 9 (Beethoven)
第一楽章…
Allegro ma non troppo, un poco maestoso…
チンポコ?
「ウン・ポコ」はドイツ語で「少し」って意味(笑)
「速く、しかし甚だしくはなく、やや荘厳に」ね。
あらやだ。あたしったら…
恥ずかしがることはない。
ノーベル文学賞作家である大江健三郎も、『静かな生活』でこの下ネタを使っていた。
え?
「アレ、アレ!」とママがトロッポしちゃった子にダメ出しして、前に出されたチンポコをしまうんだよね。
これは、第九第一楽章の演奏指示「Allegro ma non troppo, un poco maestoso」の再現以外の何物でもない。
マジで?
確かにそう聴こえなくもないけど…
ノーベル文学賞作家が、そんなくだらない空耳というか親父ギャグを?
第1話『静かな生活』の最初のほう。読んでみればわかる。
大江健三郎は『ストーカー』とベートーヴェン第九の関係をよく理解していた。
さらには、ストルガツキー兄弟の原作小説が、駄洒落だらけであることも…
だから、あんな下ネタの駄洒落を使ったというわけ。
ホントだ…
というか第1話、チンポコネタ多すぎ…
第1話『静かな生活』は、「謝肉祭」と「灰の水曜日」の話になっているからね。
肉棒や性欲、そして「顔面放射」について語られるのは、そのせいだ。
かつて灰の水曜日では、聖職者が信徒の顔に灰をかけていたから…
『Ash Wednesday(灰の水曜日)』
ユリアン・ファワト
聖水の男が、子供の頭を押さえつけて「顔面放射」するって、これのことだったのね…
だから『静かな生活』のラストシーンでは、モーツァルトのピアノ・ソナタ第九番「K(ケッヘル)311」が流れるんだよ。
すべてが終わった最後に流れる曲も「駄洒落」になっているんだ…
Mozart Sonata D Major K. 311
なぜモーツァルトのK311がダジャレなのですか?
「K」はキリストのギリシャ語「Khristos(クリストス)」の「K」…
そして「311」とは、「謝肉祭」と「灰の水曜日」がすべて終わって迎える日…
「3月11日」のこと…
え?
『静かな生活』の話は、これくらいにしておきましょ…
今は『ストーカー』と『インセプション』の話…
そうでした。
日本人で『ストーカー』と『ヘングレ』に着目した著名人は大江健三郎くらいしかいないので、つい…
クリストファー・ノーランは、大江健三郎を読んでるかしら?
おそらく読んでいるだろうね。
ノーランは『インセプション』を構想するにあたって、大江の『静かな生活』も参考にしたはずだ。
エンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘングレ』、タルコフスキーの『ストーカー』…
この流れで来たら、大江の『静かな生活』に辿り着かないはずがない…
ちなみにクリストファー・ノーランは、文学部出身の文学オタクじゃ。
間違いなく読んどる。
『静かな生活』では「聖クリストファー」も重要なモチーフになってるし(笑)
何なんですか、いったい…
とにかく話を戻します。
先程の「地震のようにテーブルを揺らす鉄道」の描写は、ラストシーンでも再び描かれました。
冒頭シーンとそっくりな描写が、映画の最後に再び現れる…
これは『インセプション』も同じ…
ちなみに、このラストシーンだけど…
何か気付かない?
何か、とは?
テーブルの上に置かれた複数のグラス…
そのうちの1つのグラスには、赤茶色の液体…
瓶の中には卵の殻も見える…
そして、動くグラスは、止まるかと思わせて、最後に画面から消える…
あっ!
『インセプション』のラストシーン!
その通り。
『インセプション』のラストシーンは、『ストーカー』のラストシーンを再現したものだ。
なんてことなの…
だから恐竜の前に「割れた卵の殻」が置かれていたのね…
そして、かわいい小猿ちゃんとバナナが置いてあったのは…
『ストーカー』の少女の名前が「モンキー」だから…
ええっ!?
あの子は「モンキー」って名前なの!?
そうだよ。
『ストーカー』は、エンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』を下敷きにした物語。
ヘンゼルとグレーテルの両親は、自分たちの子供を「小さな猿」と呼んでいたよね?
だから『ストーカー』の子供も名前が「モンキー」なんだよ…
ちなみにストルガツキー兄弟の原作では、名前だけでなく、本当に「猿」みたいな外見をしているの…
全身が毛で覆われていて、人間の言葉をうまく喋れない…
マジですか…
そして物語のテーマも同じ。
「強く思ったことは現実になる」
だから『ストーカー』の終わり方も『インセプション』の終わり方も、あんなふうになったというわけ…
『インセプション』の子供たちは、「崖の上におうちを作りたい」と強く思い、それが現実になった…
なぜならそこは、思ったことが何でも現実になる「夢の中」だったから…
そして『ストーカー』の子供は、念力(テレキネシス)を使う超能力者になった…
だけど主人公のストーカーは、どんな望みでも叶う「部屋」には入りませんでしたよね?
入らなかったけど、入口付近で「娘が超能力者になること」を強く思ったから、それが現実になったということでしょうか?
それくらい「部屋」のパワーは強大だったと…
何か勘違いしてるんじゃないかな?
え?
ストーカーの娘「モンキー」は、テレキネシスの使い手になったわけではない。
あのラストシーンでも、彼女はエスパーでも何でもなく、どこにでもいる普通の少女のままだ…
でも、念じただけでグラスが動いたじゃん…
父親が「ゾーン」の「部屋」の前で、でこっそり願ったんじゃないの?
どうも大きく誤解しているようだ…
あの「部屋」は、ただの部屋だよ。
『インセプション』のコマと同じように、何の意味もない、ただの空間。
は?
あの「部屋」は劇中で、さも重要な場所かのように扱われる…
多くの人々が、命を懸けてそこを目指し、実際、多くの命が失われたと…
現代科学では解明できない奇跡が起こる、地球上で最も重要な場所だと…
だから観客はそう思い込んでしまうんだよね…
だけど全部「嘘」だ…
うそ?
その回転持続時間で「夢と現実を見分けることができる」とされていたコマは、実はコマを回す場所がツルツルしてるか凸凹してるかの違いで、回転時間が変わっていただけだった…
主人公ドムが必死になって「すがっていた」あのコマは、重要なトーテム(目印)でも何でもなく、回してチェックする行為には、まったく意味がない…
それと同じように…
「ゾーン」の中にある「部屋」も、奇跡を起こす部屋でも何でもなく…
ただの空間に過ぎない…
そんな馬鹿な…
うふふ。だけど、その通りなのよ。
モンキーちゃんも、何か特別な能力を手に入れたわけではないの…
やろうと思えば、誰にでも出来ること…
あの父親でも母親でも…
たまたま列車の振動と重なって、自分で動かしたように見えた…
ということですか?
そうじゃない。
冒頭シーンと違って、鉄道の通過による揺れとグラスの移動は、まったく関係ないんだ。
3つのグラスは、それぞれ順番に、別個に動いていたでしょ?
やっぱり念力じゃん。
最後にモンキーちゃんは念力を使えるようになったんですよ!
だから最後にグラスが落ちて消えたんです!
あれは、まさしく Psyco Kinesiss…
「PKサヨナラ!」に他なりません!
やれやれ。
あんな初歩的なトリックを見破れないとは…
いったいぜんたい、君は、深読み探偵学校で何を学んできたんだい?
トリック?
少女が念力を使ったとされるラストシーン…
あの場所に居たのは、モンキーという名の少女だけではない…
彼女以外に、もう「ひとり」いたよね…
えっ? もうひとり?
しかし他には誰もいなかったはず…
居たでしょ。
猿と相性のよくない存在が…
へ?
「犬」だよ。
イヌ?
画面には映らなかったけど、モンキーちゃんの近くには犬がいた…
彼女の父親であるストーカーが「ゾーン」から連れてきた黒い犬が…
あの犬は、何かをアピールするかのように鳴いていたよね…
ちょっと、いったい何の話をしているの?
わけわかんない。
『インセプション』とも全く関係ないし…
それが関係あるんだな…
僕が今まで全く関係のない話をしたことがあった?
だけど『インセプション』に犬は出てこないわ。
出まくってたよ。あのラストシーンにもね。
え?