
終章①「ラスト・ワルツ」(第198話)
前回はコチラ
2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
雪だ! 雪が降ってます!
ゆ、雪? 9月なのに?
あっ… 違った…
んもう。ビックリさせないでよね(笑)
羽です…
羽?
白い羽が…
空一面に、雪みたいに舞っている…
え?
そんな馬鹿なこと…
嘘じゃありません。見に来てください。
ホントだ…
これは… 羽よ…
しかしなぜこんなにたくさんの羽が降ってるのでしょう?
もしかして、ファフロツキーズ現象ってやつ?
ポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』みたいな…
ファフロツキーズ現象とは、大量の魚とか蛙などの生き物が、空から降ってくる現象…
羽が降ってくるというパターンは聞いたことが無い…
じゃあ何なの?
空から降ってくる、この大量の白い羽は?
おそらく…
白い鳥の群れが、上空で大乱闘でもしたのかも…
うふふ。
魚が降ろうと、蛙が降ろうと、羽が降ろうと…
どうでもよくなくて?
え?
この羽とあたしたちに、なんの関わりがあるっていうの?
世の中で起きるモノゴトに、いちいち意味や理由なんて必要かしら?
それはそうだけど…
今、私たちの目の前で、空から大量の羽が降っている…
あれこれ考えたところで、この事実は決して変わらない…
たとえそれが夢だろうが現実だろうが、そんなことはどうでもいい…
うむ。一理ある。
・・・・・
羽を見てたら、なんだか急にお腹が空いてきちゃった…
お粥でも作ろうかしら?
みんなも食べる?
朝粥!いただきます!
岡江クンは?
あ、うん…
じゃあ僕も、もらおうかな…
わしも食うぞ。クコの実たっぷり乗せてくれ。
かしこまり。文代さんは?
あたしはパス。ダイエット中だから(笑)
しげしげさんは?
居ません…
え?居ない?
しばらく前から姿を見てないような…
そういえばそうかも…
どこ行っちゃったのかしら?
あっ…
どうしたの?
これは… パン屑…
パンくず?
しげしげさんの座っていた席から、トイレの入り口まで…
床に点々とパン屑が落ちています…
は?
まるで『MOTHER』というか…
『ヘンゼルとグレーテル』みたいに…
たった数メートルの距離よ?
この店でトイレから戻ってくるのに迷子になる人がどこにいるのよ?
でも実際にパン屑が…
んもう。わけわかめ。
ねえジョー。あたしはお粥を作ってるから、ちょっとトイレをノックして確かめてみて頂戴。
もしかしたら便座に座ったまま寝ちゃってるかもしれないわ。たまにいるのよね、そういうお客さん…
わかりました…
コンコン…
しげしげさん?大丈夫ですか?
返事ありませんね。やっぱり寝てるのかな?
深代ママさん…
ドアの鍵がかかっていません…
それは助かったわ。籠城とかされるとホント困るのよね。
そっと開けて中を覗いてみてくれない?
はい…
しげしげさん?ちょっとドアを開けますよ?
いいですか?
ガチャ…
どう?やっぱり中で寝てた?
居ません…
トイレの中には、誰も…
え?どういうこと?
あっ…
何?
貝です…
貝?
これがトイレの床に…
ああ、ヒロノブさんが股間に着けてた貝ね。
洗っておいてあげようかな。こっち持って来てくれない?
はい…
そ、その貝は…
わしに寄越せ!
月夜さん、何するのよ?
わしは…
この貝を、知っている…
誰でも知ってるわよ。武田久美子の貝でしょ?
ヒロノブさん曰く「本人から譲り受けたもの」らしいけど…
これを、遠い昔に見た…
流行ったもんね、あの写真集。
違う。この貝じゃ…
ある男が、この貝を持っていた…
ある男? ヒロノブさんじゃなくて?
途方もない妄想に憑りつかれ、永遠の時の中を旅していた男じゃ…
何それ?
奴は、わしにこう言った…
「この大きな貝はモルデカイ…」
は? 駄洒落?
そうではない。
奴は、とある砂浜で、ひとりの若者と出会った…
誰も居ない砂浜で、まるで少年のように目をキラキラ輝かせながら、この貝を拾い集めていた若者と…
モルデカイとは、貝ではなく、その若者の名じゃ…
・・・・・
誰も居ない砂浜で、夢中になって貝を拾っていた若者?
ちょっと痛い系の人ですか?
ある意味「痛い系」かもしれん…
しかしモルデカイは、それを突き抜けるほどの、大きな夢を持っていた…
「必ずビッグになってやる」という、どデカい夢を…
そんな夢を抱きながら、モルデカイは高校卒業後、わずか5ポンドの現金を握りしめて故郷を離れ、はるばる横浜までやって来たのじゃ…
どこかで聞いたことあるような…
『成りあがり』のパクリじゃない?
「5万円」を「5ポンド」に置き換えただけじゃん…
・・・・・
夢中になって貝を集めていたモルデカイは、こちらを見ている男に気付いて、こう言った…
「見て見て!こんな貝は今まで見たことがない!僕は大発見したんだ!ここは宝の山だよ!」
奴はこう答えた…
「残念ながら、この貝はありふれたものです。特に目新しいものではありません」
しかしモルデカイは、気落ちするどころか、ますます興奮してこう言った…
「ここではそうかもしれないけど、僕の故郷イギリスでは違うんだ!僕は会社を立ち上げるぞ!この貝を輸出するビジネスを始めるんだ!」
貝の… 会社を?
モルデカイの立ち上げた貝ベンチャーは大成功した…
やがて貝の他にも様々な商品を扱うようになり、会社はどんどん大きくなっていく…
中でも、インドネシアで手に入れた石油利権は莫大な富を生んだ…
モルデカイは石油の輸送手段としてタンカーを開発し、世界中へどんどん輸出したのじゃ…
その後も中東地域で多くの油田を手に入れ、この石油事業によってモルデカイの会社は世界的大企業に…
そして、ついには世界のエネルギービジネスの半分を占めるまでになったのじゃ…
それ、ビッグどころの話じゃないわよ…
何者なの?モルデカイって…
マーカス・サミュエルのことですね…
その通り。
シェル石油の創業者マーカス・サミュエル…
ユダヤ名をモルデカイという…
1871年?明治3年?
150年も前の話じゃないですか!
そうじゃ。言っただろう。奴は時を旅する男だと。
奴は、明治維新から間もない日本の海岸で、目を輝かせながらデカい夢を語っていた異国の青年モルデカイと出会い、この貝を譲り受けたそうじゃ…
つまりこの貝が、あのシェル石油のロゴマークの貝ってこと?
まさか…
法螺でも妄想でもないぞ。奴から直接聞いた話だから間違いない。
にわかには信じ難い話だわ…
妄想といえば、モルデカイと会ったその男は「途方もない妄想」に憑りつかれていたんですよね?
ああ… そうじゃ…
まさに途方もない妄想じゃった…
・・・・・
それ、ちょー気になる。いったいどんな妄想だったの?
この世から… 消し去ること…
そのことに奴は… 執着しておった…
消し去る? 何を?
・・・・・
んもう。何で教えてくれないのよ。
・・・・・
うふふ。まだ気がつかないのかしら…
は?
深読み探偵を、でしょ?
・・・・・
ええっ!?今、なんて言った?
奴が抱いていた考えとは…
この世界から「深読み探偵」を消し去ること…
うそ…
・・・・・
スナック KEMPY!
zzz…zzz…
すっかり夜が明けてしまったわ…
それにしても良ちゃん、まったく起きる気配がない…
zzz…zzz…
お客さんも、まったく来る気配がないし…
ただ待ってるのも疲れちゃったわ…
暇つぶしに、お城でも組み立てようかしら…
こういう時のために、買っておいた姫路城の模型を…
zzz…zzz…
けっこうリアル。パーツも細かいし…
どれくらい時間がかかるのかしら…
ようし。レッツ・メイキング!
1時間後
ふぅ。出来た…
美しいわ。さすが国宝、世界遺産ね…
zzz…zzz…
だけど「白鷺城」っていうくらいだから、やっぱり白くなくちゃ…
霧吹きで全体を少し湿らせて、上から砂糖を振りかけたら、それっぽくなるかしら?
ちょっとやってみよっと…
zzz…zzz…
悪くはないわね…
シラサギというか雪化粧って感じだけど(笑)
ウーン… ムニャムニャ…
あら?起きたの?
サムイ… サムイワ…
寒い?
ムニャムニャ…
なんだ。寝言か。
でも実際に寒いから、そういう夢を見ているのかもしれないわね…
薄手の浴衣一枚だから、体が冷えちゃったのかも…
あたしの上着でも掛けてあげようかな。
アア… アッタカイ…
ムニャムニャ…
変なの。寝てるんだか起きてるんだか(笑)
ムニャムニャ…
……
…
寒い…寒いわ…
雨が夜明け過ぎに雪へと変わるなんて…
山下達郎じゃないんだから…
だけど今はクリスマスじゃなくて9月…
なぜ雪?
・・・・・
え?
向こうに見えるのは、もしかしてヒロくん?
・・・・・
てゆうか、誰なのよあの女は?
しっぽりと肩なんか抱いちゃってさ!
(2階に食堂がある雑居ビルに入って行く2人)
「キッチン 南海のクイーン」に入っていったわ…
見間違いじゃないわよね…
あの後ろ姿は確かにヒロくんだった…
アタシに内緒で、あんな女と…
赦せない…
雑居ビル2階
キッチン 南海のクイーン
いらっしゃい、良ちゃん。
おはよ。お母さん。
今日は何にする?
あ、そうじゃなくて。ちょっと人を探してて…
・・・・・
ヒロくん…
やっぱりそうだったんだ…
どうしたのさ、震えちゃって。
寒いのかい? あたしの毛皮のコート、貸してやろうか?
ありがとう、お母さん…
あったかい…
どういたまして。ニセモンの毛皮だけどね(笑)
本物でも偽物でも、そんなことどっちでもいい…
たとえ身体を温めることはできても、芯まで冷えきったアタシの心は、どんなコートでも温めることはできないから…
・・・・・
よく分かんないけど、そういう時はメシを食うに限るんじゃない?
腹が減ってはイクサが出来ぬ、って言うじゃん?
何にする?
じゃあ本日の定食…
焼き魚定食を。
あいよ。ジンギスカン定食だね。
じゃなくて、焼き魚定食。
そこのボードにも書いてあるでしょ?本日の定食「焼き魚定食」って…
ジンギスカン定食?
んもう!お母さんったら、ふざけないで!
や・き・ざ・か・な!
あいよ。ジンギスカン定食いっちょう!
わけわかめ…
もういいわよ何でも…
ウーン… ウーン…
良ちゃん、うなされてる…
また悪い夢でも見てるのかしら…
・・・・・
ムカつく…
ニヤニヤしないでくれる?
アタシの惨めな姿を見るのは、そんなに面白いわけ?
・・・・・
なぜずっと黙ってるの?
何か言ったらどうなのよ!
・・・・・
アタシに言わなきゃいけないことがあるでしょ?
誰なの?その女は…
わたしの… 教え子です…
ライターゼミの…
お、教え子?
こんな早朝に繁華街を一緒に歩いてる教え子って、いったい何なのよ!?
・・・・・
そして一緒に朝食だなんて、どう考えてもアヤシイでしょ?
この時間まで、どこで、何をしてたわけ?
そんなこと…
あなたには関わりのないことです...
え? いま何て…
あなたには関わりのないこと、と言ったのです。
たとえ私が、いつ、どこで、誰と、何を、どんなふうにしていたとしても…
それがなぜ、あなたに関係あるのですか?
か、関係なくないでしょ?
だってアタシはヒロくんの…
いちいちわたしに干渉しないでください。
あなたはストーカーですか?
ヒロくん… 嘘でしょ…
・・・・・
全部ジョークなのよね?
いつもみたいに冗談言ってるんでしょ?
・・・・・
あっ!わかった!
これって、もしかしてドッキリとか?
そうでしょ?そうなのよね?
・・・・・
YESと言ってよ、ヒロくん!
・・・・・
NO-----!
ハア… ハア… ハア…
どうしよう… すっごく苦しそう…
きっと、とんでもない悪夢を見てるんだわ…
こういう時はどうしたらいいの?すぐに起こすべき?
ハア… ハア… ハア…
だけど夢の途中で無理やり起こすのって、良くないのよね…
何かの映画で見たような気がするんだけど…
こういう時の起こし方を…
これが現実なのです。目をそらさずに直視してください…
じゃあキチンと説明してよ!
これはいったいどういうことなの!?
話せば… 長くなります…
ほらっ!やっぱり説明できないんじゃないの!
ヒロくんの馬鹿!もう知らない!
このままどこかで野垂れ死ぬがいいわ!
はい、お待たせ。明石焼き定食。
いらないっ!
ハア…ハア…ハア…
ハア…ハア…ハア…
あっ!そうそう!思い出した!
ディカプリオの映画だわ!
音楽よ!音楽で起こすのよ!
ハア…ハア…ハア…
ハア…ハア…ハア…
だけど、あれって何の歌だったかしら?
オーケストラがバックで、何か大袈裟な感じの曲だったことは覚えてるんだけど…
えーと…
これかな?
あら。食べないの?
アタシは焼き魚定食って言ったのに、勝手にジンギスカン定食でオーダーされて、挙句の果てに出て来たのが明石焼き定食?
なんなのよこれ!意味わかんない!
そう?スジは通ってるでしょ?
何の筋よ!わけわかめ!
しかもこのタイミングで、なぜこんな曲かけるわけ?
曲?
この歌詞、ちょームカつく!まるでアタシがフラれたみたいじゃないの!
もう何もかもイヤ!
アタシ帰る!
階段、気をつけてくださいね…
濡れてますから、くれぐれも踏み外して転げ落ちないように…
大きなお世話サマー!
さようならヒロくん…もうアタシたち…
二度と会うことはないでしょうね!
ハア…ハア…ハア…
ハア…ハア…ハア…
良ちゃん…
お願い… 起きて…
雑居ビル 階段
何が「階段を気をつけてください。くれぐれも踏み外して転げ落ちないように」よ…
心にもないことを、よくもヌケヌケと…
(ツルっ)
あっ…
ああああーーーー!
(ドタドタドタ…)
ハッ!
やたっ!起きた!
あれ?アタシ…
ここは?
うちの店に決まってるじゃない。
良ちゃん、そこでずっと寝てたのよ。
寝てた?
この毛皮のコートは?
アタシのよ。寝言で「寒い寒い」って言ってたから…
じゃあ、あれは…
ぜんぶ夢…
うなされてたわ、すっごく。
だから音楽かけて起こしたの。ディカプリオの映画みたく。
そうだったんだ…
ありがと…
コート、返すね…
どういたまして。
だけど、あの曲…
違くない?
やっぱり違ってた?
あんな感じの曲だったような気がしたんだけど…
エディット・ピアフの『水に流して』よ。
あ、そうそう。これこれ。
だけど結果オーライ。良ちゃんを悪い夢から連れ戻せたから(笑)
ところで、これは?
何でカウンターの上にお城があるの?
カッコいいでしょ?
これは姫路城。アタシがさっき作ったの。誰もお客さん来なくて、あまりにも暇だったから。
この白いのは?
お砂糖よ。
姫路城は別名「白鷺城」って言うでしょ? だからデコってみた。
砂糖がまぶしてある城…
なんだか『ヘンゼルとグレーテル』に出てくる魔女の「お菓子の家」みたい。
たしかに(笑)
さてと。悪夢も消え去ったことだし、改めて乾杯と行きますか。
今日はいろいろ迷惑かけちゃったから、お詫びにニューボトル入れるね。
どうぞ、ママも飲んじゃって。
よ~し。ガンガン飲んじゃうわよ。暇だった分を挽回しなきゃ。
それじゃあ、カンパ~イ!
スナックふかよみ
ちょっと待ってください…
この世界から… 深読み探偵を消し去るって…
・・・・・
だけどなぜ?
なぜ深読み探偵を、この世から消し去らなきゃいけないの?
理由は知らん…
わしが尋ねても、奴は何も答えなかった…
そんなの不可能よ…
現にこうして岡江クンは目の前にいるわけだし…
・・・・・
やっぱり、その男は妄想に憑りつかれていたんだわ…
時を旅していたなんてのも、きっと嘘…
その貝だって、モルデカイの貝じゃなくて、どこにでもあるただのホタテ貝に決まってる…
そ、そうですよね!
深読み探偵は永久に不滅です!
ん?
どうしたの、ジョー?
これは何の音楽でしょうか?
音楽?
ほら、聴こえるでしょう?
あ、ホントだ…
外からじゃないですか?
靖国通りを走る街宣車の音楽とか…
さすがにこんな朝っぱらから大音量で音楽を流さないでしょ。
じゃあ近所のお店かなあ?
ドアを全開にしてカラオケしてるとか…
何だっけ、この曲…
どっかで聞いたことある曲のような気がするんだけど…
音がくぐもってて、よく聞き取れないわ…
あれじゃないですか?
クリストファー・ノーランの『インセプション』で使われてた曲…
エディット・ピアフの『水に流して』?
はい。たしか原題は『いいえ。わたしは後悔なんかしていない』という意味でしたよね…
違う…
え?
この曲はピアフの『Non, je ne regrette rien』ではない…
じゃあ何?
これは『The Last Waltz』…
エンゲルベルト・フンパーディンクの『ラスト・ワルツ』だ…
ラストワルツ?