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「深読み INCEPTION(インセプション)㉓」(第221話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
そういえば、あの歌の「部屋」って何だったんですか?
教官は「あの部屋はストーカーの部屋」と言ってましたよね?
ちょうどいいところで思い出させてくれた。
今から話す「詩篇48」と『ストーカー』の関係…
そしてそれがどう『インセプション』に応用されたか…
これらのことを説明するのに、あの歌はうってつけだからね。
『部屋とYシャツと私』が、ですか?
それではまず詩篇48が「何」を預言した歌なのか解説しよう。
クリストファー・ノーランの指示通り「欽定訳聖書(KJV)」をテキストにして見ていくよ。
KJV? ノーランの指示?
ノーランは、詩篇48の第1節を再現するため、自分の息子に Magnus(マグナス)という名前をつけた。
そして、Magnus君が演じる役名を James(ジェイムズ)にした。
この意味わかるかな?
基本的に作家というものは、物語で重要な役割を果たす登場人物に、適当な役名などつけないんだよ…
つまり…
これは「詩篇48を読み解くにあたり、欽定訳 King James Version(ジェイムズ王訳)を参照すべし」というノーランのメッセージだと?
間違いない。
聖書というのは数多くの訳があり、ベースとなった版、文語や口語の違い、そして意訳や誤訳を含めて、それぞれ内容が異なっている。
そんな数ある訳の中でもKJVは名文の誉れが高い。多くの芸術家に愛され続け、また引用され続けてきた名著中の名著だ。
文学部出身で文学オタクのノーランが、そこにこだわるのは当然のこと。
『A man possessed of some radical notions』
Christopher Nolan
まさに「途方もない考えに取り憑かれた男」だわ…
さて、『インセプション』の冒頭シーンで再現された第1節「Magnus Dominus et laudabilis nimis in civitate Dei nostri in monte sancto suo」は、KJVだとこうなっている…
Psalm 48
1 Great is the Lord, and greatly to be praised in the city of our God, in the mountain of his holiness.
偉大なる主、褒め称えるべき哉、我らが神の都、その聖なる山の上にて…
でしたね。
ちなみに映画『STALKER(ストーカー)』の原作、ストルガツキー兄弟による小説は、タイトルを『Roadside Picnic(ロードサイド・ピクニック)』という。
このタイトルのダジャレ、わかるかな?
駄洒落?
「Road」は「Lord」…
つまり「Roadside Picnic」とは「Lord-side Picnic」…
その通り。「路傍のピクニック」は「主の傍らでピクニック」という意味でもあるんだね。
『スリー・ビルボード』で3枚の看板が立てられた道の名前が「Drink Water Road」だったのと一緒。
ゴルゴダの丘で十字架に掛けられた主は「I thirst(わたしは渇く)」と言った…
エリック・クラプトンのカバーで有名な『Further on up the Road』もそうですね…
この曲は「Road」と「Lord」だけじゃなく、「Farther(Further)」も「Father」のダジャレになっている。
つまり「Father on up the Lord」だね。
「自分が撒いた種は、自分で刈り取ることになる」
「かつてお前は笑ったから、今度は泣くことになる」
歌詞の内容は、主とアブラハムとイサクを歌ったもの。
アブラハムが息子イサクを主への生贄にする「イサクの燔祭だ」…
『イサクを捧げるアブラハム』
ローラン・ド・ラ・イール
「イサク」とは「あなたが笑った」という意味の名前…
そして最後にこう歌われる。
「お前は気付くだろう。横たわっていた俺の身体が消えていることを」
それまでずっと旧約の話だったのに、最後のワンフレーズで新約にすり替わるんだ。
実に鮮やかなソング・ライティングだと言えよう…
「横たわっていた身体が消えている」って「復活」のこと?
他に何がある?
では次に第2節を見てみよう。
2 Beautiful for situation, the joy of the whole earth, is mount Zion, on the sides of the north, the city of the great King.
ジオン?
だからドムとかゲルググ・ショルティとかポール・ゴーギャンだったの?
ゲオルク・ショルティです。
「mount Zion」は「マウント・ザイオン」、つまり「シオンの丘」。
聖地エルサレムのことだよ。
ジオン公国って名前は、そこから取られたの?
どうなんだろうね。
当初は英語名も「Zion」だったんだけど、いつの頃からか「Zeon」という表記になった。
なんかそのへん触れちゃいけなさそう…
さて、第2節を訳すとこんな感じかな。
素晴らしい立地、地上世界における歓喜、シオンの丘、偉大なる王の都の北側に…
都の北側?
そして第3節はこうだ。
3 God is known in her palaces for a refuge.
神は用意された聖所にお隠れになっていた
聖所に隠れる?
旧約的には「幕屋・神殿の奥の間」のこと。神が降りてくる場所で、禁断の空間とされている。
そして新約的には「イエスが埋葬された墓」のことを指す。
ゴルゴダの丘とイエスの墓は、エルサレム旧市街地の「北側」に位置しているからね…
つまり「詩篇48」は「復活の奇跡」の預言になっていると?
少なくとも、ライターのジョンは、そう解釈して記事を書いた。
ライターのジョン?
誰? 有名なライターさん?
彼だよ。
『John the Evangelist(福音記者ヨハネ)』
ピーテル・パウル・ルーベンス
は? 使徒ヨハネのこと?
やはりイケメンは絵になります。
これでロックグラスでも持たせたら、深夜のバーカウンターに佇む渋い男…
これはいったい、どういうことなのでしょう?
第4節以下を読めばわかる。
4 For, lo, the kings were assembled, they passed by together.
5 They saw it, and so they marvelled; they were troubled, and hasted away.
6 Fear took hold upon them there, and pain, as of a woman in travail.
見よ。地上で権威ある二人が集まり、共に聖所へやって来た
彼らは《それ》を見、驚き、混乱し、急いで立ち去った
ここにいた者は恐れおののき、陣痛に苦しむ女のように哀しみ悶えた
ま、また《それ》!?
《それ》が見えたら終わりってことでしょ!?
ん? これはもしや…
『ヨハネによる福音書』の「復活の場面」そのものだよね。
十字架刑から3日目の朝、マグダラのマリアから異変を知らされた筆頭弟子のシモン・ペテロと、イエスに最も愛されていた弟子の二人が、共に墓へとやって来た…
墓の入口は開けっぱなしで、中の石棺も空っぽになっていて、イエスの遺体を包んでいた白い亜麻布が無造作に置かれていた…
二人はこの事態に混乱する。生前イエスが語っていた「死人のうちから蘇る」の意味を悟っていなかったから…
そして、すぐにその場を立ち去ってしまう…
『St. John and St. Peter at Christ's Tomb』
Giovanni Francesco Romanelli
そして、マグダラのマリアは…
ショックのあまり立っていられなくなり、地べたに倒れて悲しみ悶えていた…
すると奇跡が…
背後からイエスが歩いてきて、マリアに寄り添う…
「私に触れてはいけない」と言いながら…
『わたしに触れるな』
ティツィアーノ
詩篇48そのまんまじゃん…
そう。詩篇48を基にして福音記者ヨハネはあの場面を書いている。
ダビデというライター界の巨人の肩に乗っかったわけだ。
そしてタルコフスキーも…
聖所に向かった「地上世界で権威のある二人」とは、「教授」と「作家」のことですね。
「教授」は著名な物理学者で、「作家」は超売れっ子のベストセラー作家でした…
そして主人公ストーカーは、あらゆることに悲観し、立っていられなくなって地べたに横たわる…
すると「God」が形を変えた存在である「Dog」が背後から歩いて来て、彼に寄り添った…
かたやストーカーの妻は、あまりの悲しさに倒れ込み…
まるで陣痛に苦しむ妊婦のように身悶えた…
あの大袈裟な苦しみ方は、詩篇48のせいだったのね…
「陣痛に苦しむ女」の再現だったんだわ…
ここまで来れば、もう気付いただろう…
『ストーカー』の「ZONE(ゾーン)」と「ROOM(部屋)」の意味が…
「ZONE」はZION(ザイオン)…
「ROOM」はイエスの遺体が納められた墓室…
だからゾーン全体が壁と鉄条網で囲まれていたのね…
そして何度も軍が派遣されて、壊滅的な被害を受けた…
まさに聖地エルサレムの現状とその歴史だ。
タルコフスキーは結構バレバレに描いていたけど。
そしてノーランは、「ZONE」と「ROOM」を別のものに置き換えた…
「DREAM」と「SITE」に…
サイト?
渡辺謙が演じた SAITO(サイトー)のことよ。
主人公ドムは、ずっとロサンゼルスの我が家へ、帰ることが出来なかった…
妻モルに殺人容疑をかけられ、指名手配されていると思っていたんだ…
だからドムは、法も動かせるほどの権力者であるサイトーの力で、犯罪歴を消してもらおうと考えた…
しかし、それはすべてドムの思い込み…
本当に願いを叶えてくれるのは、サイトーではなく、自分の決意…
結婚記念日の夜のモルのように、勇気を出して飛び降りれば「現実」へ帰ることが出来たんだ…
だから映画のラストシーンで、コマが回ってるままエンドロールが始まり、最後に「あの歌」が流れるのね…
現実世界へ戻るための合図の歌『Non, Je ne regrette rien(私は後悔なんてしない)』が…
つまり、あの後ドムは…
最後の「キック」をして、ようやく現実世界へ帰る…
おそらく庭に出たドムは、息子ジェームズ君の作った「崖の上のおうち」を見て、何かがおかしいことに気付く…
そして突然、世界にあの歌が鳴り響きわたる…
それでようやくドムは、この世界が「子供たちの作った世界」であることに気付くんだ…
死んだと思い込んでいた妻モルは、実は生きていて、現実世界であの曲を流しながら、夫が戻って来るのを待っていると…
そしてドムは、目の前の崖から飛び降りる…
なるほど…
ノーランが隠した真のハッピーエンドですね…
そういうこと。
そしてラストが『Non, Je ne regrette rien(私は後悔なんてしない)』なのは、『ストーカー』と一緒。
主人公ストーカーの妻が「私は後悔なんてしない」ということを何度も繰り返すんだよね…
よく見たら顔も似てるじゃん…
あの病んだ目つきや表情、そっくり…
『インセプション』の「コマ」も「サイトーの力」も嘘だった…
「現実世界」として描かれていたパートも全部嘘。あれは全部「夢の中の話」だ…
これは『ストーカー』の「エイリアンが残していったゾーン」と「願いを叶えてくれる部屋」が全部嘘だったことを踏襲したもの…
「お願いがあるのよ…」で始まる『部屋とYシャツと私』の「部屋」も?
そう。
あの「部屋」は『ストーカー』の「部屋」と同じ。
あっ…
飲みすぎて帰っても 3日酔いまでは許すけど
4日目つぶれた夜 恐れて実家に帰らないで
イエスは預言通りに「三日目」に帰って来た…
そして『ヨハネによる福音書』では「父のみもとに帰る」と言っていた…
ヨハネ 16:28
わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである。
確かに「実家」には違いないけど…
サビの意味もわかるよね?
部屋とYシャツと私 愛するあなたのため
毎日磨いていたいから
「Yシャツ」とは…
「部屋」に脱ぎ捨てられていた「白い亜麻布」…
じゃあ、ここは?
あなたは嘘つくとき 右の眉が上がる
「右側」はイエスの代名詞です。
天に上がった際は、父なる神の右に座すと…
だね。それでは、この曲で最も有名な部分…
物議を呼んだ、この歌詞は?
あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて
私は知恵をしぼって 毒入りスープで一緒にいこう
問題の「毒入りスープ」だわ…
そんなものイエスの物語に出て来ませんよね。
なんのことだろう?
ちゃんとヒントがあるじゃない…
すっごいヒントが(笑)
ヒント?
「わたしは知恵をしぼって」とあるよね。
つまり、この部分を読み解くには、知恵が必要なんだ…
知恵?
あっ!わかりました!
『ヨハネの黙示録』の「獣の数字666」だ!
ヨハネの黙示録 13:18
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
その通り。
「わたし」も「あなた」もローマの施政者によって十字架に掛けられる。
確かにヨハネは「知恵が必要」と言ってるけど、なんでこれが「毒入りスープ」なの?
「6入り数字」だよ。
は?
「ドクイリスープ」と「ロクイリスージ」の駄洒落。
うそ…
では、これはわかるかな?
大地をはうような あなたのいびきもはぎしりも
もう暗闇に独りじゃないと 安心できて好き
イエスの十字架刑の日…
昼なのに太陽は隠れ、まるで夜のようになりました…
そしてイエスの声は、地響きのように、大地に轟き渡った…
となると、これも何のことかわかるよね?
だけどもし寝言で 他の娘の名を呼ばぬように
気にいった女の子は 私と同じ名前で呼んで
寝言で呼ぶ、他のコの名…
私と同じ名前で呼んで?
この曲を作った「私」は誰?
平松愛理(ひらまつ えり)でしょ。
「エリ、エリ」だ…
あっ…
そして歌は突然「将来の話」になる…
この意味、わかるかな?
ロマンスグレーになって
冒険の人生 突然選びたくなったら
最初に相談してね
私はあなたとなら どこでも大丈夫
「Romance」とは「ローマ的」という意味…
つまりこれは『ヨハネによる福音書』の最終章…
将来ペトロが宣教の旅に出て、遠いローマで殉教することをイエスが預言した部分…
ヨハネ 21:18-19
よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
そして最後は、こう締めくくられる…
もし私が先立てば オレも死ぬと云ってね
私はその言葉を胸に 天国へと旅立つわ
あなたの右の眉 看とどけたあとで
これは…
『ヨハネによる福音書』最終章の最後の部分です…
ヨハネ 21:22-23
イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。
こういうわけで、この弟子は死ぬことがないといううわさが、兄弟たちの間にひろまった。しかし、イエスは彼が死ぬことはないと言われたのではなく、ただ「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか」と言われただけである。
なんか、歌詞のほとんどが『ヨハネによる福音書』のネタじゃない?
だって「最も愛された弟子」だからね。
「私」も「あなた」から最も愛されている。
『部屋とYシャツと私』の「部屋」は「ストーカーの部屋」という意味が、やっとわかりました…
どちらもイエスが埋葬された墓室のことだった…
では、それがどう『インセプション』につながっていくのかを、詩篇48の続きを見ながら解説しよう。