どうせ誰も気にも留めない、だから叫んでやろうと思った〜部落差別の記事を書いて〜
Twitterで「部落差別についてはもう二度と語らない」と言っておきながらこうして再び記事を書いてしまったことをまずは謝罪します。
前回の記事「部落差別という呪いを受けた村に生まれた話」(以後「あの記事」と呼びます)を公開して約半年が経とうとしています。
自分の想像を超える反響があったことで色々なことを考えさせられました。
「またこんなものを書いて何の意味があるのだろう」と思いましたが、きちんと自分の中で纏めておきたいと思ったので続編とも言えるこの記事を書きました。
あの記事を公開してからの気持ちと、なぜあの記事を書こうと思ったのか。
そのことを考えるキッカケとなったとある出来事を交えて書こうと思います。
キッカケは9月下旬に届いた1本のメールから始まります。
◇◇◇◇
「部落出身者の若者に共通する思いを書かれたOkaki様にぜひ取材させて頂きたく、ご連絡をさせて頂きました。」
やっと少し肌寒くなってきたかなと感じた9月下旬、私宛に1本のメールが届きました。私が書いたあの記事を読んで「部落差別に対する若い世代の意見を聞きたい」という取材の申し出でした。
そのメールを読んだ瞬間の私は「こんな時代錯誤のようなネタをわざわざ取材したいと思うメディアもあるんだな」というのが率直な感想でした。
記事を書いた私ですら「今更こんな話題を広げてどうするんだろう」というくらいにしか思わなかったのです。
そして同時に取材を受けることに悩みます。
私は部落差別や同和教育といった存在から離れる選択をした人間であり、あの記事で部落差別に関する教育や啓蒙に反対の「忘れてしまった方がいい」という一種のアンチテーゼを唱えました。
そんな意見の自分が「部落差別を今後も語り継ごう」といった趣旨のものには賛同することは難しく、意にそぐわないと思っていたのです。
「忘れたいと思っている当事者もいるのだ」
外部の人間が何を言おうと当事者である私がそう思っているのだと一種の叫びのような想いで書きました。そんな人間が御大層に取材など受けても良いのか。
Okaki様のお言葉はもっともです。
Okaki様がnoteに書かれた「忘れたいと思っている当時者もいるのだ」という思いが共感を持って読まれているのはまさにその点だと考えています。
「忘れたいと思っている当時者がいる」という、通常ならば声に出されないはずの声が当時者の立場から「部落の話」という回路を通して叫びとして出されたために届いたのだと思います。
「部落」に対する向き合い方はこうでないといけないのではないかという気持ちは一切ありません。何を考えておられるのか、より詳しく聞いてみたいという思いのみです。
叫び。
自分で書いておきながら「そうか、叫びか...」と思いました。
だったら、もう少し叫んでみようかな。
そんな気持ちで取材をお受けすることにしました。
私が本当に叫びたかったこと。
これはそんなお話です。
どうせ誰も読まないし、気にも留めない。そして私の声は社会から潰されるだろう
「なぜ叫んでみようと思いましたか。」
2019年10月にとある電力会社が金品を不正に受け取った不祥事のニュースが流れました。
その時に金品を渡した相手側が同和問題関係者だと一部で騒がれていました。一部のジャーナリストたちが「マスコミは同和問題をタブー視してきた。どう切り込むのか」と言っていて、私は少し関心を持って報道を見ていました。
結局その事件の本質は同和問題とは別だろうと結論付ける内容を多く見かけました。
ただ『マスコミは同和問題をタブー視してきた』という意見を初めて目の当たりにして「同和問題ってやはりタブーな話題だったのか。じゃあ私たちが学習していたあの数年間はなんだったんだろう。私たちはタブー視される存在なのだろうか」と私はふと思いました。
当時はそこまで興味も関心もなかったので「まぁいいや」と少し心にモヤッとする程度でした。
そしてその後にアメリカを中心に黒人差別反対のBlack Lives Matter、通称BLM運動が起こります。
◇◇◇◇
BLM運動がアメリカやイギリスなどで大きくなり、テレビで黒人の人達が奴隷を容認していた歴史的人物の銅像を川に投げ込んでいる映像を観て私は愕然としました。
「なんて愚かなんだ」
それは私が歴史好きの人間で歴史的なものに危害を加えたり、今更になって歴史認識を覆そうとする行為を愚かに感じたからです。「そういう時代だったのだ」とその当時の価値観や歴史を引き継がせることが重要なのだと心の底からそう信じていました。
だからこそアメリカ人やイギリス人の軽率な行動に怒りを覚えました。
そう怒りを感じて「差別なんて...」と思った瞬間に息が止まりました。
待って。
私はこの人達の気持ちが分かるかもしれない。
そんなこと分かってる
「こんなものは無くしてしまった方がいいんだよ」
そう言って銅像を川に投げ込んでいた黒人の男性。
私は、あなたの気持ちが分かるかもしれません。
黒人の彼がどういう意味で「無くした方がいい」と言ってるのかは分かりません。私の考えている方向性とは全く違うのかもしれません。
だけど銅像を「川に投げ捨てたい」と思うに至った感情だけは理解できてしまった。
いいよ、捨てちゃえよ。
こんなものがあるからいつまでも差別はなくならないんだよ。
そこには歴史認識とか賢そうなことは全く考えない、ただの感情論しかありませんでした。愚かでいい。彼らに賛同して、怒りを感じていた自分とは全く逆のこと考えていました。
学習して何になるんだろう。
私は子供の時に沢山学んだよ、でも何も変わらなかった。
「私はそういう場所の出身者なんだ」という要らないレッテルを感じるようになっただけだった、惨めになるだけだよ。
いつまで私たちに引きずらせるつもりなの?
背負わせるつもりなの?
そう考えてる自分が居ることに気付いた瞬間に息が止まりました。
銅像を川に投げ込まれて怒っていた私はある意味『部外者』からの意見で、黒人の彼らに賛同した私はある意味『当事者』からの意見でした。
皮肉にもどちらも理解出来てしまった。
それ故に思考が、止まりました。
私はある意味「当事者として感情的にも」「部外者として理性的にも」考えられる立場かもしれません。ですがその先あったのは葛藤と思考停止の虚無感でした。
何も考えられないし、何が正しいのか、何が答えなのか分からない。
ただ単に銅像が川に投げ込まれている映像を見つめることしか出来ない。
あぁ、動けないとはこういうことなんだな。
素直にそう思いました。
◇◇◇◇
部落差別なんて忘れてしまった方がいい。教育なんていらない。誰もが知らない世界に行って私は解放されたんだから。
あの記事で唱えたことに対して反論もありました。
「忘れることなんて出来ません。そんなことは愚かなことです。きちんと受け止め、再発防止の為にも後世に語り継ぐことに意味があるんです。あなたは歴史修正主義を許容されるのですか?」
本当に、その通りだと思いました。
愚かなことなんです。
そんなこと分かってる。
私は歴史を学ぶのが大好きなんです。海外旅行に行けばリゾート地とか美味しい食べ物なんて興味が無くて、ひたすらガイドブックで歴史博物館とか歴史深い建物を探して付箋を貼ってはそういった場所ばかりを巡る人間なんです。
大人になってから趣味でわざわざ高校の日本史と世界史を学び直すくらいのオタクなんです。
「後世に語り継ぐことに意味があるんです」
そんなこと言われなくても分かってるんです。
普段から賢そうな振りして「歴史って良いですよね大事ですよね」と言っていた自分でさえも、当事者として考えた瞬間に「忘れてしまえよ」と思ってしまった自分が居たことにショックを受けたんです。
歴史を重んじろとか、きちんと受け止めるべきだとか、学習すべきだとか、そういうのが言えるのは「部外者」だから言えるのかもしれない。私には関係ないから、でもきちんと残しておいてくれないと、保存しておいてくれないと困るから。
黒人の人達の行動に怒っていた私はまさしく「部外者」としてそう思っていました。だけどいざ「当事者」として彼らを見ると何も言えなくなってしまった。寧ろ何も言わないことで彼らの行動を肯定している自分が居ました。
なんて浅ましい。
なんて恥ずかしい人間なんだろうと思いました。
少し立場を変えるとこんなにも簡単に、自分が大事だと思っていたものを一瞬で否定してしまうのか。それくらい心が揺らいでしまう葛藤がありました。
忘れることなんて出来ないし愚かなことくらい分かってるんです。
そんなこと自分が一番分かってるんです。
だったら、だったらさ。私が叫んでやろうか
どうしようもないこの感情はすぐに忘れるだろうとも思いました。3日もすればいつも通りアニメを観て笑ったり、仕事嫌だなぁと思いながらTwitterを眺めている私がいるだろう。
何も考えず、意識せずにこの感情をやり過ごそうかと思いました。
だけどテレビであの映像を観て、考えて、最大瞬間風速で暴れる突風のように私の心を突き抜けた葛藤を、虚無感を、今ここで無視すれば今後一生このことを考えることは無いだろうとも思いました。
「マスコミは同和問題をタブー視してきた。どう切り込むのか」
だったら、だったらさ。
タブー視されている当事者である私が叫んでやろうか。
誰も私のことを知らない、私と分からないインターネットという海にこの葛藤を投げ込むことくらいは良いだろうか。
心の底から湧き出る悔しさと情けなさとこの怒りは何だろう。
直接誰かに言うことは出来ないけれど、インターネットなら良いだろうか。
こんな小娘が叫んだってどうせ何も変わらない、社会からは触れられない、利権のある人間に潰されるだけだろう。
でもどうだ、当事者が、こんなことを考えているんだぞ、いい加減良い子そうに学習するのなんかやめてしまえ。
タブー視されている、誰も触れない、触れたくない話題としているのであれば、この一度きりだけど当事者である私が触れてやるよ。
表では「差別はいけませんよ」と言いつつも、私たちのことを隠したがる世間やそれを利用している人たちへの反抗心でした。
私が昔受けていた課外学習のようなものです。善良な学習をしつつもその学習をしていることを他の地区の子供や親には知らせない。「私たちってなんなんだろう」と思いました。
なんならその学習さえも、存在さえも消してしまえよ、当事者はこう思っているよ。
無性にそう叫びたくなりました。
酷く醜い、火炎瓶を投げ込む放火魔のような心境に近かった。
別に誰かの為に書いた訳ではありません。
完璧自己満足で自己陶酔に陥った文章でした。
でも文章を書いている時は驚くくらい手は止まりませんでした。
昔抱いていた感情はこうだったのかと数年の時を経て自分の中に落ちてきました。
今まで部落差別の受けた村について書いたことも、特別語ったこともありません。
親友にだって話していませんでした。
私にとっての触れられたくない闇と言うよりも「語る必要もないどうでも良いこと」だったんです。
どうでもよくなればなるほど、私は解放されていくのですから。
だけど、いざ可視化できるように文章にしてみたら感情が溢れてきました。自分はこんなこと思っていたのかと自分で再確認することにもなりました。
自分の中を膿みを少しずつ吐き出すような作業でした。
あの記事に結論なんてない。そんなの知らない。
ただひたすらに、愚直に、等身大で、ありのままの意見を、アンチテーゼを、葛藤を叫んでやるんだ。
そして私はこの葛藤自身をメッセージとしてnoteで「#いま私にできること」というハッシュタグに対して「私は何もできないだろう」という回答を言いたかった。
ないんだよ、できることなんて。
何もないんだよ。
でもいいよ、どうせタブー視されているのだから誰も見ないでしょう?無かったことのように扱われるんでしょう?
だったら少しくらい叫んだって良いじゃないか。
多分意味は無いのだろうけれど、今だけ、今回だけと思いながら文字を綴りました。
そう思って私は投稿ボタンを押しました。
私はどこかから咎められるのだろうと思った
初めて今まで深く考えようとしなかった村のこと、部落差別のことを考えてみるようになりました。そこで自分なりにあれは何だったんだろうと思った時に「呪い」という言葉がストンと自分の中に落ちてきたのです。あぁ、あれは呪いだなと。
明確に誰かのせいでもなく、かと言って放置することも出来ず、何をどうすれば良いのかも分からないような重く黒い何かがあの村にはありました。そういう空気だったのです。
「呪い」と言うこの言葉が、一番しっくりきました。
記事を公開した時は「誰かに届けよう」とかそんな高尚な気持ちは全くありませんでした。
どちらかと言うと逆の感情でした。
どうせ誰も読まないし、気にも留めない。そして私の声は社会から潰されるだろうと思いました。
しかし記事は私の想像を超える速さで拡散されていきました。
◇◇◇◇
気が付くととても多くの方の目に留まる記事になっていました。
正直にいうと怖かった。
「拡散されて嬉しい」という感情はあまりありませんでした。それよりも世間の声が怖くて、しばらくスマホが見れませんでした。
全く知らない人達に一方的に見られる恐怖というのはこんな感じなのか。
私とは真逆の、部落差別についての学習を啓蒙している人からすればなんと罰当たりな記事だろうと思いました。
私はあの記事を読んで反対する人達や利権のある人達に咎められるだろうとも覚悟しました。そういう内容だと自分でも分かっていたからです。
多くの人に、そして反響が大きかったことには純粋に感謝しています。
そしてそれと同じくらいに私は、私自身が部落差別を宣伝するような行為をしてしまったことへの罪悪感を抱くようになりました。
私本人はどうあれ、私と同じ境遇の被差別部落出身の人達にどうか迷惑になりませんようにと思いました。それ以外は正直どうでも良かった。と言うより他のことまで受け止める余裕がありませんでした。
どうか彼らの心の傷が広がりませんように。
勝手に公開しておきながら何を言ってるんだと思われるかもしれない。
だけどただひたすらに私は祈りと謝罪を心の中で唱えていました。
とびっきりに甘くて、温かいカフェラテを飲もう
私の予想とは逆に記事への反応は私を労る言葉や「書いてくれて、公開してくれてありがとう」というコメントを沢山頂きました。
私は「なんで感謝されているんだろう」と思いました。別にありがとうなんて言われる筋合いもないし、寧ろ楽しくもない胸糞悪い内容だろうと思っていたからです。
そう感じて公開してしまったという罪悪感が日に日に増していく中でとあるコメントが届きました。
「何もできませんが、せめてこれで温かいカフェラテでも飲んでください」
その言葉と共にnoteのサポート機能を使った寄付が届きました。
画面には1000円の文字がありました。
その時の感情は少し形容しがたいです。
なんと、言えばいいのでしょうか。
インターネットという大きなカフェの中、一人で座る私に「どうぞ」と優しく声を掛けて1杯のカフェラテを奢ってくれる人。
沢山、沢山の人達が「公開してくれてありがとう」と言いながら私の席に100円、500円とお金を置いていってくれたのです。
不思議でした。
そして自分は現金な奴だなとも思いました。
何故でしょうか。
私の席に集まったそれらの小銭たちは今までどんなに必死に頑張って稼いだお金よりも美しく、そして尊く思えました。
別にお金が欲しくて書いた訳じゃない。
お金が貰えるなんて思ってもいなかった。
そんなことを思いつつも「人ってこんなに温かいのだな」と心の底から感情が溢れてきました。
この世界は残酷だけど、それ故にまた美しい。
自分でも笑ってしまうような陳腐な台詞だと思いました。
だけどこの時ほどこの台詞が心に響いた瞬間はありませんでした。
あぁ、私はこの感情を知るためにあの記事を書いたんだな。
地獄だった村での数年間や日に日に増した罪悪感を抱いた私はたった一言の励ましと1杯のカフェラテで救われたのです。
沢山届いたメッセージを見ながら私はパソコンの前で静かに泣きました。
そうだ、とびっきりに甘くて、温かいカフェラテを飲もう。
泣きながらそう思いました。
「抱えていた葛藤をそのまま葛藤として出したことに意味があるんです」
取材を担当してくれた方からこう言われました。
私があの記事を公開してから私と同じ年代の、同じ境遇の方からメッセージが届きました。不思議な感覚です。普通に生きていれば絶対に交わることの無い二人です。お互いわざわざ「被差別部落出身者です」なんてことを言わないし、言う必要も無いからです。
「こう言うのは不思議なんですが...私と同じように考えている方が居るんだなと励まされました」
お互い心境を語りました。
心境を吐露した後、お互い後を追わずにスッと離れました。私たちを繋ぎ合わせるキッカケがこんな話題であってはいけない、もしまた出会う時があれば違うキッカケで出会いましょう、と心の中で思いました。多分、相手も同じように考えていたように思います。
取材を受けていって改めて「記事を書いていたあの時の感情はなんだったんだろう」と静かに考えました。
この取材を受けて話した内容がどこかの記事になるとか、何かの企画になるとかは本音を言うとどうでも良かったんです。
ただ純粋に「この問題について今の時代の中でどう受け止めるべきなのかと考えてくれている人もいるんだな」と感じました。私はどちらかと言うと考えることを放棄した、拒絶した人間でした。
私は私自身が当事者だから言えるのですが「被差別部落出身者」だからと言って同情しません。寧ろ同族嫌悪で嫌いかもしれません。
それは部落の人間である人が私を含めて他の人をいじめていた光景をみたことがあるからです。言ってしまえば「あなたもいじめてるじゃないか、同じじゃないか」と言える。部落の人間だろうと、そうでなかろうと同じなんです。
だからこそ特別扱いしないという感情があります。確かに私たちは過去に不遇な扱いを受けたことがあるかもしれませんが、同時に私たち自身も誰かを傷つけたり蔑んだりしたことがあるかもしれない。
いつまで過去に縛られるんだ、という気持ちがあります。
差別が無くなる世界とは何なのでしょう。
部落差別に限って言えば、それは良くも悪くも部落に固執しない特別視しない社会だと思います。「だから何なの?」と言える世界。部落や同和問題に対しての利権とかはなくすべきだし、全てを更地にする感覚です。
私にはそれしか方法が分かりません。
私は絶滅を望んでいる
私の言い分はかなり身勝手で独善的でしょう。専門家の人たちすれば「何と愚かな」「何と浅ましい考えだ」と思われるかもしれません。
ですが、私自身生きてきた中で一番「差別がなくなった世界」がそうだったんです。
固執しない、特別視しない、特に何とも思わない。教育業界からすれば暴論でしかありません。だけど、長年教育を受けた、被差別部落出身者の私だから言いたかった。
関わらないこと、忘れることが一番だったよ。
自分自身も「こんな回答しかないのか」と愕然とします。
私は専門家じゃないし学者でもない。だけどある意味で「部落差別」に一番近かった存在です。そんな私だからこそ、こんな暴論を言っても良いのかもしれないと思いました。
私は、私の記事を読んで「部落差別のことを知ってください」とか「この問題について考えてください」とかは思いません。
そんなことは正直どうでも良い、これはただ一人の身勝手な独白です。
私と同じような境遇の方がどのように思っているのかは知りません。特別知りたいとも思いません。私と同じように「忘れよう」思う人もいれば、真っ向から反対する人もいるでしょう。
ただ私の意見に反対する人も「この問題を根絶させよう」ということだけは同じだと思います。進むベクトルは違えど、ゴールは同じだろうと感じています。
私はそれで良いと思います。
部落という集団の問題が時代と共に「個人個人がどう感じ、どう思うのか」という問題の性質も変化してきているように感じます。
私は、それで良いと思います。
私のような「被差別部落出身者」という人間はもはや絶滅危惧種のような存在でしょう。
寧ろそうあるべきなんです。
そして同時に私は絶滅を望んでいる。
早くこの世から絶滅したいのです。
「部落差別」なんて言葉はどうか忘れてください。
そして同時に忘れないでくださいとも思っている自分がいます。
こんな記事を書いておきながら「忘れてください」と言うことへの矛盾と葛藤。
何が良いのか分からないけれど、多分この先もこの葛藤のゴールは見つからないでしょう。
最後に、考えるキッカケをくれた取材を申し出てくださった担当者の方に感謝を。そして記事を読んでくださった読者様に感謝を。
ありがとうございました。