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~気づいたら手に何もなかった~


自分自身のことを説明するとしたら『お姉さんのようなポジションで、気づけば人の顔色をうかがって疲れている』という人生を歩いてきた、という感じ。

小学校では学級委員長に立候補しないくせに細かなところに気がついてこっそり意見し、クラスメイトには『お前なんもしてねーじゃん』とからかわれていた。中学校の部活では2年間学年リーダーを任命されたけれど、最後の年なぜか部長でも副部長でもなく、楽譜を印刷する係になった。

振り返ると人の中心にはいなかったけれど中心を支えるように、いつもなにかの力になれるように生きていた気がする。でもそれって結局誰にも見えないもので、自分が提案したことも頑張ったことも特に評価されないまま学生生活が終わった。

わたしはもともと自分自身に興味がなかった。自分が何をしたいのか何になりたいのかいつだってわからないまんま。そしてまた他人にも興味がなかった。相手の気持ちはなんとなくキャッチしてしまうけれど、それ以上踏み込むことはしない。

そんなふうに生きてきた結果、わたしは人に言える特技や趣味もなく成人し、自分自身と会話することができなくなった。手のひらをひらいて「わたしはこれができるよ、見て!」と見せられるものがないまんまになってしまったのだ。

ただ、少し前まではあまり苦痛に感じていなかった。

大体感じ取ることのできる相手の欲求に答えていればスムーズに事は進む。手のひらの中に何もないからこそ投げ入れられる感情を捕まえられる。

そう本気で思って生きてきた。

けれど仕事や恋愛がうまく行かなくなって立ち止まったときにわたしはやっと気がつく。


わたしは今、誰のために息をしているのかと。


人のため、それが自分のためだなんて勝手に思い込んで気持ちやしたいことを押し込めて生きてきた結果、自分には何も残っていない。

これからまだ続く人生をわたしはそれで過ごし続けていくのか。そう感じたときなんともいえない虚しさを感じた。

なんせ「自分が何を食べたいのか」「どんな服を着たいのか」「どこに行きたいのか」「だれが好きなのか」etc…自分の欲求が分からない。

自分探しをしようだなんて簡単に言えないところまで来てしまっていたのかもしれない。

自分が何を食べたいかというのは意外と難しい。今まで食事は出てくるものや周りが食べたいといったもの、小さい頃から食べているメニューを摂取してきた。いまさら自分で「これ!!!」と新しいものを選ぶことがこわいのだ。

いま自分が着たい服は何か、いうのも難しい。なんとなく昔から変わらないデザイン、好きな人が好きそうな服、体型を隠す服を選んできた。この歳になって自分が心から「着たい!」と思える服を見つけて着るのはこれまた、なかなか一歩踏み出しにくいことである。

自分自身がふらりと行きたい場所に行く、それが案外わたしには難しい。自分にとって外出は人の付き添いという感覚が強かった。「行きたくないわけじゃないしなあ」という気持ちで外に出ていた。


そして、最後に『誰が好きなのか』だ。これはなにも恋愛だけではない人間関係全てにおいての話である。自分が一緒にいて無意味に傷つけられない、心地の良い人とわたしは過ごせていただろうか。振り返るとどうだろう、学生時代のわたしは【それなりにうまく生きる】ために自分を傷つけるひとのそばに自らいたかもしれない。

でもそれは仕方なくというのもあったが結局自己防衛だったのだろう。さっき、わたしは自分自身に興味がなかったと書いたけれど人生に荒波が立つのだけは嫌だった。つまり揉め事を避けるために人と表面上の付き合いをしていたということだ。

たとえ自分を傷つける人と一緒にいたとしても自分が傷つくのを恐れてその人から離れるということは、なにか区切りをつけて相手を切り離さなければならない。そんなことをして荒波が立たないわけがないじゃないか。喧嘩にならなかったとしても相手とは溝ができる。ただ、そんなことがわたしにとっては一番の苦痛だとあの頃は思っていた。

だからわたしは【それなりにうまく生きる】ために、自分の気持ちは別として他人と生きていた。

好きな人だってそうだ。自分に好意を抱いてくれる人に対し「いつかは好きになるかもしれない」とみずたまりに張った氷のように薄くて冷たい気持ちで付き合い始める。そして結局はわたしのわたし自身への興味のなさと恋人への興味のなさが徐々に伝わって、相手に浮気されたり他に好きな人ができたと振られたり。

振られてから「嗚呼、好きだったのにな」と気づく。


でもわたしはいまだにわからない。その「好きだったのにな」の本当の意味が。本当は自分を認めてくれるその存在が好きなのであって相手自身のことは好きじゃなかったのかもしれない。それほどまでにわたしは他人と向き合って生きていないということだ。

さて、ここまで読んでくれたあなたはどうだろう。

わたしのこの気持ちに対して『一体こいつはなんて冷たいことを言っているんだ、心はないのか?』と思っていますか?

それとも『ああなんだかわかるかもしれないなあ、でも心底共感するほど自分も自分がわからないんだよなあ』と思っていますか?

はたまた『何言ってんのかわからん』と思っていますか?

それでいいんです、なんでもいいです。わたしも今これを書いていて一体どこまで書けばいいのかわからないんだもの。

ただもしも、こんなことを思っている人が他にもいるとわかったら救われる人が地球上に、いや宇宙上にひとりはいるかもしれない。そんな想いでこれを書いています。初めてのnoteだよ。

ただいつだって気を使っているあなたが毎回傷つく必要はないんです。たまにはなーんにもせずに布団に寝転がる日があってもいい。好きかもしれないなあと感じる食べ物を惜しみなく食べてもいい。いつもはやらないことをふらっとやってみるのもいい。

誰かを優先するあなたを本当に優先できるのは、大事にできるのは、愛せるのは自分しかいないんです。わたしは20年と少し生きてきてやっとそれに気づきました。

まずは今日も生きてる自分に拍手。えらいね。

心の声を聞くのは難しい。好きな人のはずなのに気づいたらいなくなってる。好きなお店だったのに気づいたらつぶれてる。好きな服だったのに気づいたら売り切れてる。

いやなことばかり目につくかもしれないけれど、そんな人生でも今この瞬間息をしているあなたは素晴らしい。


長くなってしまいましたが結局のとこ、こういうことが伝えたかったのかもしれません。



読んでくれて本当にありがとう。

そんなあなたが秋の風を少しでも気持ちがいいなと感じられることを願っています。



おかか




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