歪さを受け入れる
最近、人の歪さを感じることが多い。
誰しも、どこか歪んでいる。
その歪みの程度は人それぞれだけど
自尊心が高すぎて、周りの人をバカだ、クズだ、と見下す人も、自分は無能だと思い込んでいる人も、少しのことで怒って物に当たり散らす人も、
認知の歪み、考え方の癖があると思う。
それは、ある意味個性で、絶対的な悪でも善でもない。
私にとって良い、悪いはあるけれど、あくまでもそれは主観でしかない
最近ずっとずっと考えてしまう。
自分の歪みも、他人の歪みも
きっとどうにも出来ないことだから、考えても無駄なのに
歪みを正したい、でも、正しさって何だろう
あるべき姿ってなんだろう
そもそもそんなものはないのかもしれない
みんなそれぞれ自分の形を持っている
唯一無二
それがアイデンティティ
でも、私は正解があると思ってしまう。
こうあるべき姿があるはずだ
理想にはまる型があるはずだと
いつもこんな考えが頭をぐるぐるしている
周りを常に意識して、自分を他人と比較することで評価してきた
だから、その中での優劣にとらわれる
100%正しい生き方も間違った生き方も本当はないはずだ
自分のことも他人のことも分からない
ずっと苦しい、捉えようのない自分の人生も、他人の感情も
こんなにたくさんの人がいるのに人は常に孤独だ
自分の歪さは自分で受け入れないといけない
他人は全てを受け入れてはくれない
だから、せめて自分だけは、自分だけの歪さを愛してあげたい、と
生きることが苦しいのは、今の自分を受け入れられないからなのだと最近気づいた。
他人の歪さを許容できないのは、自分の歪ささえも受け入れられていないからだと最近気づいた。
気づいたけど、やっぱり苦しい
ずっと苦しんできて、そう簡単には抜け出せないよなぁ
何もなく涙が落ちるのも、声の震えも、俯いたままのまつげも、きっと変わらない
自分の中にある愛だけは大切にしたいなぁ
誰かを愛おしく思う気持ちも、衝動的な好意も、人の温もりも、
ポエムっぽく肥大した自意識をひけらかす自分も、案外嫌いじゃない
それが私の歪さだから