おかか
大学生の頃は、普通に会社員をやれると思っていた。 無理だった。24歳。これから先、働けないので死ぬしかない。 一生フリーターで生きていける社会ではない。 とにかく働きたくない。 頭を働かせること、自分で考えてアウトプットすることが何より苦痛。 苦痛すぎて、やるべきことから逃げて誤魔化し続けている。 毎日仕事をしているふり。 そろそろ限界で、自分で仕事を進めて成果を出す必要がある。 耐えられない。今すぐ逃げたい。 少しでも複雑だと頭が思考することを拒否してしまう。 私の
頑張りたくない 何もしたくない ただ、惰性に毎日を過ごしていたい 苦しみたくない 楽したい ずっと横になって寝ていたい 何も考えたくない お金のことも、これからのことも 何でこんな人間なんだろう 生きる上で最低限すべき努力すらしたくない こんな人間に生きてる意味も価値もない事はわかっている 死ぬべきだって分かっている でも、死ぬ勇気がない そのくせ頑張ることから逃げている ただ無意味な存在だ 周りの頑張っている人たちと差が出ていくのは当然だ みんな苦しんで努力し
私のような人間が死を選ぶのは至極当然のことに思う 誰からも必要とされない人生もある それは無意味で無価値なのか 生きることにも、他人にも、執着しているだけ 自分の正しさを信じることができるか 生きていくのに必要なのはそれだけだ 思考も感情も目には見えない そこにあってもなくても大きな差はない ただ生きるだけ、そのままでいい もっとシンプルでいい
相反する感情が私の中で沸いては静まりを繰り返す 絶望する気持ちと楽観する気持ち 感情が刻一刻と遷移していく 自分は誰からも愛されないという絶望の気持ちから 愛されなかろうがありのままを受け入れるしかないという受容の気持ちから こんなに素敵で最高な私は愛されるに決まってるという前向きな気持ちに 自分は1人のはずなのにどうしてこうも感情が波打っていくのだろう 受容の気持ちか前向きな気持ちで留めておきたい なにもかも、捉え方次第で考え方次第で 私は揺れ動く それすらも私という人
右足、左足、右足、左足… 次はどっちの足を前に出せば良いのか 分からなくなって立ち止まる 急に立ち止まった私を、迷惑そうに一瞥して過ぎていく人間たち 私の頭はいっぱいいっぱいだった 今日は、初対面の人間とたくさん会わないといけない 私は何よりそれが苦手だった 変わらない毎日を送るのでさえ私には苦痛だった いつもと違う日、それが一番怖い 他の人間と関わらないといけない日、それが一番しんどい どうにか、無難に、穏やかに、毎日を過ごしていきたい あの人、頭おかしいよね。 普通じゃ
だいぶ痛いタイトルにしてしまったが 恋人いない歴=年齢を更新し続けている さすがに22歳になり、焦りと不安が湧いてくる。 ってか、もう友達が結婚してもおかしくない年齢やん… 私を置いてけぼりにしないでくれ… 周りはどんどん人生を前に前に進んでいく でも、私はずっとその場で動けず、何にも成長していない 今までは、自分は誰からも愛されないのだろうかという不安が強かった。 しかし、今は愛されないことよりも、誰かを愛せないことの方が不安だ。
最近、人の歪さを感じることが多い。 誰しも、どこか歪んでいる。 その歪みの程度は人それぞれだけど 自尊心が高すぎて、周りの人をバカだ、クズだ、と見下す人も、自分は無能だと思い込んでいる人も、少しのことで怒って物に当たり散らす人も、 認知の歪み、考え方の癖があると思う。 それは、ある意味個性で、絶対的な悪でも善でもない。 私にとって良い、悪いはあるけれど、あくまでもそれは主観でしかない 最近ずっとずっと考えてしまう。 自分の歪みも、他人の歪みも きっとどうにも出来ないことだ
就職活動を通して、色々と学ぶことも考えることも多かったのでまとめておこうと思います。 まず、就職活動する上で私が悩んでいたことは主に3つありました。 ①やりたいことがない ②地方国立理系の学部という学歴コンプレックス③地方に住んでるので、交通費やらのお金の問題 1番悩んだのは、"やりたいことがない"ということ。 漠然と、人の生活を支えるようなモノづくりに携わりたいなぁとは考えてはいました。 でもそれは多くのメーカーに当てはまることだし、具体的なビジョンみたいなものはなく
自分が今生きていることがとてつもなく無意味に感じる今日この頃 みんなはどんな気持ちで毎日を生きてるんだろう 私にとっては生きることも死ぬことさえも無価値で無意味で。 今この瞬間死んだとしても別にいっかなぁと思う それは、現状が辛いからとか、病んでる訳ではなく。 自分には何か特別なものがあると勝手に思ってた でも、もう流石に気づいた そんなものはなくて、私は、人よりも何倍も努力してやっと人並みになれる人間なんだと 私は自分をもっともっとできる人間だと過信していた 理想も高く
人生を送る速度感は人それぞれ違う。 ものすごい速さで走っている人もいれば、たまに休みながらゆっくりと歩いている人もいる 高みに一直線で常に全力疾走で走り続ける人にしか到達できない場所がある 高いところにやっとの思いでたどり着いて、そこからしか見えない景色がある それは逆も然りだと思う ゆっくりと歩くからこそ、道端に咲く花の美しさに気づける 人のちょっとした優しさにしっかりと感謝できる ゆっくりと自分のことや相手のことを考えることができる 常に走り続けた人は背中も見えない
よく、試練は人を強くするとか、傷ついた分だけ強くなれるとか、言うけど それは嘘だと思う 世の中には、理不尽なことを要求したり、人に無理をさせたりする人がいるように思う 人間には限界があるし、その限界は一人一人違う 自分が出来るからって他の人も出来るとは限らない 生きていれば、仕事でも勉強でも、きつい事や苦しい事は沢山ある それを乗り越えられた時に達成感があって、成長出来ることもある でも、時に、自分の限界以上に無理をして乗り越えようとして、ダメになっちゃうことがあると思う
色々としんどいことが山のように重なってしまっている。 ブラック研究室で朝9時から早くても夜の9時過ぎまで実験とかして、就活もしなきゃなんなくて それでいてどうしても生理的に無理で、正直視界にも入れたくない人と同じ部屋になりそうで 今後1年間が本当に本当に地獄になることが確実でもうすでに心がへし折れている… 肉体的にも、精神的にもすごく厳しい とにかく同じ部屋にならないことをまず祈っておこう… 苦手な人とは出来るだけ物理的な距離を置くに限る。有限な時間を苦手な人のせいで嫌なも
昨日は大学の人と飲みに行った 私は結構消極的で活発にサークル行ったり、飲み会したりというタイプではなく 昨日飲んだ人達は、私と真逆で 活発でアクティブな人達 友達もたくさんいて、もちろん恋人もいて、やりたいことをガンガンやって。 いわゆるウェイという感じ。私からみると やっぱ、自分と違う人達と話すと凄く得られることがあるんよなぁ〜 まず、根本的な違いを感じたのが、そーゆー人達は"自信"がめちゃくちゃある 他人の評価で揺るがない自信 自分は優れているという自信 そして、
Twitterのつぶやきとか、noteの投稿を振り返ると 自分のネガティブ度合いに驚く笑笑 基本的にネガティブな事しか書いてない うーん、自分で見てもなんかマイナスな気持ちになるってことは、これをみてる人はもっとマイナスな気持ちになるってことよね… 良くないわね、もっとプラスなこと、前向きなことを言っていけるようにする!! 弱音とか愚痴は見えないところで吐き出すようにしようっと…
忙しない日常を送って、なんだか心の余裕がなくなって どうしてもトゲトゲしてしまう時ってある そんな時は楽しみをつくるようにしている 今の私の楽しみはアプリで漫画を読むこと 朝の電車と夜寝る前に。 ささやかだけど1日の楽しみ あとは、楽しみな予定を一月に1個は入れるようにする 今月は、初めてお笑いのライブに行ってくる!アイドルのライブしか行ったことないから、どんな感じなのか未知数でめっちゃ楽しみ! チケット代めっちゃ安いし、座席もなんと前から2列目!楽しみすぎる! 就活や
私は地方国立大学の理工学部に通っているが、学生支援機構の利子付きの奨学金を借りている。 奨学金とは名ばかりで、要するに借金 なぜ、借金をしてまで大学に行くのか。 正直なことをいうと、大卒という肩書きを得る為というのが大きい。 もちろん、大学で学んでみたいと思ったことがあったのもある。 高校が都内の進学校で周りがみんな大学進学だったからというのもある。 周りの環境ってめちゃくちゃでかい要因だよなぁとしみじみ 高校時代の私に、大学進学以外の選択肢は思いつきもしなかった。 まぁ