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【平等と公平の違い】ヨソはヨソココはココ〜学童保育とは〜
*本日もお立ち寄り頂きありがとうございます。
しばらく間が空いてしまいました。
少しクリエイター方面を楽しんでおりました…。
と言っても、子供たちは冬休み前。
クリスマスや息子の誕生日、やることは盛りだくさん。
いろいろ話したいことはあるんですが、時系列で。
11月に学童の卒所バイト生が、大人になってからわかる学童に通っていて良かった事をテーマに講演をしてくれました。
講演はすべてボイスメモに録音して、書き起こしたら物凄く熱い内容になりました。
詳細は後日、別記事で書きたいと思います。
その中で特に印象に残った話。
平等と公平について。
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学童では、学校のクラスとは違う過ごし方をします。
うちの子の学校は、縦割り活動がかなり多いし、しかもかなり細かく班割がされているので、異学年との活動も他の学校より力を入れていると思っています。
学童で生活している子は、放課後の生活の中で異学年との関わりが必須になってきます。
その上で、リーダーとして動くべき事も当たり前にあります。
さて、上のイラストの「平等と公平」ですが。
学童での生活の中での遊び方は、平等と公平、どちらになると思いますか?
答えは、
「公平」
ですね。
これね、絵がないとパッと答えられないと思います。
異学年や性格、得意不得意が違う仲間の中で活動する中で、身につくもの。
「みんなが同じように楽しめること」
これなんです。
一瞬、「平等?」と思ってしまうのですが、一年生から六年生までいると、知識も体格も全く異なってきます。
そうなると、「平等」より「公平」である事の方が必須になってくる事が増えます。
つまり、学童のような一年生から六年生まで揃っている組織では「公平」であるという考え方が増えていくのです。
Y市での学内預かりも、人数は多いけれど高学年は本当に少ない。
うちの学校でさえ、6年生でキッズに常時行っている子は見たことがないです。
その点学童には、きちんと高学年が来ています。
(我が子の学童に至っては、6年生が1番多いのでは?と思うくらい通ってきてます。)
学校に慣れた3年生くらいから、学童ではリーダーを任されます。
はじめは、同学年内で会議をし、一つのイベントの計画を立てます。
うちの学童では、お誕生日会の担当が3年生。
同学年の中だけの話し合いですが、イベントは一年生から六年生までが参加します。
その中で、どういう内容にするか、誰が司会をして、誰が出し物の説明をして、決めた出し物が全ての学年の子が楽しめるか?そんな事を試行錯誤して、決定していきます。
もう、このイベントを企画している時点でリーダーの役割を担っているのです。
そして、先ほど出した「平等と公平」、これを最も簡単に理解していくようになります。
では、高学年はその子たちについて、どうするか。
本番当日は、何気なくサポートしているのです。
自分たちも経験してきたことですから、何に苦戦している、何を手助けしたらいいか、よくわかっています。
そして、低学年は自分たちが後々やる事を、無意識に身につけていっているのです。
後日の大学教授の講演でも、最近の子は主体性が乏しいとか、子供達の中の「自治」が出来ていないというお話がありました。
主体性を身につけるということは、学童の活動のように、自分だけでない誰かが居る意識が必要で、それに対して、どうすべきか自然に考える能力が必要になると言う事なのでは?と考えました。
放課後、家に帰り1人で動画を見たりゲームをしたりしかしない子は、一定の友達のみとの付き合いになります。
ずっと1人で話もせず過ごしている子も多いのではないかと思うのです。
学校で頑張っている分、家でのんびり出来る時間も必要です。
学童っ子は、それが足りてないと感じるかもしれません。
もちろん、日本にあるすべての学童がこんな学童ではないのは確かです。
でも、少なくても私の住む地域の学童は、それが出来ています。
きちんと主体性と自治が出来ている分、学校でも家でも得られない、不思議な安心感がある事も事実です。
いつものメンバーで、ゲーム機はないけど自由に遊べる。
勉強するも、外へ行くのも、部屋で漫画を読むのも、当たり前のルールさえ守れば、自由。
むしろ、学童に来る事で羽を伸ばせると言う子の方が多いのです。
(そして、そう言う子達は、家での生活もきちんと楽しめる子ばかりです。)
大人の中でも「自治」ができているかというと、なかなかイエスと言えないでしょう。
それは、子どもの頃、その年齢に応じた「自治」を作る事が出来ていなかったからなのかなぁ、と私は感じています。
そして、子どもたちが自治を作るには、それを理解して見守る大人の存在が必要なのです。
指導員や保護者もその意識がないといけないし、親同士も「自治」が確立している事が、子どもたちの安心感にもつながるんだなぁ、と。
少なくても私の子供の頃出来てなかった事ばかり。もちろん、時代が違うのでそれが正解とも言えないのは事実なのですが。
昔は、近所の大人が普通に声をかけてくれたり、注意してくれた環境があったから、見ててこなかった部分あるのかな。
我が子たちを見ていると、本当にありがたい環境があり、幸運でしかないと、感じています。
放課後の子どもの居場所。
学童に限らず、こう言う場所が増えるといいなあと願わずにはいられません。
*本日もお読み頂きありがとうございました☆
ヨソココの他の話はこちらで。
学校のお話も書いています。
よろしければぜひ。