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第14話「大分のナポリ旅」
岡部八郎
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おしゃべりエッセイ、『SO!SO!』へようこそ。
おかはち、です。
ことしの春、大分のナポリといわれる島に行ってみました。大分県津久見市の保戸島。ホ・ト・ジ・マといいます。大分県の海沿いの街、津久見市から定期船で25分。波のしぶきを眺めながら船に揺られていると
そこはもう、大分県のナポリなんですよー。
え?なんで、ナポリかって??
船が保戸島に近づくたびにわかりました。
うわっ、ほんとだ、3階建てのコンクリートの家、
赤、青、黄色、色とりどりののっぽな家が島中にびっしり立ってるんです。
え?なんで?こんなのどかな海の小さな島の中に、イタリア・ナポリのような派手な色の家が並んでるんだろ?
船を降りて、歩きはじめて、ますます疑問の?(はてな)マークが大きくなりました。車はほとんど走っていません。おばあちゃんが押しているのは、可愛いリヤカー。
だって、港のまわりの道以外は、猫が歩いていくような、ひとり分の広さしかない路地や石段だらけの坂道なんで、車は入れません
3階建ての、ちいさなのっぽのコンクリート住宅が延々と続く横を、石段がくねくね続いてます。
あ、また猫がいる。
まるで島自体が迷路のようだな。
うわっ、びっくりしたぁー、
人のおうちの軒先を通らないと、上にあるおうちまでたどり着かない。ありえーん、TV番組の日本珍百景にぜひ登録してほしい!
なんで、なんで、周囲4キロメートルの小さな島に、こんなに立派な小さなビルの家がひしめき合って立っているのか?
どうしても知りたくて、自転車に乗っていたおじさんを止めて聞いたんです。そしたら、すごい答えが返ってきました。
ここはな、マグロの遠洋漁業で、よぉーけー、もうけちょった島でな。昭和50年代は、すごかったぞー。金がうなっちょった。
目の前に見えちょる3階建てのコンクリートの家、何坪の土地に建っちょると思う?たったの10坪。小さな島じゃきなぁー、大きな土地が買えんちゃー。
そいじゃきー、10坪の土地に家族4人住むために3階建ての家を建てたんじゃなぁー。当時は、みんなマグロ漁船でがっぱりもうかっちょったきー、競争するように、コンクリートの家を建てちょる。
あの頃、昭和50年代の、保戸島の土地は、たしか1坪100万円じゃったから、土地代だけで1000万円。コンクリートの3階の家を建てたらさらに2000万円。あわせて3000万円の豪邸が小さな島にあるっち、あの頃テレビで紹介されちょった。俺たちの自慢じゃったなぁー
と、懐かしそうに昭和の風景を振り返ったおじさん。話を聞かせてくれたお礼です、と、ボクはウクレレで、懐かしい昭和の歌を海に向かって歌いました。
走り去っていたおじさんの自転車のペダル、軽やかだったなぁー。
激動の昭和を語る、保戸島の風景と人たち。
時間は静かに止まっているようにみえるけど、900人の島のみなさん、支えながら仲良く暮らしてましたよ。
あったかーい空気、好きでした。
おしゃべりエッセイ、『SO!SO!』 おかはちでした。
おかはち、です。
ことしの春、大分のナポリといわれる島に行ってみました。大分県津久見市の保戸島。ホ・ト・ジ・マといいます。大分県の海沿いの街、津久見市から定期船で25分。波のしぶきを眺めながら船に揺られていると
そこはもう、大分県のナポリなんですよー。
え?なんで、ナポリかって??
船が保戸島に近づくたびにわかりました。
うわっ、ほんとだ、3階建てのコンクリートの家、
赤、青、黄色、色とりどりののっぽな家が島中にびっしり立ってるんです。
え?なんで?こんなのどかな海の小さな島の中に、イタリア・ナポリのような派手な色の家が並んでるんだろ?
船を降りて、歩きはじめて、ますます疑問の?(はてな)マークが大きくなりました。車はほとんど走っていません。おばあちゃんが押しているのは、可愛いリヤカー。
だって、港のまわりの道以外は、猫が歩いていくような、ひとり分の広さしかない路地や石段だらけの坂道なんで、車は入れません
3階建ての、ちいさなのっぽのコンクリート住宅が延々と続く横を、石段がくねくね続いてます。
あ、また猫がいる。
まるで島自体が迷路のようだな。
うわっ、びっくりしたぁー、
人のおうちの軒先を通らないと、上にあるおうちまでたどり着かない。ありえーん、TV番組の日本珍百景にぜひ登録してほしい!
なんで、なんで、周囲4キロメートルの小さな島に、こんなに立派な小さなビルの家がひしめき合って立っているのか?
どうしても知りたくて、自転車に乗っていたおじさんを止めて聞いたんです。そしたら、すごい答えが返ってきました。
ここはな、マグロの遠洋漁業で、よぉーけー、もうけちょった島でな。昭和50年代は、すごかったぞー。金がうなっちょった。
目の前に見えちょる3階建てのコンクリートの家、何坪の土地に建っちょると思う?たったの10坪。小さな島じゃきなぁー、大きな土地が買えんちゃー。
そいじゃきー、10坪の土地に家族4人住むために3階建ての家を建てたんじゃなぁー。当時は、みんなマグロ漁船でがっぱりもうかっちょったきー、競争するように、コンクリートの家を建てちょる。
あの頃、昭和50年代の、保戸島の土地は、たしか1坪100万円じゃったから、土地代だけで1000万円。コンクリートの3階の家を建てたらさらに2000万円。あわせて3000万円の豪邸が小さな島にあるっち、あの頃テレビで紹介されちょった。俺たちの自慢じゃったなぁー
と、懐かしそうに昭和の風景を振り返ったおじさん。話を聞かせてくれたお礼です、と、ボクはウクレレで、懐かしい昭和の歌を海に向かって歌いました。
走り去っていたおじさんの自転車のペダル、軽やかだったなぁー。
激動の昭和を語る、保戸島の風景と人たち。
時間は静かに止まっているようにみえるけど、900人の島のみなさん、支えながら仲良く暮らしてましたよ。
あったかーい空気、好きでした。
おしゃべりエッセイ、『SO!SO!』 おかはちでした。