信じるなら全部受け入れる。
よく、離婚の原因は浮気だという話がありますが。
正直、浮気した相手や浮気相手を恨むのは、しっくりきません。
(ちなみに主人が浮気をしたわけではありませんのでご心配なく。笑)
私、意識はしてないのですが周りからしたら『変』なことを小さい頃から考える性格みたいで中学校で隣の席の男子に、思いついたことを喋ると「はじまったよ、ハコ論!」とよく言われて笑われた人です。
この話を理解できない人もいれば理解してくれる人もいるんだろうなと思いながら書かせていただきます。
話は戻りますが。
浮気をされるとなぜ傷つくのか。ショックなのか。
それは『相手がそんなことをする』ことを想像していないし、そうなって欲しくないと思うからですよね。
つまり信じていたいからだと思います。
だけど、それは勝手な自分だけの想像で、自分が作り出した相手の理想の姿。
私も主人が浮気をしたら、とてもショックを受けると思います。
でも、それは相手を責めるよりも自分のどこが良くなかったのかを考えるから。
原因は浮気事態ではないかもしれません。
私が冷たくしてたから。
私が家事をやらないから。
私が化粧をしないから。
なにか、どこか自分自身を振り返ることって大事かなって思います。
全て完璧に頑張っていたとしても、何か相手とすれ違っているかもしれません。
私は頑張ってた、
私はこんなに大変なのに、
そう自己中心的だと相手の思いに気づけないかもしれません。
でも、
大切な人を思うなら、まず相手を責めるという言動にはならないはず。
分かりやすい例として、一つ浮気を上げてみましたが、信じていた人の失敗を許せるか許せないかで人生ってすごく変わると思います。
どんなことも受け入れる
許して添い遂げる
そう誓うんですよね。結婚式に。
一緒に生涯共にしようと。
それはどんなことがあっても相手を受け止めることだと思うんです。
社会的に絶対許されないことがあったとしても、誰からも理解されない大きな失敗を繰り返したとしても、私は生涯全部受け入れたいと思います。
信じられない許せない信じていたのに
そんなふうに自分が傷をつけられたなんて思わないで欲しいんです。
誰かを許すことは、受け入れること、包み込むことだと思います。
許せるか許せないかで、周りの世界が変わります。
責めることで、プラスなことはありません。
失敗は、その人の一部です。反対に、失敗のほかに目を向ければ相手の良いところはたくさんあるはず。
たくさんの相手の頑張りの中の一部の失敗も、全部含めてその人だ、と受け入れる余裕は持っていたいですね☺︎
最近のニュースを見ながら、ふと考えてました。
私は、その人の一部分も知らないけど、それでも失敗をしたから『あー、そういう人なんだ』とは思いません。
応援したいし期待もしたい、信じたいですよね。
いけないことはいけないこと。
でもそれとは別に、相手の生い立ちや生き方思いなど見えない部分にも一生懸命が感じられるはずなんです。
踏ん張れ踏ん張れ。
数少ないかもしれないけれど、理解してくれる人はいる。
そう、人を信じられる人になりたいです。私。
応援してますよ。
今日は、ただの独り言でした。
ご覧いただきましてありがとうございました☺︎♡