E249:そう見えるの?
「僕は、源太くんみたいに、なんでもさらりとできるヤツじゃないんですよ…」
新人研修の時、同期のAくんから言われた一言を、僕は今でも時々思い出します。
「君、僕の何を知っているの?」
そう言い返そうとしましたが、慌てて言葉を引っ込めました。
Aくんは、悄然として、よく見たら目に涙が溜まってるようでした。言い返す言葉を失ってしまいました。
「何でもさらりとできるヤツ…」
それはまさに、学生時代、私が憧れた人物像でした。
中学の技術の授業で「ラジオ」を作った人はいると思いますが、ついに私は完成させることができませんでした。
美術で絵を描いても、
「源太くん、これは何の絵ですか?」と教師から聞かれる始末。
運動もできず、成績も中の下。
これといって、特徴や才能のある子供ではありませんでした。
社会に出たら、どんな仕事をするのだろう。
いや、俺にそもそも仕事なんてできるのだろうか?
そんな漠然とした不安が、10代の頃はいつも付きまとっていました。
そんな状況でしたから、
本当は、心臓が止まってしまうのではないかと思うほどドキドキしながら受けていた、新人研修でした。
私だけがついていけなかったらどうしよう。
周りに迷惑をかけたらどうしよう。
そんなことを考えて、考えて、考えて、
気が変になりそうな研修でした。
でも
常に平静を装いました。
そんな私の本当の姿を
彼は解っていませんでした。
Aくんは、物静かな人で、
なぜかずっと敬語でした。
なかなかみんなの輪に入らず、
たまに、話をしても、ずっと顔はこわばったままでした。
「今日はお客様からこんなクレームがありました」
「今日は研修でこういう失敗をしました」
「今日はうまく言葉が出てきませんでした」
彼はいつもの敬語で私に報告してくれるのですが、
マイナスの話ばかりでした。
私は、自分の中学時代のことがあるので、
彼のことを放っておけず、遅くまで2人で話をしました。
彼が前向きになれるよう、ずっと笑い話をしていました。
そして、ある日、
彼はいつも以上に落ち込んで、
私に声をかけました。
「今日はとうとう、上司から現場を外されました」
その日は、自分も失敗をして、叱られた日だったので、
「俺も今日はやっちゃったよ。また明日頑張ろうよ」
そんな話をしたのを覚えています。
(本当は俺も、ものすごく怖いよ……)
この気持ちをAくんにだけは伝えようとしました。
でも、どんなに伝えても、彼は信じてはくれませんでした。
そして、彼から返ってきたのは、冒頭の言葉でした。
人は、自分の好きなように
相手を勝手にイメージします。
この時ほど痛感したことはありませんでした。
次の日の朝、彼は自宅のトイレで吐血をし
二度と職場に戻ってくる事はありませんでした。
電話もつながりませんでした。
あれ以来、彼の消息はわかりません。
もう50代になったはずですが、
今はどうしているのでしょう…。
後から聞いた話ですが、
実はこの時、彼は外されたのではなく、自分から
「もうやめさせてください」と頼んだらしいのです。
その話を聞いたとき、自分のことではないけれど、
私は胸が苦しくなりました。
これは経験のない人にはわからないかもしれませんが、彼が嘘をついたというより、「お前は必要ない」と言われているかのように感じてしまったのですね。
私も、まるで、世の中から自分1人だけが取り残されて、完全に孤独になってしまったような、そんな感覚が自分を包む時があるんです。
でもね……
あの頃は自分も必死すぎて
よくわかってなかったんですけど
今ならわかります。
「何でもさらりとできる」なんて
別に、必要のないことなんですよね。
人より、「ちょっとだけできること」
が一つあれば、それで十分なのではないかと。
今は、やっと時代が変わってきましたが、
私たちの頃の学校教育は
「みんなと同じようにできること」が
とても大切にされていた気がするのです。
もちろん、何でも好き勝手にやっていい、ということではないですが、みんなと同じように「やりたくてもできない人」が孤独感を感じるような世の中であってはならないと思うのです。
「その人がちょっとだけ得意なこと」が見つかればそれでいいんじゃないかと…。
私には、
「人と同じようにやりたいけど、できないこと」
がたくさんあります。
だから若い頃は
「なんでもさらりとやっている」なんて言われると、カチンときたものです。
(ふん、人の気も知らないで!)なんてね。
でも、今は
(あら、そう見えるの? そりゃ大外れだけど、ありがとう…)
そう思えるようになりました。
ただの直感ですが、
今、Aくんは
「みんなから頼られる、何かのプロ」
になっている気がして仕方がないのです。
それを心から願っている自分がいます。