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E37:怖い、恥ずかしい、書きたい!

中1のころ
姉のように慕っていた大好きな先輩が引退すると
吹奏楽部にいる意味もないな、と思って
「何となく」文芸部に移った。

移った理由はそれだけではない。
正直できるだけ学校の空間にいたくなかったのだ。
(当時は)部活動強制加入で、
生徒は必ずどこかに所属する必要があった。
早く帰りたい僕にとって
週3の活動に加え、「ゆるーい」雰囲気は
奇跡的に沈んだ気持ちを救った。

詩や小説を書いていると没頭できる。
自分の世界に入り込んでも、
文句を言われることもなかった。

ここにいれば
服がドロドロにもならないし
筆箱がなくなることもないし、
画鋲で突き刺されることもないし、
「歩き方が感染る」とも言われない。

ただ…それだけでよかったのだ。
その空間を確保するためだけに
僕は文芸部にいた。
ありったけの詩を書いた。
ありったけの小説を書いた。
他の部員が引くぐらい…。

顧問のツバキ先生(仮名)は
そんな僕の作品を、驚くほど真剣な目で
毎回ご覧になった。

「源太くん、何かに応募したら?」
先生は幾度となく薦めてくれたが
僕は一度も首を縦に振ることはなかった。
先生は本当に優しかった。
でも、僕はうれしくなかった。

どうせ、同情なんやろ…


ツバキ先生は、僕がどんな作品を見せても
ずっと褒めてくださった。

そんな日々が続いていたある日、
ツバキ先生が突然おっしゃった。
「私、今月いっぱいでこちらの学校を去ります」

ショックだった…。

今思えば、「産休の代替講師」の立場でいらしたのだと思う。産休明けの当該教員が復帰すれば、先生は自動的に任期が終わる。ただ、そんな事情など、中学生にはよく分からない。

顔には出さなかったが「喪失感」が半端なかった。
学校で数少ない「味方」がいなくなる…。元来、敵も味方もないが、当時の僕の精神状態はそんなものだった。

先生の最後の出勤日。
下足室で、たまたま帰ろうとする先生と、ばったり出会った。なんて言えば良いのか分からなかった。

「先生、さようなら。ありがとうございました」
何一つ気の利いた言葉が出てこない。
13歳とはそういうものかもしれない。
でも、文芸部員らしい語彙は欠片もなかった…。

言うだけ言って、立ち去ろうとした僕の手を握って、
ツバキ先生は、はっきりおっしゃった。
ビックリするような大きな声で。

「源太くん。あんたは書くの。わかった? 書き続けるの。わかった? 絶対絶対、書き続けるねんで! 絶対よ!」


言葉:「はい……。」
心 :(ど、どうせ、同情でしょ?)

うれしかったけれど、やっぱり哀しかった、
あのころは、(できれば消えてしまいたい)と思っていたから、何を言われても「褒め言葉」には聞こえなかった。ツバキ先生も、僕がそこまで追い詰められているとはご存知なかったはずだ…。

数年後、僕はこの当時の原稿やノートをすべて捨てた。
少しだけ、ホッとした。だから現存しない。
今だったら、きっと怒って全力で止めるけれども…。

それでも、よかったと思う。
あの頃は、一つ間違えれば「我が存在ごと消してしまいかねない時期」だったから。そこは、「原稿」程度で踏みとどまってよかった…。じゃあやっぱり、怒るより褒めてやった方がいいのかな、あの頃の自分を…。


noteを始めると
どういうわけか、
奥にしまってあったツバキ先生の声が
はっきり聞こえるようになった。

最初は、聞こえないふりをした。
でも、日に日に「その声」は大きくなっていく。
そして、さらにもう一つの声も混じり始めた。

怖い。怖い。37年も経っているのに。
あのころズタズタになった「自己肯定感」は
なかなか回復しない。キツイ。

※※※※※

実はnoteにも無様な言い訳をして、先延ばししてみました。
「デビュー記事が50スキを超えたらやろうかなw」
皆様、本当にありがとうございます。
もう、言い訳も通用しなくなりました。


たくさんのプロの方を前に、本当は
消えてしまいたいくらい緊張しておりますが、
わたくし、noteにて、小説始めます。

とうとう
言ってしまった…。

【エッセイ37】







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